第118話 プロローグ
エミルディア・ロッド・ヴァナハイアは、ヴァナハイア王国女王である。
公明正大で、権力に固執せず、悪を悪と断じることのできる女傑と知られ、民衆からは愛され、絶大な支持を受けている。
一方で政治に関しては、王国議会の決定を重視していた。
こう言えば、民衆の声を聞くとよい女王という風に思うだろうが、他方貴族の言いなりになっているだけだと陰口を叩くものもいる。
王国議会は現在貴族が牛耳っており、平民はいない。
貴族たちは己の利権だけを貪るだけで、平民目線での施策を行うことは少ないからだ。
それでもエミルディアが慕われているのは、過去の君主と比べて、平民に対して虐げるような施策を採ってこなかった。
特に税制については、慎重だ。
エミルディアがもっとも重視したのは、外交だろう。
積極的に他国の外交官と会い、密に連絡を取っている。
おかげで周辺国とは良好だ。いつかのリヴァイアサン事件も、王子の皮肉1つで終わったことからも、明らかだろう。
こうした動きは、他国と交易する麦商人たちには歓迎されている。
ヴァナハイア王国は土地が広く、平野が多い。小麦などの穀物を育てるのには適していて、自国だけではなく他国にも輸出している。
広い土地の割に資源が少ないヴァナハイア王国では、貴重な外貨獲得手段となっていた。
女王の外交姿勢は、国の事情によるものだ。
エミルディアが後年残す著書にはこう書かれている。
『女王の仕事は人に会って、話を聞くこと』
それほどエミルディアは、人との対話を重視していた。
翻せば、多くの人に会うということは、そのお鉢が回ってくることは稀だということでもある。
そんな忙しいエミルディアがわざわざ呼びつけた人物が、今日のメインといってもいいだろう。
予定の謁見を終わらせると、エミルディアは「次の者を」と優雅に指示した。
大きな鉄扉が開かれ、進み出てきたのは1組親子だ。
ロマンスグレーの髪の父親と、黒髪の美しい女性。
父親は膝をついて、面を下げ、女性はスカートの裾を掴んで立礼した。
エミルディアの治政において、女性の立礼が許されている。理由は折角のスカートが汚れるからだ。
といっても、彼らが足を置いた赤い絨毯には塵1つ付いていなかった。
「お招きいただき感謝申し上げます、陛下」
父親ニコラス・ザード・アストワリは、女王に挨拶する。
公爵閣下でありながらフランクな性格として知られる彼も、女王の御前では硬くなっている。
それほど、玉座に座るエミルディアの覇気が凄まじいのだ。
「久しいな、ニコラス。息災であったか」
「はっ! 心遣い重ねて感謝申し上げます、陛下」
「うむ……。して、そちがニコラスの娘だな」
「お初にお目にかかります、女王陛下。ニコラスの娘ラフィナと申します」
「ふふん。実は、そなたとは初対面ではないのだ。のう、ニコラス」
「はっ!」
「そうなのですか?」
思わずラフィナは聞き返す。
見上げた女王の表情は、子どものように愉快に笑っていた。
「妾が女王になる前……。そなたの赤ん坊の時だ。1度会ったことがある。そなたを抱いたこともあるのだぞ」
「それは――――大変光栄です、陛下」
ラフィナは顔を伏せながら、ちょっと恨みがましい眼を父ニコラスに向ける。
どうやらニコラスも忘れていたらしい。
「ゆるりと子どもの頃のラフィナの思い出話をしたいところだが」
「え?」
珍しくラフィナが顔を青くする。
「後がつかえているのでな。早速、要件に入らせてもらう」
ラフィナはホッと胸を撫で下ろす。
自分の子どもの頃の話など、恥ずかしく聞いてられない。
女王陛下に対して変な粗相をしていれば事だ。
一方、女王は軽く顎を上げる。それが合図だったのか、謁見の間の各所に散った衛兵たちが大窓にカーテンを引き始めた。
謁見の間が真っ暗になる直後、魔法の明かりが灯される。
「父上、これは?」
「落ち着きなさい」
ラフィナが声を潜めると、やや緊張した父の声が返ってくる。
「驚かせて悪かった。この話を知られるわけにはいかぬため、このような措置を取った」
「いえ。それで要件とは……」
「魔獣食の件だ」
逡巡することなく、エミルディアは言い放った。
ラフィナの美しい眉宇が、ピンと跳ね上がる。
ニコラスは顔を硬直させたまま話を聞いた。
「ラフィナよ。公爵家を後ろ盾とし、そなたが魔獣食を広めているのは知っておる。妾の耳に届いておるし、非公式ながら妾も試しに口を付けたことがある」
「女王陛下が……!?」
ラフィナには寝耳に水だ。
横のニコラスも知らなかったらしい。
「家臣から話を聞いて、興味を持った。……たしか、あの三つ首の――――」
「三つ首ワイバーンでしょうか?」
「そう。あの首肉をいただいた。美味であったし、首それぞれで味が違うというのもユニークだと思った」
「嬉しい。女王陛下が魔獣食に興味を持たれているとは。是非次の試食会にはご参加下さい。試食会ではまだ市井に出ていない魔獣食を食べられると、参加した貴族の方々からご好評をいただいているので」
やや身を乗り出しながら、ラフィナは力説する。
女王陛下を味方に付ければ、もう何も怖くない。
魔獣食に対する偏見が見直され、多くの人が口にすることになるだろう。
「それはいずれな……。今回魔獣食の件で呼んだのは、別の件でだ」
「別の件と言いますと?」
ニコラスは顔を上げた。
「お主たちも聞いておろう。偽装された魔獣食材のことだ」
「「――――ッ!」」
アストワリ親子は揃って、絶句する。
まさかもう女王の耳にまで届いているとは、思ってもみなかったのだ。
だが、魔獣食の偽装はすでに市井では大問題になっていた。
料理ギルドが総出になって追跡調査しているが、鼬ごっこだ。
ラフィナを支援してくれている貴族の中でも、最大で3000万グラの被害を出しているものがいる。
料理ギルドのギルドマスターによれば、かなり組織だって動いているため、なかなか尻尾が掴めないのだという。
「かなりの被害が出ているそうだな」
「はい。誠に申し訳ありません。魔獣食を広めるためとはいえ、偽装対策が後手になったことはわたくしの不徳のいたすところです」
「陛下。ラフィナの罪は、監督役である私の罪でもあります。どうか罰は私にお与え下さい」
「父上……」
ニコラスは必死になって、頭を下げる。
そんな父の温情を見て、慌ててラフィナも床に手と膝を突いて、許しを請うた。
「妾はこの件について、懸念を表明する。今日はそなたの父に免じて許すが、一刻も早く対策を考えよ。また偽装業者を直ちに取り押さえるのだ。良いな」
「「かしこまりました」」
「では、次の者……」
エミルディアは次の謁見者を促す。
するするとカーテンが開き、明るい日光がアストワリ親子に差し込んだ。
ニコラスとラフィナは別れの挨拶をして、謁見の間を退場していった。