第56話 元S級ハンター、招待される
やや燻った煙の匂いが、静謐なエトワフの森に漂っていた。
銃声の嵐は止み、同時に魔物たちの雄叫びも消えている。
残っていたのは、耳が痛くなるような静寂だけだった。
「すごい……。あれだけの魔物を一瞬で……」
積み重なった夥しい魔物の死体を見て、細剣を下げたのはアネットだった。カルネリア王国の女副長は、何度も目を瞬く。
周囲の光景を見て、夢あるいは地獄と捉えたのかは、俺にはわからない。ただただ他の騎士たちと一緒に、俺が平らげた魔物の屍を見つめるのみだった。
すると、アネットは俺の方を見て、膝を突き、さらに頭を下げた。他の騎士もそれに倣い、同じく頭を垂れる。
「失礼ながら、貴殿はヴァナハイア王国のS級ハンター――ゼレット・ヴィンター殿か?」
アネットはかしこまる。先ほどまで傲岸不遜な態度はない。俺の名前を口にする時も、若干唇が震えているように見えた。
「ああ……。その通りだ」
「数々のご無礼申し訳ありません。お噂はかねがね聞いております」
「その口ぶりだとスターダストオークスの幻覚にかかっていた時のことを覚えているんだな」
「朧気ながら……」
まあ、仕方ないか。
幻覚にかかてっていた時、アネットには俺がどんな風に見えていたのかは知らないが、悪いのはスターダストオークスだ。
ここは水に流してやるか。
「まさかそんなダサい、襟の立った黒コートをお召しになっているとは露知らず……」
おい。ちょっと待て。
「ところで、その黒コート……。一体どんな罰ゲームがあって着ているのでしょうか?」
「これは俺が率先して着てるんだ!! このお洒落がお前にはわからんのか?」
「あはははは……。ゼレット殿が、ご冗談がうまいですな。そんな服、お金を積まれたって着ませんよ」
ガーン……。
俺は絶望の淵に突き落とされる。魔物を倒した高揚感は吹き飛び、ただただ呆然と立ち尽くすだけだった。
「ま、まあまあ……。ひ、人によって美的感覚は違うものよ」
洞穴から出てきたパメラが、溜まらず仲裁に入る。しかし幼馴染みの顔はすでに笑っていた。膨らませた頬からは、ぷすぷすと空気が漏れる音がする。
ええい! 笑いたかったら、笑えよ。その気持ち悪い顔の方が、よっぽど傷付くわ。
『ワァウ!』
唐突にリルが吠える。
鼻先を北の方に向けるのを見て、次に奴を発見したのは、霊視ができるパメラだった。
「ゼレット、あれ!」
指差した方向に、スターダストオークスの子どもがいた。
俺にも薄らと見えるほど、存在感があり、心なしか俺を睨んでいるように見える。
魔物が全滅しても、子どもは逃げなかった。何を考えているのか、俺にもわからない。
俺たちを親の仇とでも思っているのか。荷物にある『星屑ミルク』がほしいのか。単純にもうあのスターダストオークスも、もう動けないのか。
どれでもあるように見えて、どれでもないように俺には思えた。
「そうか。霊体であるスターダストオークスの『星屑ミルク』が飲めるのって、あの子どものためなのね」
パメラは手を打つと、俺は頷いた。
前にも言ったが、スターダストオークスは歳を重ねれば重ねるほど、その肉体が希薄になっていく。しかしそこから絞り出される生乳が飲めるのは、まだ肉体のある子どものためなのだろう。
俺たちが、その神秘的な姿の中にある悲しい運命に思いを馳せていると、ついにスターダストオークスの子どもは動き出す。
背を向けて、ゆっくりと西側にある山の方へと歩き出した。
軽く尻尾を振りながら、親と別れた子どもは森を離れる。今後は親の命令はない。真に厳しい自然界で揉まれることになるはずである。
もしかしたら、スターダストオークスの巣立ちとは、親が死んだ瞬間なのかもしれない。
そう思うと、少し感傷めいた気持ちになった。ほんのちょっとだけ、俺にも通じるところがあるからだ。
「逃げちゃうよ、ゼレット。追いかけないの?」
「忘れたのか、パメラ。俺たちの目的はスターダストオークスの『星屑ミルク』。スターダストオークス本体じゃない」
「ふふん」
「何かおかしいことを言ったか?」
「別に……。ゼレットも大人になったなって」
18の成人男性に、何を言っているんだ、パメラの奴は?
「ちょっと前のゼレットなら、討たせろって大騒ぎしてたでしょ?」
確かにスターダストオークスを討伐できれば、俺の名声はますます上がるだろう。
でも、俺は名声などには興味がない。
そもそも俺が興味があるのは……。
「Sランクの魔物だけだ。“幻”と言われようが、相手はAランク。興味がない」
「ホントかな? 『幻の魔物』を討てるって聞いて、最初は嬉しかったんでしょ」
パメラはニヤリと唇を釣り上げて笑う。
全く……。我が幼馴染みながら、相変わらずデリカシーがない奴だ。
「ゼレット殿」
アネットが進み出てくる。
「確認したところ、騎士団員は誰も欠けておりませんでした。これもゼレット殿のおかげです」
「礼なら俺だけじゃなくて、リルとパメラにも言うんだな」
「ありがとうございます、リル殿。パメラ殿」
『ワァウ!』
「いえいえ。別に……。私は何もしてませんよ。やったのは、ゼレットなんで」
「しーしょー! 僕は! 僕は!!」
目をバッテンにしながら、俺の視界に入ってきたのは、不肖の弟子だった。
お前はほとんど何もしてないだろ、今回。まんまと幻覚に操られてるし。怪我人が出なかったのが、不幸中の幸いだ。
プリムが本気で暴れたら、エトワフの森がどうなっていたかわからない。
「お礼と言っては何ですが、ここからだとヴァナハイア王国に戻るよりも、カルネリア王国王都に戻る方が早い。王宮にご案内いたしますので、是非お立ち寄り下さい」
「え? 王宮にご招待していただけるんですか? あ……でもぉ、私たち『星屑ミルク』を一旦届けないと……」
「いいだろう。案内しろ」
そう言うアネットは頭を上げて、顔を輝かせた。
「いいの、ゼレット?」
逆にパメラは怪訝な表情を浮かべる。
「ああ……。構わん」
俺は腰に下げていた魔法袋を叩く。
「ギルドから提供してもらった冷凍袋なら、1週間以上は鮮度を保っていられるはずだ。それに――――」
「何か目的があるのね」
「ああ。カルネリア王国には依頼されている魔物が棲息している」
「ほう……。それはどのようなものでしょうか?」
アネットは質問する。
俺は目を光らせこう言った。
「名前はケリュネア――――」
『神の使い』と呼ばれる魔物だ……。
次回からはカルネリア王国篇。
DMやレビュー等からいただいたアイディアを元に書かせていただきました。
楽しんでいただければ幸いです。