第1話 S級ハンター、ギルドをやめる
「ゼレット! お前、またSランクの魔物を殺したな!!」
ハンターギルドの責任者――ギルドマスターのガンゲルは、俺を睨め付けた。
酒焼けしただみ声は、ギルドの中にあるガンゲル専用の執務室に響き渡る。
声とともに叩いた机には、山と書類が積まれ、一部がバサリと崩れて床に広がった。その床には本や何かの押収品、果ては酒瓶なども転がっていて、ひどく雑然としている。
なのに窓から差す陽光だけは神々しく、ガンゲルの亜麻色の鬘がキラキラと光っていた。
そんな部屋で俺は、1本の黒い棒のように立っていた。
獣のような剣幕のガンゲルに対して、だからどうしたとばかりに、棺桶の中より暗いと言われる黒瞳で返す。
他のハンターから冷たいと名指しされる俺の瞳だが、どうやらガンゲルの怒りの炎を消火するほどではなかったらしい。
それどころか、反抗的な態度と見なされ、まさに油を注ぐ結果となった。
「何度言ったらわかる! Sランクの魔物は倒すな、と命じただろうが……!」
再び吠え、机を叩くと、ついに書類は決壊。
哀れ大惨事となったが、ガンゲルは気にした様子もなく、口ひげを引っ張った。
しばし俺とガンゲルは、黙ったまま睨み合う。
ハンターは「魔物」を討伐・駆除を生業とする仕事である。そしてハンターギルドは、そうしたハンターを斡旋するのがギルドの役目だ。
会員数700人弱。その中で、成績や強さによってS、A、B、C、D、Eの6つの等級に分かれ、経験や成績に応じて依頼が発注される。
中でも、俺は最高級のS級ハンターとして第一線で戦ってきた。
ハンターギルドが掲げる魔物の強さは、ハンターと同じく6つ。
その最高ランクであるSランクの魔物は、災害級とも呼ばれ大地震や大嵐、旱魃と同じ扱いになっている。
俺はそんなSランクの魔物を日夜討伐し続け、今の地位に至った。
とはいえ、別に英雄を気取るわけでない。Sランクの魔物を躍起になって倒していたら、いつの間にか地位と名誉を手に入れていただけだ。
俺にとって、Sランクの魔物は大事なものを奪った仇だった。
すでにその心は長い年月と倒した魔物の数によって、風化しつつあるが、ヤツらが人類にとって害悪であることに代わりはない。
そんなある時、今目の前にいるガンゲルから思いも寄らない命令が下った。
『Sランクの魔物の殺傷禁止令』である。
話を聞いた時は、我が耳を疑った。何かの冗談かと……。
しかし、ハンターギルドは本気だった。すべてのSランクの魔物の討伐依頼は、全て「排除依頼」ということになり、Sランクの魔物を殺傷できなくなったのである。
「あれは仕方なかった。あそこで俺がSランクの魔物を殺さなければ、多くの村人が死んでいただろう。それとも村人の命はどうでもいいというのか?」
「はっ! 私がそれを望んでいたとでも? そんな訳なかろう。私は言っているのはなあ、ゼレット。もっとやりようがあったはずだ、ということだ」
そう言って、ガンゲルは俺に書類を叩きつける。
数枚の紙には、今回の件について様々な意見が列記されていた。
『Sランクの魔物は絶滅に瀕している希少種だ』
『魔物のかけがえない命』
『かわいそう』
『転送魔法で山奥に転送させるとかできなかったのか?』
『麻痺系の魔法で動きを封じれば……。殺す必要はなかった』
他にも色々あったが、俺は読むのを止めた。
「ゴミだな」
一蹴し、床に落とす。
希少種? 命? かわいそう?
だから、どうした? それをSランクの魔物の前でも言えるなら、話を聞いてやろう。その前に、頭からバリバリと食べられるのが、オチだろうがな。
転送魔法も、麻痺系の魔法も論外だ。
あんな巨大な魔物を転送できる魔法の使い手がいるなら、是非紹介してほしい。
状態異常系の魔法もほとんど効果がない。そもそも麻痺系の魔法が通じるぐらいなら、Sランクの魔物討伐など造作もないことだ。
このクレームを書いたヤツらは、Sランクの魔物の怖さを、少しもわかっていない。1度このお花畑野郎たちを、Sランクの魔物の前に引きずり出してやろうかと思う程だ。
「全く……。口先だけのヤツらばかりだ」
俺は辟易しながら、肩を竦めた。
「これが世論だ、ゼレット。私だっておかしいと思う。馬鹿げているとは思うさ。しかし、今世の中は魔物の保護に向かっている。こうした動きに合わせて、魔物の保護政策が今王国議会で議論されているそうだからな」
「保護政策? ああ……。貴族を中心とした魔物の保護を訴える団体か。実情を知らない日和見主義の貴族たちだろ? 無視していればいい」
「それがそうもいかん。その保護団体の息がかかった貴族が、王国議会で1割を超えた。たかが1割と思うな。たとえ1割でも重要法案を通す時に、この1割というのは存外が馬鹿にできんのだ。あいつらが保護政策を盾に票を売るようなことをすれば、保護政策が実施される可能性が高い」
嘘だろ?
魔物を倒さずして、どうやって生きていこうとしているんだ、連中は?
手を広げて、降参といえば、許してくれると?
王女さまがキスをすれば、魔物が美男子に変わると本気で思っているのだろうか。
「それだけではない」
「まだあるのか?」
「お前も知ってのとおり、ギルドの運営には多額の金がいる。お前たちハンターから徴収している会員費だけでは無理だ。故に資金を提供してもらうパトロンがいる。つまりは、それも貴族だ」
「まさか……」
「そのまさかだ。パトロンが代わってな。次のパトロンは、その保護政策を訴える貴族だ。その貴族がうちに資金を提供する代わりに出してきた条件が……」
「Sランクの魔物の討伐禁止か」
「保護政策を訴える連中も馬鹿じゃない。魔物の危険性は承知している。故に個体数が多いAランク以下の魔物の討伐については、お咎めなし。だが、個体数が激減しているSランクについては……」
「だから、Sランクの魔物を狩るな? ありえない! Aランクはいい。まだ他のハンターでも討伐が可能だ。最悪王国の騎士団でも引っ張り出せば済む。しかし、Sランクの魔物は別だ」
「お前がSランクの魔物の討伐にこだわっているのはよ~~く知ってる。Aランクの魔物に興味を示さないのもな。子どもの頃に見た『仇』ってSランクの魔物が原因なんだろ? だが、これは仕事だ。ハンターギルドは、お前の個人的な復讐心を満たす場所ではないのだ」
「そんな感情、とっくに風化したと言っただろう。俺が1番納得できないのは、Sランクはダメだから、Aランクで我慢しろということだ」
そもそもAランクは他のハンターならともかく、俺からすれば雑魚中の雑魚である。
加えてSランクと比べると桁1つ報酬が少なく、経費も考えると、完全な赤字になる。だいたいスリルがない。
どうせ命のやりとりをするなら、手に汗握るような駆け引きがしたいのだ。
「誰かさんが報酬の引き上げと、武器の整備代金を出してくれたら一考するがな」
「ふん。貴様の装備が高すぎるのだ。もう駄々をこねるのはやめろ。他のハンターは協力的だ。命令を破っているのはお前だけだぞ、ゼレット」
当然だ。
この辺りで、Sランクの魔物を倒せるハンターなど、3人もいないのだ。
その中でも、俺は2位以下にダブルスコアを付けるほどの討伐数を持っている。むしろ命令破りをしている人間を探す方が難しいだろう。
ガンゲルは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「……まあ、そういうことだ。だから、これからはAランクの魔物を――」
「断る」
「はあ? 話を聞いていたのか、ゼレット。もうSランクの魔物は討伐できない。保護政策が議会を通過するのも、時間の問題だ。お前が意地を張ったところで、世界が変わるわけじゃない」
「世界が変わらないというなら、俺はそんな世界に用はない」
「お前、まさか――――」
「Sランクの魔物の討伐は、俺が命をかけて成し遂げてきたことだ。なのに、その危険性と生態もよく知らず、金をちらつかせて頭ごなしに禁止するような貴族と仕事などできん」
俺はガンゲルに背を向けた。
「俺はハンターギルドをやめる」
「ゼレット、本気か? お前が辞めたところで、Sランクの魔物を討伐できないことには変わりないんだぞ」
「承知している。だからといって、無価値な職場にずっといるわけにもいかん」
「貴様! ハンターギルドが無価値だと!!」
「ああ。散っていった英霊たちも草葉の陰で泣いているだろう」
「はっ!! 辞めてどうするつもりだ! お前はハンターとして超一流だが、それ以外に何ができる? ハンター崩れのお前なんて、雇ってくれる職場なんてどこにもないぞ」
ガンゲルは犬のように吠え散らかす。
「…………」
俺は何も言わない。
ただ静かに扉を閉めて出ていった。
こうして俺は、長年所属していたハンターギルドを後にしたのだった。
本日3話投稿予定です。
よろしくお願いします。