第170話 元S級ハンター、密林に行く
「この辺りは昔と変わらないな」
俺は鬱蒼と生い茂る森を見ながら呟いた。
ヴァナハイア王国と比べても、植生が違う。
南国らしい、華やかで派手な色をした植物が多かった。
森の中なのに、甘い香りがする。
それも南国特有の密林の特徴だ。
強い香気を放って、虫を呼び込み、捕獲し、花弁の中で溶かしてしまう食虫植物といったヴァナハイア王国にはない生物も存在したりする。
魔獣の種類も変わっていて、特にエシャランド島は離島であるため、固有の種が多い。
その1つが今、俺が胸に抱いているエシャラスライムである。
「リル、ここでいいぞ」
俺の言葉を聞いて、リルは立ち止まる。
右も見ても、左を見ても、ジャングルだ。
案内板もない自然の密林は、俺がよくハントしていた山や森と似ている。
甘い香気も、殺意のこもった獣臭と同じだ。
「さて、ここからどうするか?」
シエルに助けると約束した手前、たとえ魔物であろうとなんとかしなければならぬ。
それがスライム種の中で、唯一Sランク認定されている魔物であろうとだ。
しかし、リル曰く、お腹が空いているとのことだが、一体どうやって餌をやったらいいものか。
「エシャラスライムといえば……」
思案を始めた時、そのリルが突然唸る。
次の瞬間、槍のようなものが飛んできた。
甲高い音を立てて、弾いたのはリルだ。
まだ子どもとはいえ、フェンリルの爪は鋼鉄をも切り裂く。
奇襲のタイミングは悪くなかったが、相手が悪かったな。
飛んできた槍は茂みの中に巻き戻される。
「触手……? ナイトプラントか」
俺が声に出すと、茂みが動く。
ゆっくりと蛇の鎌首のようにもたげたのは、大きな蕾だ。
やがて大きく開かれると、現れたのは美しい花弁ではなく、涎が滴る口だった。
その周りには、触手がふわふわと浮くように揺れている。触手の先は、金属のように鋭く尖っていた。
南国特有の魔物だ。
それ故に、寒さに弱い。
繁殖期になると、種を飛ばし、何千里と離れた場所に仲間を増やす。
エシャランド島のような離島にも、こうして出現するのだ。
ランクはB。
単純な魔物のポテンシャルでいえば、ランクD程度だが、その繁殖能力を危険視されて、結構な高ランクに数えられている。
その繁殖能力を見せつけるように、ワラワラとナイトプラントが出現する。
気がつけば、周りを囲まれていた。
「やれやれ……。Bランクの魔物には興味がないのだがな」
リルに任せてもいいが、やはり本調子からは程遠い。
暑さもそうだが、密林の中に漂う香りがリルの鼻を狂わせているのだろう。
ナイトプラントに気づかなかった理由は、そんなところだ。
仕方がない。
俺も応戦するか。
黒いコートの下から【炮剣】を取り出す。
相手は植物だからな。こっちの方が都合がいい。
「一気に決めさせてもらうぞ」
【炮剣】を構えると、『魔法』を込める。
刀身の根本から炎が吹き出し、薄暗い森の中は真っ赤に染まった。
リルと一緒に、ナイトプラントに襲いかかる。
ファランクスの槍のように飛び出してくる触手を掻い潜りながら、俺とリルは魔物たちを切り裂く。
Bランクとはいえ、その体躯は植物そのもの。
多少毛が生えた程度では、俺とリルの攻撃を止めることなどできない。
確実にナイトプラントの数が減っていく。
だが、その倍の数が俺たちの方へ集まってきた。
まずいな。一気に決めるつもりだったが、長期戦になってきた。
それは構わないのだが、俺の『魔法』が森を焼き始める。
すぐに使用を控えたが、ナイトプラントの増援に対応できないようになってきた。
「一旦退却するか」
元S級ハンターといえど、逃げる時は逃げる。
たとえ、低ランクの魔物だろうと舐めてはいけない。
それに俺はハントをしにきたわけではない。
シエルのためにスライムを……。
「あれ?」
ない!
胸の中にいたエシャラスライムがいない。
『ワァウ!』
リルが吠える。
エシャラスライムがナイトプラントに向かっていくのが見えた。
最弱種と言われる魔物スライム種。
その中でも異色の魔物は、炎の森の中に消えていく。
すると、エシャラスライムは突然大きく膨らんだ。
「まずい! リル、引くぞ!!」
『ワァウ!』
俺はリルの背中に乗る。
瞬間、戦線を離脱した。
◆◇◆◇◆
2時間後……。
「あ! 戻ってきた!」
最初に聞いたのは、パメラの声だった。
遊戯施設で遊ぶわけでもなく、そのベンチに座っていたシエルは顔をあげる。
俺がその前に降り立つと、ギルマス、オリヴィア、ラフィナと一緒に、集まってきた。
どうやらずっとシエルを励ましてくれていたらしい。
「パーパ? あの子、大丈夫?」
よほど弱っているエシャラスライムのことが気がかりだったのだろう。
こんなに心配したシエルの顔は見たことがない。
親の俺としては、ちょっと羨ましく思う限りだ。
俺はシエルの頭を撫でる。
「ああ。大丈夫だ」
そういって、俺は道具袋の結び目を緩める。
瞬間、エシャラスライムが元気よく飛び出した。
そのままシエルに襲いかかるのではないかとヒヤヒヤしたが、その足元の前で止まって、じっとシエルを見つめる。
まるで姫君に忠誠を誓う騎士のようだ。
シエルはゆっくりとエシャラスライムを持ち上げる。
子どもの小さな手の上で、、エシャラスライムは元気よく跳ねた。
その姿を見て、意気消沈としていたシエルの表情が燭台の光を当てたように明るくなる。
「よかった! スライム君、元気になった!!」
そうか。
シエルにとってはエシャラスライムも、スライム君も一緒なんだな。
見た目はスライム君とそっくりだから致し方ないが……。
「よかったわね、シエル」
「うん!」
満面の笑みを見せると、安堵の空気が流れる。
だが、すぐにギルマスと俺は表情を引き締める。
どうやらギルドマスターは、このスライムがエシャラスライムと気づいているようだ。
「これからどうするのぅ、ぜレットくぅん?」
「ともかく今日のレジャーはここまでだな。今はまだ誰も気づいてないが、これがエシャラスライムだと知られたら、大騒ぎになる」
「大騒ぎといえば、南の密林で煙が上がっていたみたいだけど」
「それは俺たちだ。心配しなくていい。火は完全に消した」
「それならいいのだけどぉ」
ともかく一旦宿泊施設に帰るか。
その後のことは、リルにシャンプーでもしてから考えるとしよう。
◆◇◆◇◆ ムトー&ロージ ◆◇◆◇◆
ムトーとロージは騒ぎがあった密林に来ていた。
薄く煙が靡く中で、2人は焼け野原を眺める。
「ロージ、やっぱりエシャラスライムいないよ。……ロージ」
ムトーが呼びかけるが、ロージは反応しない。
ただ立ち尽くしていた。
そのロージの前には奇妙なものがあった。
一見、焼け野原に見える光景の中に、何か空間ごと抉ったような跡があったのだ。
まるで巨大な獣が周りの樹木ごと食ってしまったかのようだった。
ロージはつぶやく。
「間違いねぇ?」
「何が?」
ここにエシャラスライムはいた。