第175話 元S級ハンターは鼻が利く
◆◇◆◇◆ リーム商会 ◆◇◆◇◆
「ゼレット・ヴィンター……?」
港湾近くの豪華な宿泊施設。
そこはリーム商会の関係者だけが泊まることが許されている特別な施設だ。
看板は掲げてはいないが、中はゼレットたちが泊まっている宿泊施設に負けず劣らずの設備が揃っている。
その一室。
ソファに腰掛けた男は、「ゼレット・ヴィンター」という名前を聞いて、目を細めた。
ひょろっとしたもやし体型に、白というよりはもはや紫に近い肌。折角の銀髪はまったく手入れがされておらず、ドロッとした粘性の高い緑色の瞳の下には、濃い隈ができている。
全体的に不衛生というか、病的なイメージがあり、それもあってか生気を感じさせない。
極端な印象を告げるなら、死体がソファに座っているようだった。
「お知り合いですか、ボンズ先生?」
ボンズと呼ばれた男の前に座ったのは、リーム商会会長のヤムだ。
足を組み、如何にも会長という威厳を繕っている。スリットの入ったスカートから、白い足が見え隠れしていた。
「その足……。もしかして、ボクのこと誘ってんの?」
ボンズはニヤリと笑う。口を開けた際、黄ばんだ歯と歯の間に、唾液が糸を引いていた。
ヤムは一瞬眉宇を動かした後、スカートの裾を直し、足を組むのをやめた。
そのヤムの後ろでは、猩猩族のムトーとドワーフ族のロージが神妙な顔というより、目の前のボンズという男の危ない気配にビビっていた。
「失礼しました……。それで?」
「ああ。ゼレットね。知ってるよ。そりゃね。ボクたち――ハンターの間じゃ。有名だしね」
「それはどのように?」
「知らないの? ハンター界No.1の実力者だよ。世界一Sランクの魔物を討伐したハンターさん。今でもその記録は抜かされていないはずだよ」
「Sランクの魔物の討伐数世界一……。というと、勇者シェリルよりも」
「おばさん、何歳? めっちゃ古い人の名前が出てくるじゃん」
ヤムのこめかみが2度ほど動く。
すでに営業スマイルは限界に達しようとしていた。
ボンズはそれがわかっているのか、依然ヤムの前でヘラヘラしながら話している。見た目は陰キャでも、お喋りらしい。
「勇者シェリムが活躍していた頃は、まだ公式記録が取られる前だったからね。……ボンズ先生も凄腕のハンターと聞いていますが。一体、どれほどの数の魔物を……」
「ボクは業界では3位だよ。といっても、ゼレットやヴィッキーと違って、ボクはどっちかというと不真面目でね。お金にならないことはしない。でも――――」
お金になることだったら、何でもするよ。
ボンズの目つきが変わる。
それまで根暗な青年といった印象が場の空気とともに変化していく。
猟犬を思わせる歪んだ歯が見せ、口角が吊り上がる。
心胆から寒からしめるボンズの姿に、ムトーは毛を逆立たせ、ロージの褐色の肌は青くなっていった。
表情を変えなかったのは、ヤムである。
再び足を組んだ。
「それは心強い」
「ところで、エシャラスライムといつ会わせてくれるの? ボクとしては、今回……そっちの方がメインなんだけど」
「すでにご用意はしております。ですが……」
「わかってるよ。ゼレットを黙らせろってことでしょ?」
「はい。彼は何かと厄介そうですし。側にはアストワリ家の令嬢までいらっしゃいました。我がリーム商会の秘密に辿り着くのも時間の問題かと……。先生にはその前に」
「事故に見せかけて、殺してほしい……だね」
ヤムは肯定も否定もしない。
ただ口端を釣り上げ、笑っただけだった。
「わかった。……で、お金は?」
質問にヤムは後ろに控えたロージに合図を送る。一旦部屋から下がると、すぐに戻ってきて、鞄を開いた。
ざっとだが、4000万はある。
「これは前金……。成功すれば、プラス8000万をお渡しします」
「合計1億2000万か……。悪くないね」
ボンズは金を受け取ると、さっさと部屋を出て行く。
ヤムは慌てて呼び止めた。
「ボンズ先生、どこへ?」
「仕事だよ。……あんたたちも何を悠長にしてるか知らないけど、ゼレットはもう来るよ」
「は?」
「ハンターの中でも、あいつは鼻の利く奴だからね」
そう捨て台詞を残し、ムトーとロージの間を通って、外に出て行った。
ボンズがいなくなった客室に、平穏な空気が満ちていく。
「はあ~。たすがった~」
「殺されるかと思いましたぜ」
「生きた心地がしなかっだ~」
ムトーもロージも冷や汗を拭いながら、情けない声を上げる。
「その点、姐さんはさすだが」
「堂々としていたからな」
「さすが姐さん!」
「よっ! リーム商会の会長様!」
「お前たち……!」
そのヤムの声は震えていた。
ソファーの肘掛けに置いた手は震えている。
タダならぬ雰囲気は、先ほどのボンズ以上だ。
本能的な危機を察して、ムトーとロージは反射的に抱きつく。
「ごめんなさい、姐さん」
「調子乗りました、姐さん。謝るから許して」
とうとう悲鳴じみた声を上げる。
しかし、ヤムからは鉄拳が飛んでくるわけでも、罵声が発せられるわけでもなかった。
ただヤムはソファに座って、じっとしていた。
自分たちの予測と違う反応に、ムトーとロージは目を瞬かせる。
「姐さん?」
「どうしました?」
「お前たち!!」
「「はい!!」」
「か、身体を起こして」
「「…………はい?」」
「腰が……腰が抜けて動けない」
「「…………」」
「聞いてるかい?」
「「は、はい! 今すぐ!!」」
「あと、このソファは捨てな」
「え? なんでですか?」
「まだ買ったばかりですよ」
「な、なんでもだよ」
ヤムの顔は真っ赤になっている。
すると、猩猩族のムトーが大きな鼻の穴を広げて、漂ってきた匂いを嗅ぐ。さらにロージも、ヤムの反応を見て、何かを察した。
「あれ? この匂い」
「姐さん、まさか……」
「やかましい! とっとと言われたことを……」
ドンッ!!
突然、爆発音が聞こえ、ガラス戸を震わせる。
それまで金縛りにあっていたヤムだったが、その爆発音を聞いて、ベランダに向かって走り出す。
引き戸を開けた瞬間、見えたのはオレンジ色の光だった。
港湾の端。リーム商会が秘密裏に作った船渠で火の手が上がっているのが見える。
(ゼレットはもう来るよ)
ボンズの言葉を思い出す。
「まさか! もう見つかったのかい?」
ソファに座ったまま、ヤムは窓外を見て叫ぶのだった。
◆◇◆◇◆
ヤムの予測は当たっていた。
燃えていたのは、船渠の中で停泊していた帆船だ。
燃えさかる炎を消そうと大量の人夫が集まっている。
揺らめく炎に隠れて、3つの影が蠢いていた。
1人は獣人、1匹は大狼、そして最後の1人は【砲剣】を携えた黒コートの男だ。
「これでしばらく積み荷を島外に運べないだろう。あとは、エシャラスライムだな」
ゼレット・ヴィンターの瞳が光るのだった。