第172話 元S級ハンター、断じる!
「おおおおおおおおお!!!!」
猩猩族の雄叫びが、家族や同僚がいるスイートルームに響き渡る。
魔獣のそれを思わせる声に、パメラ以下部屋にいた大人たちは竦み上がった。
シエルも突然出てきた大きな猿の獣人に、泣くことも忘れて見入っている。
おいおい。ここは最上階のスイートルームだぞ。
それをベランダ側からやってくるとは、どうやって登ってきたんだ。
「仲間がいたのか!?」
「ムトー! ブツはその木のオブジェの中だ!!」
「わかったよ、ロージ」
ドワーフが扉の隙間越しに叫ぶ。
すると、やや気弱そうな声が返ってきた。
こいつら素人か?
顔も隠さず、自分たちの素性を隠すつもりもないらしい。
しかし、馬鹿が相手で良かった。
やはりエシャラスライムが目的らしい。
猩猩族は木のオブジェに近づいていく。
自然と怯えるシエルに詰め寄る形になった。
「お嬢ちゃん、ごめんよ。お兄ちゃんにそれをくれないかな?」
「やだ!」
シエルは明確に拒否する。
エシャラスライムが隠れている木のオブジェを自ら抱え上げた。
そして、泣きそうになりながら、もう1度叫ぶ。
「ダメっ!!」
「ダメって言われてもなあ。お兄ちゃんにとって、それはとても大事なもので」
「ムトー! 何やってる! とっととガキからそいつを取り上げろ!!」
再びロージと呼ばれていたドワーフが叫んだ。
ムトーという猩猩族は仕方なくといった感じで、シエルに手を伸ばした。
「ごめんね!!」
「プリム!! とっととそいつを追い出せ!!」
「あいっ!!」
俺の声にプリムは反射的に動いた。
高い絨毯を思いっきり蹴って飛び出すと、猩猩族の前に躍り出る。
間髪いれず、遠慮なしに回し蹴りを見舞った。
「へっ?」
猩猩族の巨体が乾いたタオルのように宙を浮く。
そのままスイートルームの壁にめり込む。
思いっきりよそ様の宿泊施設の壁にヒビを入ってしまった。
エストローナであれば、烈火のごとくパメラが怒るところだろうが、愛娘の命には変えられない。
「嘘だろ……。あのムトーを吹き飛ばすって――――なっ!!」
ずっと表扉に張り付いていたムトーは一旦後ろに下がる。
次の瞬間、金属製の厚い扉はバラバラになる。
部屋の入り口で【炮剣】を構えて、仁王立ちしていたのは俺だ。
「お、おい! 扉をバラバラにするって……。お前、弁償できるのかよ!!」
「ふざけるな……」
「いや、それはこっちのセリフ……」
ムトーは何かを言いかけたが、俺の表情を見て固まる。
【砲剣】の切先を向けて、そのまま湧き上がってきた感情を爆発させた。
つまりは「怒り」だ!!
「貴様! 良くも俺の可愛い愛娘を怖がらせたな。しかも、危害を加えようとするとは……。万死に値する」
「死!? ちょ、ちょっと待て。ちょっと脅かしただけじゃねぇか?」
「馬鹿か、貴様!!」
「は、はあ??」
「可愛いは大正義なんだよ!! 可愛くないのは全員悪党だ!!」
「それ! 理不尽すぎない!!」
ムトーはナイフ……いや、マチェーテを取り出す。
ナイフよりは鉈に近い武器を、俺に向かって振り翳してきた。
剣が閃く。
瞬間、ムトーの服がバラバラに斬られる。
さらに遅れて、マチェーテの刀身が真っ二つに折れていた。
『きゃああああああああああああああああ!!』
悲鳴が上がったのは、部屋で成り行きを見守っていた女性陣だ。
パメラとラフィナ、オリヴィアは一斉に顔を伏せる。
ギルドマスターだけが、真っ裸になったドワーフのある一点をガン見していた。
「あら。可愛い」
「ヒヤァァァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
遅れてムトーは前を隠す。
細くヒョロリとして、お世辞にもいい身体とはいえない己の一糸纏わぬ姿を見て、顔を真っ赤にする。
「ふん。つまらんものを斬ってしまった」
「テメェ! 何をするん――――ひっ!!」
俺は切先をムトーの鼻先に突きつけた。
粗末なものが俺の方を向いているが、関係ない。
シエルに危害を加える奴は、悪・即・斬である。
「覚悟しろ……」
「そこまででお願いできますか、お客様?」
落ち着いた声がスイートルームに直結している魔導昇降機から聞こえる。
ガラリと網の目状の扉を開いて現れたのは、1人の女性だった。
貴族のご令嬢が着るようなドレスではなく、燕尾服に似たパリッとしたスーツに、短いスカート。鼻筋は通っていて、全体的に整った顔だが、つり上がった瞳には気の強さを伺わせていた。
女性は物怖じせず、殺気立つ俺の前に立つ。
「初めまして、ゼレット・ヴィンター様、そしてそのご家族様とご友人の方々。あたくしの名前はヤムと申します。当宿泊施設の総責任者を務めております」
「ヤムって……。じゃあ、あなたがエシャランド島のリゾートを開発した」
ラフィナが目を丸くする。
その言葉が本当なら、意外だ。
女性というのもそうだが、何より年齢だろう。
化粧のせいで、少し年上に見えるが、30代というわけではないだろう。
何より剣を握った俺を前にしても、物怖じしていない。
相当肝が据わっていると見える。
「はい。その通りです。エシャランド島の総合プロデューサーも務めております」
「その責任者が俺たちに何用だ? 壁と扉の修理代なら、こいつらにつけておけ」
「必要はございません。当方のミスにより、折角の家族の団欒を壊してしまったのですから。責任は当方にございます」
「当方のミス? 責任? どういうことだ?」
「その前に……、そろそろ剣を下ろしていただけないでしょうか?」
「断る」
「ゼレット様。申し訳ありませんが、弊社の宿泊施設において武器を抜くことは、チェックインに際してご確認いただいた当施設の規則に反します。従わなければ、然るべき機関に通報することになりますが、よろしいでしょうか?」
俺は小さくこめかみを動かす。
「ゼレットくぅん。今は剣を下ろした方が良さそうよ、ここはぁ」
「…………いいだろ」
俺は【砲剣】を収める。
ムトーというドワーフはホッと息をつき、自分の鼻があることを確認した。
「姐さん、助かりました」
「姐さん?」
俺が首を傾げると、「姐さん」と呼ばれたヤムはすごい顔でムトーを睨んだ。
「あ。姐さん、現場まで来たんですか?」
追い討ちをかける様に、プリムによって壁に叩きつけられた猩猩族がこちらを向く。
俺は再び剣の切先を上げる。
今度はヤムに向けてだ。
刀身に殺気を込めたが、ヤムはため息をつく。
それでも、リゾート地の支配人としての顔を崩すまでには至らない。
「誠に申し訳ありせん。この2人はあたくしの部下の中でも、非常に手荒い者たちでして。少々あたくしの命令を曲解した様です」
「え? ヤム姐さんが言ったんだよ。この家族からスライムを奪ってこいって」
「お黙り! あんたはそこで黙って立ってな!!」
「ご、ごめ〜ん」
猩猩族は頭を抱えて、うずくまる。
どうやら手荒いのは、このヤムという女も同じらしい。
「こほん。失礼しました。……誓って、あたくしはこのような方法でお客様からスライムを奪うようなことを望んでおりません。ただこのムトーも説明したように、スライム君の当宿泊施設の持ち込みは禁止されております。それに何より、お客様が持ち込まれたのは、ただのスライム君ではない」
「あれがなんなのかわかっているのか?」
「もちろんです、お客様。エシャラスライム……。スライムとはいえ、本物の魔物です。どうか他のお客様の迷惑をおかけする前に、こちらに引き渡していただけないでしょうか?」
いきなり部屋に飛び込んできて、愛娘を怖がらせたことは万死に値するが、一応このヤムという支配人の言うことは筋が通っている。
責任者としては、一刻も早く騒ぎの種となるものを追い出したいと思うだろう。
しかし、何か違和感は拭えない。
こいつらは何かを隠している。
それもエシャラスライム絡みでだ。
さて、どうするべきか?