第189話 元S級ハンター、スライムを信じる
「勝った……」
最後は運だった。
少しでもエシャラ火山の噴火が遅れていたら、今頃俺がマグマの中に放り込まれていただろう。まさに薄氷の勝利だった。
改めてダールが落ちていったマグマを見下ろす。
鬼神のように強かった純魔族の姿はない。
いくら頑丈な肉体でも、高熱のマグマの中では、さすがに身が保たないはずだ。
「帰るか……」
地上へと戻ろうと糸をたぐり寄せた時、モーラの糸が張り付いていた岩が突如欠ける。そのまま俺は真っ逆さまにマグマへと落ちていった。
(やばい……。こんなところで……)
シエル……。パメラ……!
祈るように俺は家族の名前を呟いた。
すると俺は何かに絡め取られる。木の枝だ。
そのまま丁重にくるまれると、ゆっくりと上昇し、地上へと帰還した。
「ぷはっ! た、助かったのか!」
心臓がバクバクいってる。
こんなに鼓動が激しかったのは、パメラと初夜を迎えた時以来だ。
はっきり言って、死んだと思っていたが……。
「まさかお前に助けられるとはな」
『キュイッ!!』
目の前でポーズを取ったのは木の精霊キュールだった。
「ところでなんでこんなところにいる。お前はパメラたちと一緒にいたはずじゃ」
『キュイッ!』
キュールは俺の質問に対して、後ろを振り返る。
近くの木々が大きく揺れた。ザワザワとした葉音は、会話をしているかのようだ。
「エシャランド島の植物がお前に伝えてくれたのか?」
『キュ~ル』
キュールはそうだとばかりに頷く。
思いも寄らない助太刀だったが、キュールのおかげで助かったことは事実だ。
俺はキュールの頭を撫でてやると、ちょっと赤くなって照れていた。
ドォォォォオオオオオンンンン!!
竜の咆哮にも似た音が辺りに響いた。
空気だけではない。地面も揺れている。背後を見ると、火口から噴石が飛び、マグマも飛び散っている。
濃いマグマが標高の低いエシャラ火山の斜面を滑っていく。
勢いは止まらず、麓の森や川を飲み込んでいく。
俺と魔族が戦っている間に、エシャランド島の密林で大規模な火災が起こっていた。原因は言うまでもなく、マグマと火のついた噴石だ。
こうなってはいくら元S級ハンターの俺でもどうしようもない。海を凍らせるほどの力を持つリルでも、ここまで範囲が広いと火を消すことは難しいだろう。
特にシエルたちがいる方向の被害がひどい。
ここからでは見えないが、もう焼け野原になっている可能性すらある。
「シエルと合流しなければ。キュール、居場所がわかるか?」
『キュッ!』
任せろ、とばかりに頷く。
今日のキュールはいつも以上に頼もしく見える。
俺は森の方に振り返った。
「すまん。お前たちの恩に報いたいが……」
ざわざわ……。ざわざわ……。
「噴火が落ち着いたら、またお前たちの子孫をここに植えることにするよ」
ざわざわ……。ざわざわ……。
何を言っているかさっぱりだが、喜んでくれていると解釈することにした。
俺はキュールを胸に抱くと、シエルがいる方向へと走り出した。
◆◇◆◇◆
「シエル……!」
思いの外、俺は早めにシエルと合流することができた。傍らにはプリムとリルもいる。当然、あのエシャラスライムたちもいた。
スライムたちに悪いが、こうなっては家族の元に返すどころではない。
「パーパ!」
どうやら意識を取り戻したらしい。
さすが俺とパメラの子どもだ。体力がある。
森でのトレッキングによる効果もあったのだろう。
「師匠、大丈夫。ボロボロだよ。……あと、それになんでキュールが?」
『バァウ!』
いつも能天気なことしか言わないプリムが心配していた。
はっきり言って、ここまで手傷を負ったのは初めてだ。弟子やリルが心配するのも無理はない。自分でも、こうやって動けているのが不思議なぐらいだ。
これが火事場の馬鹿力というヤツだろうか。
「説明は後だ。逃げるぞ」
「それは山々なんだけどさ」
プリムが尻尾を垂らし、頭を項垂れた。
シエルたちの周りはマグマの通り道になっていた。幾重にもマグマの川が通り、道を阻んでいたのだ。思ったよりマグマの流出が早いのは、地面の中からマグマが漏れ出していることにも原因があるらしい。
ダールにも講釈を垂れたが、この辺りの地下にはマグマが流れている。ガスが出るのもそのためだ。本来火山の噴火によって地盤が緩み、地下のマグマが漏れ出してきたのだろう。
俺がシエルと早めに合流できたのも、どうやらそういう理由があるらしい。
「一旦俺がいた場所に戻る。あっちはまだこの辺りと比べて安全だ」
俺は元いた場所に引き返す。
すると、また爆発的な噴火があった。
今度は山体の一部が崩れる。壊れた鉄瓶のように中のマグマが漏れ出し、一気に斜面を滑ってきた。
不運なことに一直線に逃げる俺たちの方へと向かっている。
「師匠! このままじゃ! やっぱ引き返そ!」
「引き返したらマグマに囲まれるだけで、ジリ貧になる。走れ!! 今は全力でだ!!」
なけなしの体力を絞り出し、横目で迫るマグマを見ながら全速力で走る。さすがのプリムもリルも疲弊しており、ごり押しは難しい。
体力というより、もはや精神の限界を試されているような状況だった。
現実は残酷だ。やはりマグマが迫る速度の方が速い。
このままでは間違いなくマグマか、発生した火砕流に飲み込まれる。
時間はもう10秒もないかもしれない。
わずかな時間で手立てを探る。
魔力もなく、【炮剣】も折れ、【砲剣】を抜く体力もない。コートに残った便利グッズの中にも、今この状況を打破できる代物はなかった。
熱風が来る。
いよいよマグマの波が来ようという時、リルの中から影が飛び出した。
エシャラスライムだ。
数十匹のエシャラスライムがまるで俺たちを守る壁のように並び、さらに積み上がった。
「お前ら…………」
「パーパ、スライムくんが……」
「…………シエル」
すまん!
俺はシエルを抱きかかえ、エシャラスライムの壁の影に隠れる。俺の行動を見て、リルもプリムも従った。
直後、マグマが襲いかかる。
「スライムくん!!」
シエルの悲鳴が俺の耳元で響く。
愛娘の叫びを聞きながら、胸が張り裂けそうになった。
「スライムの壁なんて保つの、師匠」
『バァウ!』
「パーパ、スライムくんが! スライムくんが!」
「お前ら……。そしてシエル……。スライムを、スライム種唯一のSランクの魔物を信じてやれ」
そして、俺たちは赤黒くそまったマグマの中に消えていった。