第157話 元S級ハンター、旅行先を決める。
「社員旅行……だと……」
聞き慣れない言葉に、俺は固まってしまった。側にいるリルやいつの間にか屋根裏から入ってきたプリムも首を傾げている。
そんな空気を察して、シエルも目を丸くしていた。
どうやらパメラは事情を知っているようだ。フライパンとお玉を持った平然と立って、俺の様子を窺っていた。
「はい。正確にはゼレットさんは料理ギルドの会員なので、会員旅行ということになるかもですが、一般的には使わないので社員旅行と言っています」
「い、いや、そういう説明は後でいい。……問題は中身の方だ」
俺は先ほど捨てそうになった『福利厚生云たら』という手紙を拾い上げる。
確かにそこには『社員旅行』について書かれている。長々と勿体付けた如何にも役所っぽい文面を要約するとこんなことが書いてあった。
(1)社員旅行はどんな場所でもオッケー(ただし渡航禁止命令が出ているところはダメ)。
(2)申請の1ヶ月前であれば、いつ行ってもオッケー。
(3)家族、知人であれば4名まで同行オッケー。
(4)旅費負担はすべて料理ギルドが負うものとする。
(5)社員旅行は最低4泊5日まで経費負担とする。
「こ、こ、こ……」
「こ?」
「こんなことがあり得るかぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!」
オリヴィアが首を傾げると、俺はその書類を目の前で破いた。
ふざけるな!
なんだ、この詐欺紛いの文章は!
そりゃあな。確かに料理ギルドの待遇はいい。前払い制あり。必要な弾薬も経費としてお支払い。育児休暇に、ハネムーンの費用まで出してくれた。おまけに妻との結婚記念日には、大輪のバラを届けてくれる。
大変有り難い。むしろ土下座して、お金を返したいぐらいだ。
「しかし、これはあり得ない! 無料で旅行? ハネムーンの時はともかく今度はシエルまでいるんだぞ。しかも最低4泊5日って……。いくら俺の人格がいいからって、さすがに騙されないぞ、オリヴィア」
「自分で人格がいいって言っちゃうのねぇ、ゼレットくぅんは。まあ、人格がいいというのは否定しないけど」
横で聞いていたギルドマスターがケラケラと笑う。
「落ち着いてください、ゼレットさん。社員旅行はこれまで料理ギルドに尽くしてくれた社員や会員の方々、そのご家族に対して、これまでの労をねぎらうために設けた制度です。決して、ゼレットさんやそのご家族を謀るために作ったんじゃありません!」
オリヴィアはいつも通り一生懸命俺に訴えかける。
「日頃の労ね……。日がな1日、部屋でゴロゴロしてるヤツに言っても……」
「ぱ、パメラさん。そういう言い方ないですよ。ゼレットさんじゃなければ、こなせなかった依頼もあったんですから」
「わかってるわよ。それでも、こんないい待遇を受けられるのは、もうちょっと真面目に他の依頼もこなしている会員だと思うけどねぇ」
「そうね~。相変わらずSランクの魔物しか興味ないみたいだし」
「私と結婚して、シエルもいて、もう少し真面目に仕事するのかと思ったけどねぇ」
「「「はあ……」」」
パメラ、オリヴィア、ギルドマスターが当人の目の前で大きく息を吐く。
お前らなあ。
俺の労をねぎらいにきたのか、俺のポリシーをけなしにきたのか、どっちなんだ?
別にいいだろうが。
いざとなれば、Aランクの魔物を20頭分倒したぐらいのお金は稼いでいるんだからな。
「それにしてもこんな制度があるなんて初耳だぞ」
「ああ。私の方で断っていたのよ。料理ギルドに入って、私たちすぐに結婚したでしょ? その後すぐにシエルも生まれたし。社員旅行ってどころじゃなかったし」
「なるほどな」
俺が頷くと、側でずっと目を丸めて大人の話を聞いていたシエルを抱き上げた。
「シエルも大きくなったし、そろそろいいかなって。シエルも近場じゃなくて、もっと遠くのお外に行ってみたいわよね」
「とおくのおそと? いく? シエル、もっととおくへいきたい!!」
パメラの腕の中でシエルは両手を掲げた。
行く気満々だ。
うーむ。シエルがそう言ってるなら仕方がない。
「ところで気になっていたのだが、旅行期間が最低4泊5日になっているのだが、最高は……」
「会員の貢献度なんかにも付随していて……。ゼレットさんの場合はこれですね」
オリヴィアは3本指を立てる。
「「さ、30日!!」」
俺とパメラは同時に声を上げる。
さしもの妻も30日という期間を聞いて、驚いたようだ。
「さすが30日もエストローナを空けるのはちょっと……。宿泊者に悪いし」
「あ。いえ。30日じゃなくて」
「へっ?」
「3ヶ月です」
「「……………………」」
はああああああああああああああ!!
再び俺とパメラは絶叫するのだった。
とまあ、いつものやり取り交えながら、ヴィンター家は社員旅行に行くこととなった。
思えばシエルが生まれてからは、俺たちの故郷であるカルネリア王国に行った後、遠出はしたことはない。
カルネリア王国に行った時も、まだシエルが小さい頃だったし、本人も覚えていないだろう。
実質、家族を連れて越境するのは、これが初めてといっても過言ではない。
と、こうして話しているということは、俺たちの行く先は他国と決めていた。
ちょっと不安だが、できればシエルには早いうちに外国の文化に触れていてほしいと思っている。自国を文化も大事だが、1つの物差しだけでは自国の文化が如何に大切なものかわからないからだ。
かといって、そんな堅苦しい旅行にするつもりはない。シエルが楽しめて、俺たちもゆっくりできるところがないか、と探し始めたのだが……。
「うーむ。なかなか決まらないなあ」
「思えばハネムーンの時もこうだったわよね。結局ギルドマスターに決めてもらったんだっけ?」
俺は寝っ転がりながら紀行本のページを捲る。
パメラもちょっと疲れたらしく、頭を抱えていた。
ちなみにシエルはリルの背中でぐっすり眠っている。昔俺のベッドだったリルは、今やすっかりシエルに占拠されつつあった。
「こういう時、自分の貧乏性で無欲なところが呪うわ。大金が入ってきても、使わずにずっと貯金してるし」
キィイイイ! パメラは金髪を掻く。
俺もパメラも、早くに両親を亡くして大変だった。人並みの幸せみたいなものを掴むだけでも難しいことを知っている。だから、今の過剰な幸せに、お互い戸惑っているのだ。
「別に悪いことじゃないだろう。これからシエルも大きくなるし。学校に行かせれば、お金もかかる。俺たちが報われなかった分、シエルには幸せになってもらおう」
「そうね。――でも、当分はまず旅行先の選定よ」
「そうだな。いっそのことシエルに決めてもらう――――そうか。シエルが喜びそうなところにすればいいか」
俺は本屋で片っ端から買ってきた紀行本を広げる。1冊1冊、どれも高価なのだが、それをまとめ買いする程度には、今のヴィンター家は裕福なのである。
1冊の紀行本を手に取って、ペラペラと捲る。
お目当てのものを見つけると、俺はパメラの前で広げて見せた。
「パメラ、ここへ行くぞ」
「えっと……。エシャラ……ンド……島…………? ここって……」
「ああ。そうだ」
別名スライム島だ。