第36話 侯爵夫人、裁かれる
◆◇◆◇◆ ヘンデローネ side ◆◇◆◇◆
ヘンデローネはウキウキしていた。
彼女がいるのは、王宮に設けられた彼女専用の貴賓室である。
重厚な衣装箪笥に、使い勝手のいい化粧机。鏡は勿論三面鏡で、凹凸はなく綺麗に磨かれている。
机の引き出しを引けば、ブランド物の化粧品が並び、先ほどから子どものようにはしゃいだヘンデローネは、最新ブランドの化粧品を取っ換え引っ換えしながら試していた。
極めつけは豪奢な金細工で彩られた天蓋付きの寝具である。マットレスは柔らかく、広々としていて、かび臭い匂いは一切しない。
各国の要人も泊まる可能性がある部屋だけあって、どれも一級品だった。当たり前ではあるが、漁民街で泊まったホテルとは雲泥の差だった。
ヘンデローネにとって、これぐらいの待遇は当たり前である。
侯爵ともなれば、いよいよ王にも目が留まるほどの爵位だ。実際、何度も王宮を訪れていて、今の待遇はさして珍しいことだとは思っていない。
そのヘンデローネが、思わず重いお尻を振ってしまうのには訳があった。
女王陛下直々の呼び出しがあったからである。
実際、これまでヘンデローネを王宮に召喚してきたのは、官位で言えば大臣級であり、爵位で言えば公爵が最高であった。
いずれも名誉ではあるのだが、実務の呼び出しがほとんどであったため、面白味に欠けるものだったのだ。
しかし、今回は女王陛下の直々の呼び出し。
間違いなく栄誉である。さらに言えば、呼び出された理由もわかっている。
おそらくチチガガ湾をリヴァイアサンから解放した功績に違いない。
まさかあんなかび臭い漁港に滞在していただけで、女王に謁見の栄誉を賜るとは……。たまには我慢も必要だと、ヘンデローネは思わず鼻唄を歌った。
「これはもしかしたら、もしかしてだけど……公爵位の授与なんてことも……」
爵位が上がることは、貴族共通の目的であり、夢である。
平和な時代が続き、階級を上げることが難しい昨今だが、いつの世の国民のために働くものは、その功にふさわしい爵位が与えられてきた。
特に民心を動かすような功績は、通例として受けが良く、今回も十分当てはまる。
「ヘンデローネ侯爵夫人……。そろそろ――――」
不意にノックが聞こえ、支度を調えたヘンデローネは、近衛に案内されて王宮の赤絨毯を進んでいく。
謁見の間の前で待っていると、おもむろに両開きの鉄扉が重々しい音を立てて開いた。
聞こえてきたのは、温かな拍手。
眩いシャンデリアの明かり。
祝福する人々の笑顔。
……などではない。
拍手はなく、過剰な明かりもない。
祝福する人々どころか、謁見の間に佇んでいたのは剣を掲げた近衛と、見慣れた大臣と、そして玉座に肘を突き、物憂げな表情を浮かべた女王が座っているだけだった。
舞台挨拶に立つ女優のように晴れやかな顔をしていたヘンデローネは、その寒々しい空気を察して一気に凍り付く。
一瞬、場所を間違えたのかと思わないわけではなかったが、謁見の間の奥で佇む女王の姿は、間違いなく国の君主エミルディア・ロッド・ヴァナハイアであった。
ヘンデローネは凍った湖面を歩くように慎重に進んでいく。
背後の扉が閉まる音を聞いて、退路が断たれたことを悟ると、ますます顔が青くなっていった。
「そこまで」
大臣が進み出て、促す。
事務方最高位とは思えないほどの小男の大臣は、小人族である。
さらに言えば陰険な目をしていて、今にも「お前、何をやったんだ」と舌打ちが聞こえてきそうだった。
ヘンデローネはドレスを摘まみ、頭を下げて典礼に則る。
立礼のまま女王の話を聞く。ヴァナハイア王国では女王が国王であるため、女性優位の施策が採られている。
そのため女王の前では、男は膝立ち、女は立礼を許されていた。
「久しいな、侯爵夫人。我が4番目の子リルダの祝いの席以来か」
「覚えていただきありがとうございます、女王陛下。リルダ様がまだほんの赤子だった頃を、今も昨日のことのように覚えておりますわ」
ヘンデローネは微笑むことに努める。
ぎこちないことなど百も承知だ。
今はとにかく少しでも、この謁見の間に流れる空気を変えておきたかった。
「ふむ。さて――――」
挨拶もそこそこに女王は本題に入る。
しばし他愛もないやりとりをして場をほぐす時間などヘンデローネには与えられなかった。
不可避の速攻に、ヘンデローネは為す術なく流されていく。
「夫人を呼び出したのは他でもない。チチガガ湾の件だ」
「は、はい!」
キタァァァアアアアアア!!
死んだ魚とまでいかないものの、輝きを失っていたヘンデローネの瞳が、山の稜線から上ってくる朝日の如く輝き始める。
「そうです! あれはあたしが――――あ、いえ。正確にはあたしが出資しているハンターギルドですが――――まあ、それでもあたしがやったと言っても過言ではなく」
ヘンデローネは藁にも縋る思いで、自分の功績を伝えた。焦りが舌の根に伝わり、つい早口になってしまう。
ただ、もうこの空気を変えるためには、チチガガ湾の功績を徹底的にアピールするしかない。そのためには、多少の誇張もやむを得ないと腹をくくった。
しかし、女王の反応は冷ややかだ。
玉座のすぐ下に控えた大臣と小声でやりとりをした後、質問を続ける。
「チチガガ湾でのそなたの件は、聞いている」
「陛下のお心に留めていただき光栄です」
ここぞとばかりにヘンデローネは、頭を垂れた。
完璧なタイミング……かと思われたが、聞こえてきたのは「トントントントントントントントントントン」という連打だった。
見ると、女王が肘掛けを指で叩きまくっている。
顔こそ平静を装っているが、しっかりと結ばれた口元は明らかに怒っているように見えた。
「ハンターたちを集め、リヴァイアサンを追い払ったそうだな」
「はい。ハンターたちはよく仕事をしてくれました」
ヘンデローネは頭が悪いわけではない。
自分の功績にするのではなく、下々を持ち上げることによって、心証が良くなることぐらい心得ている。
だが、1つ欠点を上げるとすれば、魔物のことになると入れ込みすぎることだろう。
「ふむ。だが、聞いたところチチガガ湾の漁民たちは、リヴァイアサンの討伐を望んでいた。そのため最初ハンターギルドは、とても消極的だったと聞いたが……」
ヘンデローネの表情が曇る。
「陛下、お言葉ですが、リヴァイアサンはとても賢い生き物です。これは噂程度の情報なのですが、母竜は決死の覚悟で卵を産み、死してもなお子どもを守ったとか。あたくし思いましたのよ。例え魔物であろうとも、親子の絆があると……。美しいとは思いませんか。魔物に愛が芽生えたのです」
美しい創話を歌うように語り、ヘンデローネは目を輝かせた。
一方で、女王の指はさらにせわしなく肘掛けを叩く。
やがて、それも虚しく感じたのか、ついに女王は1つ息を吐いた。
「はあ……。話を変えよう、夫人」
「は、はい」
「5日前のことだ。チチガガ湾から東にあるワスプ王国の船が転覆した。幸い乗組員は他の船に救助されて、死者こそ出なかったが、船にはワスプ王国の王子――次期国王になる方も乗船していた」
「そ、それは不幸中の幸いでした……。ワスプ王国は我が国と古くから同盟関係にある、言わば姉妹同然の国。その未来の国王陛下が無事だったことは、喜ばしく――――」
大げさに身振りを交えながら、ヘンデローネは哀悼の意を表す。
しかし、それを遮ったのは、女王陛下だった。
「ああ。ただ問題は転覆した原因だ。複数の目撃証言と、船体に残った痕跡から、ワスプの船はリヴァイアサンの衝突によるものだと判明した」
「り、リヴァイアサン……!」
やや余裕が出てきたヘンデローネの顔が、一気に青ざめる。
「その海域でのリヴァイアサンの目撃例はゼロ。ただしチチガガ湾から逃げたリヴァイアサンを除けばの話だ。日にちもタイミングも合致する」
「ぐ、偶然――――」
「ワスプ船に残ったリヴァイアサンの皮膚を採取し、こちらで保存していた皮膚を鑑定魔法を使って照会したところ、同一個体で間違いないとわかっております」
ヘンデローネが言いかけたのを遮るかのように、大臣は手に持っていた報告書の中身を告げた。
「そ、そんな――――」
「ワスプ王国には包み隠さず伝えた。誠実に答えることこそ、問題の解決に繋がると思ったからだ。『我が国ではSランクの魔物の保護政策の議論の真っ最中であり、リヴァイアサンを追い払う以上のことはできなかった』とな」
すると、相手国の王子はこう返してきたという。
貴国は産卵期のリヴァイアサンを討つ絶好の機会を逃すほど、魔物の被害に困っていないのですね。我が国としては非常に羨ましいと言わざるえない。
「…………」
ヘンデローネは絶句した。
「この程度の皮肉で、ワスプ王国との同盟が破棄されることはない。そもそも転覆事故は、ワスプ国内の領海内で起こったこと。リヴァイアサンの接近に気付かなかった乗組員の落ち度もあろう。ただ我が国の領海内で起こっていれば、責任者の中にそなたの首も含まれていただろうがな」
「ひっ……」
女王の氷のような瞳に、ヘンデローネは思わず悲鳴を上げた。
立礼を維持できず、腰砕けになる。股をさらけ出す卑しい娼婦のようなポーズになり、慌ててスカートを閉じて中身を隠した。
「教えて欲しい、ヘンデローネ。外交史上稀に見るこの嫌味を効かせた返礼に、妾はどう回答すればいい?この屈辱に対して、ただ真摯に頭を下げることしかできない妾の怒りのやり場を、どこに向ければいいのだ!」
「じょ、女王陛下! それならば、事実を伝えればいいのです。魔物は賢く、愛を知る生物だと。人間とわかり合える生物だと」
ヘンデローネはここぞとばかりに反論に出る。
すっくと立ち上がり、女王に訴えかけるが、帰ってきたのはやはり氷のような眼差しであった。
「ならばヘンデローネよ。そなたは今どこにいる?」
「はっ?」
「今、王国議会では魔物の保護政策について、喧々諤々と議論をしているそうだが、それは果たして意味があることなのか?」
「勿論です、陛下。我々は――――」
「ならば、何故その議論の中に魔物が含まれておらぬ」
「え――――?」
「リヴァイアサンの時もそうだ。そなたはずっと後方で見ていたそうだな。リヴァイアサンが賢く、愛を知るならば、その言動を以て説得すればいいのではないか?」
「それは――――あ、あたしがやることは、法案を提出することであって、あたしの役目ではなく」
「では、誰が魔物と対話する。その者を連れて参れ。そして、その結果を報告してはくれまいか。ならば、ワスプ王国にも心地よい返答ができよう。『我が国の責任者が、リヴァイアサンにこれ以上船を壊さないでくれと頼んだにも関わらず、リヴァイアサン側が反故にしたのだ』とな。――――うむ。勢いで口にしてみたが、実に洗練されていて、頭が悪そうな返答だ」
「へ、陛下……」
口にしたが、ヘンデローネは反証を見つけることすらできない。
すでに女王の顔は怒りに満ち満ちており、1滴垂らすだけで決壊してしまいそうな危うさがあった。
「女王命令だ、聞け」
それはヘンデローネだけに言ったわけではない。
謁見の間にいるすべての家臣に、女王は告げた。
「王国議会で議論されている魔物の保護政策について一時凍結する」
「へ、陛下! それはご無体というものです。どうかご再考を!」
「妾は廃案にしろ、と言っているわけではない。そなたが魔物と対話し、魔物たちが保護政策に同意するという言質が取れれば、再び保護政策についての議論を始めることを許そう」
「そ、そんな無茶苦茶な!!」
「無茶? おかしいな……。お前はその無茶をチチガガ湾の漁民や、ハンターたちに押し付けてきたのではないか」
「それは――――」
ヘンデローネは顔を背ける。
またも反論の余地がなかった。
「魔物との対話をするためには、魔物が多く出る土地に領地替えをするのが良かろう。大臣、適当な土地はないか?」
「それならば、我が国の北――現在、オーグリア伯爵閣下が治めている領地が良いかと。あそこには、魔物が多く住む『黒い森』に、魔物の王の一角『地戦王』エンシェントボアの住み処があると聞きます」
「ち、地戦王…………」
ヘンデローネはそれだけ言って、絶句する。
その土地の過酷さは、伝え聞いていた。北の地ゆえに、年の7割は雪に閉ざされ、魔物も巨大で強力なものが多いという。
「ふむ。絶好の場所ではないか。夫人が好きな魔物がよりどりみどりだ」
「へ、陛下! ど、どうかご勘弁を……。そんな危険な場所に送られては、我が身が持ちません」
「黙れ、ヘンデローネ。今後、妾に口答えすることをすべて禁じる。……ここにそなたを呼ぶべきではなかったな。そなたの言葉、口調、香水の香りと同じ鼻を突く自尊心……。すべてにおいて妾を苛つかせる」
ついに女王は玉座から立ち上がると、目をカッと開き睨んだ。
「そうだ。魔物と対話するのに、爵位は必要なかろう」
女王は一転し、薄く微笑む。
その言葉の先にある内容を想起したヘンデローネは、駄々をこねる子どものようにイヤイヤと首を振った。
「お待ち下さい、陛下! それだけは!! ヘンデローネ家は古来より、国と王に仕えてきた名家です! あたしの代で、爵位剥奪されれば祖先にどう詫びれば」
「聞こえなかったのか、ヘンデローネ。いや、デリサ。妾はこれ以上話すことを禁じたはず。国と王に仕えてきたことを誇るならば、最後までその命令に素直に従うのが筋であろう」
「あ、ああ……」
「せめてもの情けだ。領地替えは取り消してやろう」
「え?」
「デリサ・ヘンデローネ、お前とその家族を北の地へと追放する」
「そ、そんなああああああああああ!!」
ヘンデローネは頭を抱え、再び腰を絨毯につけて陥落するのだった。
◆◇◆◇◆
ヘンデローネが追放され、ガンゲルは頭を抱えていた。
過剰な保護政策は女王によって一蹴され、事実上廃案となり、ハンターギルドでもSランクの魔物の討伐が可能になった。
それはハンターギルドが、元の正常な組織に戻ったことを意味するが、事はそれだけに留まらない。
ハンターが集まらないのだ。
それは、Sランクの魔物を討ち取ることが可能なハンターが集まらないという意味だけではない。
事の発端は、先日の4000万グラという料理ギルドの報酬であった。
それがガンゲルやヘンデローネの手によって、ハンターたちに周知されてしまったがために、ゼレットのようにハンターギルドを離職するものたちが、後を絶たないのである。
ハンターが離職し、数を減らしていくことは、ガンゲルにとって更なる悲劇を生んでいた。
パトロンが捕まらないのだ。
貴族たちがギルドなどを支援するのは、もちろん社会貢献だが、例えば何か議会で法案や予算を通したい時、世論を動かすために動員票というものが必要になってくる。
ヘンデローネがその典型例であった。
つまりハンターが減れば、当然票数も減る。そのため支援先としての価値が下がり、パトロンが捕まりにくくなるのだ。
ハンターギルドは正常化したことによって、依頼数が増えていることは大変喜ばしいが、もはやEランクの魔物の討伐ですら、ハンターが見つからないという悪循環に陥っていた。
その影響は、ガンゲル自身にも及ぶ。
「ちょっと! 下水に詰まったスライムの退治にいつまでかかってるのよ」
「は、はひぃ!! 今すぐ!!」
怒り心頭の主婦の声に、ガンゲルは背筋を伸ばした。
街中を通る下水路に、膝上まで浸かったガンゲルは、手に持っていたナイフを取り落とす。
「しまった!」
ヘドロ状になった下水に手を突っ込み、ナイフの感触を探すがなかなか見つからない。
やっと見つけて掴んだと思った瞬間、思いっきり刃の部分を握り、手を切ってしまった。
「ぎゃああああああああ!!」
「ちょっと! 何やってんのよ!! 早くしないと、依頼料払わないわよ」
主婦はプリプリと怒って、離れて行く。
ガンゲルは見送った後、「はああああ……」と大きく溜息を吐いた。
「私……。何をやってんだろ」
転職するか……。
空に向かって呟くのだった。
【作者からのお願い】
今日のお話は如何だったでしょうか?
「面白かった」「続きを早くみたい」と思っていただけましたら、
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本日『「ククク……。奴は四天王の中でも最弱」と解雇された俺、なぜか勇者と聖女の師匠になる』の更新日になります。ニコニコ漫画で連載しておりますので、そちらもよろしくお願いします。