幕間 とある頭領の受難(後編)
☆★☆★ 単行本2巻 発売 ☆★☆★
みなさまの応援もあり、『魔物を狩るな(以下略)』第2巻発売されることが決まりました。
第6話~第10話までを網羅。三つ首ワイバーンのハントから実食まで読むことができますよ。
発売日は8月19日です。
是非お買い上げください。
24時間後……。
すでにもうこの時、リンから最初の勢いは消えていた。
まともに水も飲んでいない。なのに、ションベンだけは大量に出てくる。自分から輩出される水分を恨めしそうに見つつ、周囲を警戒する。
魔物の気配はないが、あちこちから声らしきものだけは聞こえた。こういう時、無駄に高性能な耳を持って生まれたことを恨めしく思ってしまう。
水もそうだが、食糧もほとんど口にしていない。草原で暮らしていた頃の経験で、食草かそうではないかは見分けられるが、森は勝手が違う。
毒茸だとわかっても手を伸ばしそうになる。空腹は毒以上に毒だ。今、それをリンは身を以て味わっていた。
「木の実だ!!」
木イチゴのような赤い実を見て、下降気味だったリンのテンションが上がる。木の枝にぶら下がっていた赤い実をもぎ取ろうと手を伸ばした。
だが、もぎ取られたのはリンの腕の方だった。
「ギャアアアアアアアアアアア!!」
森一帯に広がる叫び声を上げる。
濃い血がボトボトとジャムのように地面に落ちた。顔面蒼白になったリンが見たのは、口を持つ植物だった。丸い口の周りには、獰猛な肉食動物を思わせる牙が光っている。
確かバイクプラントという植物系の魔物だ。どうやら先ほどの木の実はバイクプラントが獲物をおびき寄せるための疑似餌だったらしい。
「痛ぇ! 痛ぇえええ!!」
半泣きなりながら、止血する。
だが、それを簡単に許してくれる魔物ではなかった。ぬるり蛇のように口がある花弁部分を動かすと、リンに向かって伸びていく。
「くそが!!」
氷属性の魔法を使う。
渾身の力を込めたが、思っていたより威力が弱い。バイクプラントの根元辺りを凍らせるのでやっとだ。
昨日からまともに寝ていないことに加えて、魔物に追いかけ回されて魔力を使い過ぎていた。
当然魔力補充液なんて気の利いたものは、持っていない。
魔法を1発撃っただけなのに、もう意識を失いそうだった。
根元を凍らせたぐらいではバイクプラントの攻勢は止まらない。
しつこくリンに迫ると、口を開けてリンを食べようとする。リンも必死である。自分でもどこにこんな力があるのか、とにかく逃げ回ると、なんとかバイクプラントの範囲外に脱出するのだった。
なんとか逃げたが、ボロボロだ。
もぎ取られた腕は止血できたが、血を失い過ぎた。目がかすむ。不意に意識が飛び、死を予感させた。
根性とゼレットに対する恨みだけで生きているようなものだった。
「くそ! くそ! くそ!!」
悪態の勢いもなく、虚しく響くのみだ
何か口に入れるものと思って、彷徨い歩く。途中おにぎりと思って齧り付いたが、形が似た石だった。
そんな些細な判断ができないほど、リンはすでに追い詰められていた。
6時間後……。
2度目の夜がやってくる。
昨日は偶然見つけた穴蔵でなんとか夜を過ごした。
また穴蔵に戻ればいいと思ったが、昼間の騒ぎのおかげで完全に方向感覚が狂っていた。自分の匂いを辿ればいいと思ったが、明らかに嗅覚が鈍っている。太陽の位置から算出しようにも、鬱蒼と木々が生い茂る森の中ではそれも難しい。
昔、なんで冒険者が森の中で遭難するのか不思議でならなかったが、リンは身を以て知ることになった。
食べることも帰還することもできない今、寝ることだけが、リンに許された人間らしい行いだった。
ドンッ!
寝かかった瞬間、何かが高速で地面に弾かれた。小さいが、土が抉れ、衝撃で木葉が巻き上がっている。
さらに2回音がした。
「く、くそ! なんだってんだ!!」
リンは一日中歩きつめて、棒になった足を無理やり動かす。
誰かがリンを狙っていることは確かなのだが、周りに敵らしきものを確認できない。
食糧もない、水もない。
寝ることすら許されない。
今のリンに許されているのは、ただ逃げることだけだった。
68時間後……。
リンの意識は朦朧としていた。
杖を突いていなければ歩けないほど疲労し、いつの間にか靴を脱いで素足で歩いていた。
水分は自分の体液を飲むことでなんとか凌いでいるものの、肝心の食糧が未だに確保できていない。
栄養を取ることができなければ、魔力も回復できない。
「はあ!!」
リンは飛びついたのは、小さな鼠だった。
手掴みで捕まえようとしたが、あっさり逃げられてしまう。手をかざしたが、『魔法』は発動しなかった。魔力切れだ。リンはそのまま倒れ込んだ。
1歩はおろか、指先1本も動かすことができない。
先ほどの鼠への一か八かのダイブで、もうすべての力を使い果たした。
「…………」
もはや何も考えられない。
ゼレットに対する恨みはおろか、今自分が何故こんなところにいるのかわからなかった。
「……ぁ…………ぅ…………」
声が声にならない。
未だに酒と胃液で削られた喉だけがヒリヒリする。
木の皮がクッキーみたいに見えて、貪り食おうにも立ち上がることもできなかった。
(オレ……。死ぬのか……? こんなわけわからない山の中で? 嘘だろ?)
リンの目から涙が出る。
己を哀れんで泣いた涙など初めてだ。
ずっと人の涙だけを見て楽しんでいた。
そんな生活がずっと続くと思う程甘い考えの持ち主ではなかったが、こんな最期はまったく想定もしていなかった。
言葉はなく、静かにひっそり……。
山の中で死んでいく。
そんな末期など、誰が思うだろうか。
死臭を嗅ぎ付けたか、死骸カラスやサーベルハイエナなど、死肉を好む魔物たちが無数に集まってくる。
リンにはそれが、自分の葬式の葬列者のように見えた。
「くそ……。くそ……」
死にたくない……。死にたくねぇ……。
リンは子どものように泣く。
すると一斉に死骸カラスが飛び立つ。灰色の羽根をまき散らすのを見て、リンは天使のようだ、と毒づいた。
??時間後……。
「兄貴!!」
聞き覚えのある声にリンは、ハッとなって瞼を開けた。
目の前にいたのは自分の舎弟だ。
さらに周りに見えるのは鬱蒼と生い茂った森ではなく、王都になるねぐらだった。
リンはソファに寝かされ、周りを舎弟たちが取り囲んでいる。すでに泣いている者もいた。
「お前ら……」
夢だったのか?
リンはそう結論づけようとした。
だが、バイクプラントに食われた腕がそのままだ。森の時とは違って、清潔な包帯が巻かれている。
夢ではないことは確かだ。
「オレは一体……」
舎弟の話では、リンは5日ほど行方不明だったらしい。舎弟総動員で捜したが発見できず、途方に暮れていた時、ねぐらの前で倒れていたリンを発見したらしい。
「これは……?」
「包帯はすでに巻かれていました。医者の話では、極度の脱水症状だったらしいのですが、それも適切な処置をすでに受けていて、オレたちが見つけた時には……」
舎弟の1人が説明する。
一体何が起こったのかわからない。
ゼレット――あのハンターは何をやりたかったのだろうか。それすらあやふやになってしまった。
(警告? それとも脅迫か……)
首を捻る最中、事務所に白衣を着た医者が現れる。
「今から診察を行いますので。皆様、一旦外へ」
医者は忠告すると、舎弟たちは大人しく外へと出て行く。
医者は早速、触診を始め、脈を取り始める。
はぐれ者の勘か、嫌な予感がした。
舎弟たちを呼び戻そうとする前、医者に口を塞がれる。
体力はかなり戻ってきたが、まだ本調子どころか喧嘩もできない。
「随分と興奮してるな、リン」
聞き覚えのある声に、リンの脈拍はさらに上がる。
黒い瞳を見て、背筋に怖気が走った。
獲物を狙う獅子のような眼光は忘れもしない。
(ゼレット!!)
「森での生活は楽しかったか。心配するな。また連れてってやる。だが、あれはレベル1だ。次はレベル2。さらなる地獄だ」
(レベル2! 地獄!!)
「今回は練習はなしだ。最初から森でまた生活してもらう。最初木の洞に籠もることができたが、もうあれはないぞ。最初から不眠不休の生活をしてもらう。今回は5日だが、次は7日だ。まあ、自分のションベンでも飲みながら、頑張って生き延びるんだな」
(やめろ! やめろおおおおおお!!)
リンは心の中で絶叫し、ベッドの上でドタバタと身体を動かす。
一方、白衣を着たゼレットは注射器を取り出して見せた。
「これは睡眠薬だ。起きた時から森の生活の始まりだ。健闘を祈る!」
「はなす……」
「ん?」
「頼む! 話すから!! もう! もうやめてくれぇぇぇぇえええええ!!」
ついにリンは絶叫し、負けを認めるのだった。
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