第209話 元S級ハンター、王と相対する
リルの背に乗り、やってきたのはヴァナハイア王国北方にある街だ。ドングルという街だったそこには、今や何もない。何かがあった痕跡すらなく、ただただ更地が広がるのみだった。
「何にもないね~、師匠」
「ああ。俺の故郷の時と一緒だな」
不意に墓参りした時の光景がフラッシュバックする。一体どれだけの人々がなくなり、そしてどれだけの人々を残して消滅したのだろうか。ふとそんな益体もないことを考えていた。
現場にはすでに各地の街の役人や衛兵たちが集まってきていて、更地となった街のことを調べている。中には同業者らしき姿もあるが、まだ少ない。100億に吊られて、すでにわんさか命知らずが集まってきているかと思ったが、相手が相手だ。よほどの馬鹿か、腕に覚えがあるものぐらいだろう。
「プリム、お前の目で何か痕跡みたいなものは見つからないか?」
弟子の目は人のそれをはるかに超えて、高性能だ。俺たちには見えないものまで見えている。残念ながらそれを出力する方法に難があって、100%性能を引き出しているとは言えないが……。
「うーん。わかんない。師匠の故郷を見た時と一緒だよ。何もない」
俺はふとプリムの言い方が気になった。
「もっと詳しく話せ。何もないっていうのは、お前風に言えばどういうことなんだ?」
「ん? えっとね。何にもないってのは、何にもないんだよ。人の臭いも、虫の臭いも、動物の臭いもしない。ついでに魔素だって、この空間からなくなっている」
その話を聞いて、俺はぞっとした。
臭いはともかくとして、魔素がないというのはおかしい。魔素は空気中に含まれているもの、消費されたとしても周囲の植物や鉱物、あるいは空気の中に含まれる見えない精霊によって再生するはずだ。
その魔素がないということは、自然界においてある意味非常識なことだった。
「まるで魔素を生成するその機能すら奪ったみたいじゃないか……」
あくまで仮定の話だが、俺が【角王】キングコーンに接触すれば、魔素や魔力を生成する機能が失われる可能性があるということでもある。
考えてみれば、魔素は物質を形作る根源の元素と呼ばれている。確かに魔素そのものを物質が生成できなければ、形作ることができず、消滅してしまう可能性は高い。
キングコーンはおそらく俺たちの根源部分を破壊することができるのだろう。
「プリム、リル、聞け。これは俺の憶測だが、キングコーンと対峙すれば、俺たちが消滅する可能性は高い。それでもついてきてくれるか?」
今までこうしてプリムとリルに、尋ねたことはほとんどない。こいつらは当たり前のように今まで俺についてきてくれた。俺もそこには疑問はなかった。Sランクといわれる魔物と相対することになってもだ。
それだけ今回のキングコーンは、手強いということでもある。俺になりに奴を調べ、勝算はあるにしろ、絶対無事とはいえない。むしろ無責任だ。
「師匠、何を言ってるの?」
「はっ?」
「師匠は、いつまでもボクの師匠だよ。ついていくに決まってるじゃん」
『わぁう!』
プリムが胸を叩けば、リルも力強く吠える。
どうやら、聞くまでもなかったらしい。
「死ぬ時は一連沢庵だよ!」
「カッコ良く決めてから、不吉なことを言うな。あと、それを言うなら、一蓮托生だ」
プリムの頭を叩く。
やれやれ。本当は撫でてやりたかったんだがな……。
だが、まあ……。これが俺たちでもある。いつものゼレット組だ。
「プリム、魔素の薄くなってる方向がわかるか?」
仮にキングコーンが魔素を食うなら、その移動方向に魔素が薄い場所があるはずである。
「うーん。あっちかな?」
そう言って、プリムは俺の後ろを指差した。それは俺たちが先ほど来た方向だが、キングコーンらしき姿はなかった。読み間違いかと思ったが、今はこの仮説を信じるしかない。ともかく俺たちは引き返すことにした。
◆◇◆◇◆
俺はリルに乗りながら、地図を広げる。
この辺りは近年の気候変動から雨が少なく、すっかり荒れ地になっていた。昔は広大な牧草地帯で、よく遊牧民が馬や羊を連れて、牧草を食べさせに来ていた。しかし、見えるのは砂や枯れた木。枯れ草すら見えない状態だった。
「どうだ、プリム?」
「うーん。ちょっとわかんなくなった」
「この辺りは魔素が薄いからな」
魔素は鉱物でも生成されるが、ミスリルや宝石といったものを除けば、生成される量が少ない。つまり生命が少ないほど、自然と空気中の魔素量が墜ちるのだ。
「一旦作戦の練り直しだな」
リルに止まるようにいって、俺たちは荒野のど真ん中で作戦会議を始める。
奴が16年後に活動始めた理由はわからないが、ともかく今まで俺が目を通した文献によれば、奴の狙いは人間だ。特に人間が多く住む集落や街などを襲う傾向にある。ならば、ここから近い街に網を張れば、かち合う可能性は大いにある。
「1番近い街はセトロか」
あくまで勘だが、今はそれを信じるしかない。俺はリルに東に向かって走るように、太い首を軽く叩いた。
◆◇◆◇◆ 8時間後 ◆◇◆◇◆
俺たちはセトロの街に到着する。
「遅かったか……」
広がっていたのは、先ほどドングルで見たものと同じ光景だった。確かセトロは古い城塞都市だったはず。規模はドングルより小さいが、多くの衛兵が詰めていたはずだ。
しかし、その衛兵の姿はおろか、『魔法』や『戦技』を繰り出した形跡すら存在しない。
「師匠……」
「ああ。俺にはなんとなくわかる」
プリムが何もないと言った感覚が、今ならわかる気がする。うすら寒い。気温がどうこうという問題ではない。魔素が薄いことによって、身体が異常を訴えている。高い山に登ったかのように、自然と息が切れた。
「ということは、まだ近くにいるな、あいつは」
俺は地図を広げる。
セトロから近い集落や街は2つ。
1つは森に囲まれた村落。もう1つは川の側にある小さな街である。人口の規模からいえば、後者がターゲットになりやすそうな感じだが、果たして……。
「悩んでる場合じゃないな」
俺はリルに行く先を告げる。
神獣の子は全速力で南に走った。
◆◇◆◇◆
黄昏時の森の中……。
立ちこめてきたのは霧だった。
それも普通の霧ではない。強い西日にあっても、陽の光を飲み込むほどの強烈な黒だった。
黒い霧は波のように森に押し寄せ、黒く包む。森が飲まれていく光景を見ていた近隣の住民たちは、最初蝗虫か何かの群れだと思い、パニックになる。手に持ったものを捨て、母親は近くにいた子どもの手を引いて、逃げ始めた。
霧はさらに村に押し寄せ、建物や壁を黒く塗りつぶしていく。いよいよ集落そのものを捕食しようとした時、炎が霧を貫いた。
強烈な光を伴って、霧の中を貫通する。さほど何かが起こったわけではないのだが、霧の動きが止まったことは確かであった。
「どうやらこっちで正解だったらしいな」
「すごいよ、師匠。師匠の勘、滅多に当たらないのに!」
「ば――馬鹿弟子! 余計なことを言うな! ちゃんと考えてこっちを選んだぞ、俺は!!」
現着して早々に、俺は弟子に怒鳴る。
まったく俺たちは何をしているのか……。
ともかくだ。
「16年ぶりだな」
黒い霧に浮かぶ角を見て、俺は思わず笑う。
ついにキングコーンと対峙する時がやって来たのである。







