第26話 公爵令嬢 vs 侯爵夫人
「よ、4000万グラ、だと……」
話を聞き終えたガンゲルは、ガッと口を開いた。
さすがにショックだろう。
自分が提示した金額の20倍以上なのだ。
貧乏ギルドマスターには、一生縁のない金額になるはずである。
その途方もない金額を聞いて、ガンゲルは考えることもやめたようだ。
眉間に皺を寄せながら、頭から潮でも吹きそうな勢いで俺に詰め寄る。
「ゼレット! お前は騙されてるぞ!! リヴァイアサンに4000万グラなんて出す奴がいると思うのか?」
「あら? それって、アストワリ家がゼレット様を騙しているということでしょうか?」
「いえ。それはそのぉ……」
今度はラフィナが、ガンゲルに詰め寄る。ラフィナが明確に表情に出すことはなかったが、逆に冷ややかなところが余計に怖い。
先ほどまで、俺に対して目くじらを立てていたガンゲルだったが、すっかり縮こまってしまった。
この内弁慶ギルマスの座右の銘は「長いものには巻かれろ」だ。
ナイフや魔法よりも、身分という盾が1番効果がある。
公爵令嬢ともなれば、効果覿面だ。
それにガンゲルは「リヴァイアサンを追っ払う」と言った。討伐するとは一言も言っていない。
おそらくリヴァイアサンを殺すことは、依頼主からお願いされても、後ろ盾である貴族たちからは許可されていないのだろう。
どっちが騙しているかと言われれば、一目瞭然だ。
「あら、こんなところにいた。何を油を売っているのよ、ガンゲル」
キツい香水の匂いが鼻を衝く。パラソルの下で寝そべっていたリルが、頻りにくしゃみし、やや恨みがましそうに顔を上げた。
俺の視界の隅に入ってきたのは、1人の淑女である。
おそらくガンゲルが言っていた新しいパトロンだろうが、俺にはやたら高価な服を着た海象にしか見えない。
本来ゆったりしたサイズで着こなすサマードレスがパンパンに膨らみ、熟成中のハムみたいだった。
「ヘンデローネ侯爵夫人! ど、どうしてここに?」
ガンゲルは渡りに舟とばかりに、ヘンデローネと呼んだ侯爵夫人にすり寄る。
「あなただけに任せておくのは頼りなくて、わざわざ来てみたのよ。それで? あたしの船はいつ出航できるのかしら?」
「もう少しでございます。い、今しばらくのご辛抱を」
ガンゲルはそのまま火でも起こせるのではないかと思う程、揉み手を擦る。
その気色悪い営業スマイルを一瞥したヘンデローネは、軽く舌打ちした。
周りのハンターがまごまごしている姿を見て、さらに腹が立ったらしい。
「雁首を揃えて使えない奴らねぇ。魔物1匹追い払うことすらできないの? 船でも出して、沖の方に誘導すれば済むことじゃない!」
「い、いや~~。確かにごもっとも! 早速、漁師から船を――――」
「だったらお前の船でやればいい。できるものならな」
俺は「高級完熟マンゴーとライチ&ココナッツのソルベパフェ・スパークリングシャーベットとカルダモンの香り」という、やたら長いデザートを頬張る。
マンゴーがとろけるように甘く、少しワインが入ったかき氷はシャキッとして、暑い夏にピッタリだった。
「何、この男?」
ヘンデローネは眉を顰める。
「こいつの名前はゼレット。うちの元S級ハンターです」
「ああ……。噂を聞いているわよ、S級ハンターさん。Sランクの魔物しか討伐しないそうね」
「それがどうかしたのか?」
「あのね……。魔物は1つの生命よ。特にSランクの魔物は賢いし、人間よりも遙か前から生きていた生物ばかりなの。そんな貴重な命を、人間の住み処が荒らされたぐらい目くじらを立てるなんて、自分たちがどれだけ強欲で愚かなことをしているか、わからないのかしら」
おいおい。こいつの記憶量は、一体どうなっているんだ。
話を察する限り、ヘンデローネの船が港にあって、リヴァイアサンのおかげで出航することができない。そのため、リヴァイアサンをさっさと追い払えと言っていたのは、どこの誰だ?
ヘンデローネの話を聞きながら、俺はおろかオリヴィアも、パメラも、ラフィナも唖然としていた。
気にしていないのは、波打ち際で砂の城を建てているプリムぐらいだろう。
「ご無沙汰しております、ヘンデローネ侯爵夫人」
話に割って入ったのは、ラフィナだった。
パレオの裾を掴みつつ、典雅に挨拶をする。
「どこの馬の骨かと思ったら、アストワリ公爵家のご令嬢じゃありませんか。はしたない恰好をしているから、わかりませんでしたわ、おほほほほ」
ヘンデローネの舌鋒は、公爵令嬢を前にしても留まらない。水着姿のラフィナを一刀両断すると、みっともないとばかりに扇子の中に顔を伏せてしまった。
俺から言わせれば、ラフィナの水着姿よりも、ボンレスハムみたいな状態のヘンデローネの恰好の方がはしたないと思うのだがな……。
「これは失礼いたしました。確かに淑女から外れた行為かも知れませんが、この姿こそがもっとも人間の生まれた姿、あるいは原初の姿に近いとわたくしは感じますわ。服を着飾るのも、人間の本来の姿から外れ、ましてそれを強要することもまた強欲と思いますがいかがでしょうか?」
ラフィナは顔色1つ変えず、しかも笑顔で質問を返した。
相手の人となりはそれなりに熟知しているのだろう。十代とは思えない落ち着いた様子で、会話を続けた。
「ふん。偉そうに……。公爵様も随分と変わった教育をされたのね」
「よく言われます。『口喧嘩では、お前と母さんには勝てない』と……」
「もういいわ。それで公爵令嬢が、こんな所で何をしているのかしら?」
「投資先の確認に、ですわ」
「投資先? ああ。そう言えば、あなた料理ギルドのパトロンをなされているのでしたね。まものしょくでしたか? 社交界を席巻しているとか。命を食すなんて、なんとおぞましい……」
「あら? 牛や豚だって命ですわ」
「何もその命の種類を増やす必要なんてないでしょう。牛や豚だけでも十分生きていけるのですから」
「生きていけるかもしれませんが、心が貧しくなってしまいますわ」
あなたのように……とばかりに、ラフィナは挑戦的な視線を向ける。
相手が公爵令嬢とて1歩も引かないヘンデローネもそうだが、自分よりも遥かに年上で社交界の重鎮である侯爵夫人に対して、舌戦に負けないラフィナもラフィナだった。
「それが強欲というのよ、小娘」
「あら、動物だっておいしそうな木の実かそうでないかぐらいは選別いたしますわ。生き物としてそれもまた自然なことなのです。それを節制することもまた、人間の欲というのものではありませんか?」
「本当に生意気な娘だこと」
「それは褒め言葉と受け取っておきますね」
2人の間にバチバチと火花が散る。
しばらく睨み合った後、最初に目を切ったのはヘンデローネだった。
「何を考えてるか知らないけど、リヴァイアサンは討伐させないわ。まして食べるなんて以ての外よ」
「我々の目的は、正確にはリヴァイアサンではありませんのでご安心を、侯爵夫人」
そして侯爵夫人と公爵令嬢は、互いに背を向けた。
緒戦は引き分けといったところか。
それにしても、女の戦いは怖い。
2人の火花を消すことよりも、Sランクの魔物を討伐する方がよっぽど容易に見える。
「何、あれ……!? 感じ悪い、ベーだ!」
2人の戦いを眺めていたパメラは舌を出す。
オリヴィアは心配そうにラフィナを見つめた。
「よろしかったのですか、ラフィナ様。お立場を悪くされるのでは?」
「ご心配なく……。社交界ではあれぐらいの小競り合い、日常茶飯事ですから」
「でも、ラフィナ様の方が、爵位は上なんでしょ? なんで、あんな口が聞けるのかしら」
「爵位が上でも、わたくしは当主ではありません。対するヘンデローネ夫人は正統な侯爵家の当主。しかも、社交界にて一定の影響力を持つお方です。その方からしたら、わたくしは名前だけ大層な鼻持ちならない小娘なのでしょう」
ラフィナは冷静に分析する。
「とはいえ、思ったよりも頑な方ですね。ゼレット様が、嫌気を差してギルドから出て行った気持ちもわかりますわ」
「別に……。あのパトロンと出会ったのは、これが初めてだ。だが、今改めて思った。退職して正解だったとな」
「じゃあ、転職を勧めた私の目に狂いはなかったってことね。もっと感謝してもいいのよ、ゼレット」
パメラはちょっと自慢げに胸を反った。
さてそれはどうかな。今の料理ギルドも、Sランクの魔物を討てないという点においては、ハンターギルドと状況は変わらない。
確かに条件や待遇には驚かされるが、俺にとってSランクの魔物を討つということが、何よりの優先条件となるからな。
パメラの勧めが正しかったと証明するには、これから次第といったところだろう。
「それよりも気になっていたのですが、随分と静かですね」
最初に疑問を呈したオリヴィアは、海の方を見る。
今日の海は穏やかで、波は一定のリズムで打ち寄せていた。
ついウトウトしてしまいそうなのんびりとした時間が、浜辺に流れていた。
騒動のおかげで、海水浴客は俺たちぐらいで、あとはギルドに召集をかけられたハンターだけ。
そのハンターたちも息を潜め、獲物を待っているという状況だ。
「リヴァイアサンが活動しているとは考えられないぐらい、海は穏やかだな」
「それはわたくしも気になってましたわ」
「本来なら、こんなところで遊んでいる場合ではないんだよね」
パメラは誤魔化すように持っていたビーチボールを後ろ手に隠すが、さすがに今さらだった。
「もしかして、リヴァイアサンはハンターに恐れなして、逃げたとか?」
「それはないな。ここにいるヤツらは全員雑魚だ。この程度のヤツらに、リヴァイアサンが恐れをなすことはあり得ない。まあ、あながち間違いではないだろうがな」
「もしかして、ゼレット……。自分がいるからだとか言うんじゃないでしょうね」
パメラはビーチチェアでくつろぐ俺に、ジト目を向けた。
「半分正解……」
「え? 半分? じゃあ、正解は?」
「リルを恐れているんだよ」
俺は手を伸ばし、モフモフの毛を撫でる。
リルは神獣の末裔だ。その気配は強大で、特に高ランクの魔物となれば、敏感に警戒する傾向にある。
言わば、この状況はリルが生み出した見えない結界による静けさなのだ。
「リル、すごい!」
パメラは飛びつき、リルの毛をわしゃわしゃと撫でる。
毛の柔らかさの虜になったパメラは、リルの身体に餅のようにくっついて、そのモフモフを堪能した。
ついには語彙を消失し、「モフモフ」しか言えなくなってしまう。
リルの毛は、ある意味魂を引き抜くからな。まあ、仕方ないことだ。
「ですが、我々の目的はリヴァイアサンの卵。沖にいられては、卵の在処がわかりませんわ」
「そうです、ゼレットさん。産卵を諦めて、違う場所に移動した可能性だって」
「リヴァイアサンはそんな柔な魔物じゃない。リルが何もしないと確認したら、必ず湾内に入ってくるさ」
そして、その瞬間はそう遠くはないと、俺は睨んでいた。
月間総合12位まできました!
あともうちょっと!
更新頑張るので、
気に入っていただけましたら、ブックマークの登録。
↓の広告下にある☆☆☆☆☆をタップしていただき、作品を評価してもらえると嬉しいです。
よろしくお願いします。