第180話 元S級ハンター、密林に向かう
ひとまずアジトを脱出した俺は、エシャランド島の南に広がる密林を目指していた。
前にも言ったかもしれないが、この辺りは野生保護区になっている。エシャランド島は人間が入植してくるまで、どこの大陸や島とも交流がなかった孤島だ。
そのため独自に進化した野生動物や昆虫、植物、そして魔獣が存在する。その代表例がエシャラスライムである。
そのエシャラスライムを数十匹引き連れ、俺は闇夜に紛れて、南へ進む。リゾート地だけあって、まだこの時間でも人通りは多い。スライムを引き連れて動くのは、少々目立つが、ここはスライムの楽園だ。皆、スライムを連れて歩いているのだとしか思わない。何より人混みに紛れて移動できるのは大きい。
周りに人がいては、さすがにボンズも襲ってこないだろう。
一旦宿泊施設に帰って、シエルだけでもパメラに預けようと考えたが、今はその時間もおしい。夜が明ければ、本格的に俺たちの捜索が始まる。
その前にエシャラスライムを密林の奥にある住処に戻す必要があるだろう。
保護区に入れば、護衛ギルド出身の警備員がいるはず。それだけじゃなく、危険な魔獣もいる。そこまでヤムたちも追ってこないはずだ。
「シエル、そういうわけだから、ちょっと我慢してくれ」
「うん。大丈夫。スライムくんのそば、好き」
シエルは胸に抱きかかえたエシャラスライムを見つめる。
目を合わせると、シエルはニコリと笑った。
なんとか予定通り、保護区の手前に辿り着く。24時間空いてる警備室に声をかけると、返事がなかった。
「師匠……」
「ああ。わかってる」
警備室の中を覗き込むと、警備員が倒れていた。死んでいるかと思ったが、眠っているだけだ。夜勤で疲れたというわけではないだろう。
「睡眠薬か。ボンズの仕業だな」
前言撤回。
ボンズはこの密林で俺たちを迎え討つつもりらしい。よく考えたら、あいつも元ハンターだ。俺と同じく、森での立ち回り方は熟知している。
さらに夜と森という状況は、潜伏したハンターを有利にする。
その恐ろしさを俺も理解していた。
1度シエルとともに、警備室の中に入って様子を窺う。
「師匠。僕が囮になろうか? 僕は毒が効かないし」
「お前にしては珍しく頭を使ったな。だが却下だ。あいつの狙いはエシャラスライムだからな。むしろお前が離脱して喜ぶのは向こうの方だ」
「そっか……」
今のところいい案はない。
このまま警備室に立てこもって、警備の応援を待つのもいいが、それだと朝になってしまう。
「リル、あいつの居場所はわかるか」
『くぅん~』
リルは項垂れる。
腐ってもハンターだな。森に紛れる方法をわかっている。
リルの鼻が利かないなんて相当だぞ。
「僕の目で見たけど、たぶんこの辺りにはいないんじゃないかな?」
「なら森の奥か……。入ってこいってことだな……」
陸が無理なら、海で南側に迂回する方法も考えたが、南側には千メートル級の崖が聳えている。俺一人ならどうにかなるが、シエルやスライムを連れては難しい。
対策として、こっちが先にボンズの位置を知るしかないだろう。
「プリム、作戦変更だ。シエルだけパメラの元に返してくれ」
「いいの、師匠?」
「当面の危険人物が森の奥にいることが確定したんだ。なら、シエルを連れていくわけにはいかない」
「わかったよ」
「シエル、悪いが……。シエル?」
振り返ると、シエルが苦しそうにしていた。
リルの背中から落ちそうになって、慌てて俺は受け止める。
「シエル、どうした?」
「ぱーぱ。くるしい」
シエルの顔は真っ青だ。
俺ははたと気づいて、シエルの服を脱がす。真っ白な肌を丹念に観察する。すると小さな斑点を見つけた。
毒だ。
言わずもがな、ボンズの仕業だろう。
「先手を打たれていたか!」
シエルの射線は俺がすべて切っていたはず。ただ1度だけ、それが疎かになる瞬間があった。
ボンズが煙幕を放った時だ。
あの一瞬、シエルに向かって毒を仕込んだのだろう。
「ここで決着をつけるつもりか?」
ボンズの毒は特殊だ。
並みの毒消しでは消せない。
そのためシエルを救う方法は1つ。
ボンズから薬を奪い取ること。
これはあいつのポリシーみたいなものだが、ああ見えて解毒ができない毒は絶対に使わない。あいつは毒のスペシャリスト。何より毒を愛し、そして知っている。だから、解毒薬がない毒ほど、おそろしいものはないと骨身にわかっているのだろう。
「師匠、どうしよう?」
「作戦続行だ。ボンズの招待を受ける」
「シエル、大丈夫かな?」
「正直わからない。ただ……」
俺は苦しそうなシエルの髪を撫でる。
その額には玉のような汗が浮かんでいた。
半分意識がなく、息も浅い。
「プリムがシエルを負ぶさってくれ。リルだと振り落とされるかもしれない。リルはスライムを頼む」
「全力だね、師匠」
「ああ。付いて来いよ。久しぶりに全力で走るからな」
「あい」
『ワァウ!』
俺は足元に雷の『魔法』を集中する。
青白い光をまとうと、地面を蹴った。
衝撃は凄まじく、たった1歩で俺は数メートル向こうまで駆け抜ける。それを繰り返し、俺は森の奥へと続く轍を疾走した。その後を、プリムとリルが追いかける。
すると、俺たちの行く手に大きな影が現れる。
ボンズではない。
立っていたのは、ヴァンパイアグーズだ。
夜行性の大型の熊が、吸血鬼化した魔獣である。その膂力は熊をかみちぎるほど強い。
牙と爪には毒があり、きちんと処置をしなければ、2時間で肉体が壊死するといわれている。
ランクは〝A〟。
エシャランド島の中でも、とりわけ凶暴な魔獣の一種だ。
並みのハンターなら、悲鳴を上げるぐらいの強敵だが、俺はスピードを緩めず、ヴァンパイアグーズにツッコんでいく。
「どけっ!」
コートから【炮剣】を取り出す。
戦技――――【陰鋭雷斬】!
【炮剣】を抜き放つ。
次の瞬間、ヴァンパイグーズの腹に×の字が刻まれる。
すっかり夜の帳が降りた密林で、雷光が激しく瞬く。
巨体を倒れる音を後ろで聴きながら、俺は構わず前に進み続けた。
◆◇◆◇◆
夫の帰りを待つパメラたちの元に、慌ててラフィナがやってくる。
いつもは冷静な公爵令嬢は、息を切らしながら部屋の様子を窺った。
「ゼレット様はまだ帰ってきていないのですね」
「ええ……。シエルちゃんもまだよぉ。大丈夫かしらん」
「もしかしたら、エシャラスライムを保護したあと、そのまま南の森に向かったのかもしれません」
オリヴィアの言葉に、ラフィナは手近にあった壁を思いっきり叩いた。
「なんてこと!」
「どうしたの、ラフィナ。あなたらしくなわよ。落ち着いて」
「落ち着くのは、皆さんの方ですわ」
思いも寄らない言葉が返ってきて、その場にいた全員が沈黙する。
ラフィナはパメラの肩を掴み、事情を話した。
「落ち着いて聞いてください。わたくしの懇意にしている占術師がそのスキル【占い】で見ましたの?」
「な、何を?」
ラフィナはごくりと飲み込む。
「もうすぐ……」
エシャランド島にある火山が噴火しますわ。