第105話 元S級ハンターは、良いパパになりたい
一瞬、森が真っ暗になって、俺たちは初めて気付いた。
その気配に怒髪天を衝くとばかりに怒っていたヴィッキーも顔を上げる。薄紫色の瞳を収めた瞼が、みるみる開いていった。
「大きいな……」
思わず俺も言葉を漏らす。
梢の間から見えるそれは、空を飛ぶ岩城のようだ。
黒い岩石に覆われた皮膚。竜の頭が付いた長い首。そしてその紅の翼は、まるで炎が噴き出したかのように鮮やかだった。
ククク、と独特の音が俺たちのいる森にまで響かせる。
それが腹音がなのか、単に鳴き声なのかもわからない。
何故なら俺も初めて目撃する新種だったからである。
「まさかあれが……」
「だっ――――はっはっはっ! 見つけたぞ、ドラゴンキメラ!!」
ヴィッキーは俺への怒りを忘れて、早速空の魔物に向き直った。
すると、ヴィッキーは屈み、思いっきり力を入れる。細い足がクマのように盛り上がると、全身をバネにして飛び上がった。
砲弾のように飛び出すと、一気にドラゴンキメラとおぼしき魔物の高度に達する。
凄まじい跳躍力だ。普段の馬鹿弟子の奇行を見ていなかったら、顎が外れていたことだろう。
だが――――。
「あいつ、真正面から……」
ヴィッキーに戦術なんてものは一切ない。
これまでも、そしてこれからもあいつがやっていくことはたった1つだろう。
今持っている棍棒を持って叩きつぶす。ただそれだけだ。
しかし、真っ正面に来たはいいものの、そこから動く術はない。
いくら跳躍力があって、膂力があろうと人間が魔法や魔導具もなしに飛ぶことは不可能だ。
そして、空中でただ突っ立ってるに等しいヴィッキーを狙うなんて、ドラゴンキメラには造作もないことだった。
ドラゴンキメラは大きく口を開く。その口内が赤く光っていた。
次瞬、豪炎が吐き出される。ほぼ空中で停止状態だったヴィッキーに襲いかかった。
大気が震える。
直撃だ。炎の塊をヴィッキーはまともに受けた。回避した様子はない。そして、真っ黒に焦げた遺体が空から落ちてくることもなかった。
「相変わらず、出鱈目なヤツめ……」
空の攻防を仰ぎ見ながら、俺は肩を竦める。
聞こえてきたのは裂帛の気合いだった。
「やああああああああああああ!!!!」
ドラゴンキメラが吐き出した火塊の中から、褐色肌の少女が飛び出す。
巨大な棍棒を振り回し、その遠心力を利用して、ドラゴンキメラに迫った。
ヴィッキーはドワーフ族である。鉄を扱い、時に地下のマグマを寝床にする彼らは総じて俺たちエルフよりも熱に強い。
加えて、一応ドラゴン対策はしてきたらしい。
何をお洒落しているかと思って、最初から注目していたが、首下に熱耐性を強化する守護宝石が輝いていた。
「おりゃあああああああああああああ!!」
気合い一閃。
スパイク付きの巨大棍棒は、ドラゴンキメラの頬を打ち抜く。凄まじい膂力に、竜頭が溶けた飴のように歪む。
ドラゴンキメラはそのまま巨体を空中でスライドさせた。衝撃によって落下するかと思われたが、ドラゴンキメラは堪え忍んだ。
竜の顔が一瞬、「にやっ」と笑う。
「くそ! もう1発!!」
ヴィッキーは吠えたが、時間切れだ。
ゆっくりと空から落ちてくると、俺の側に着地した。
「もう1回!」
ヴィッキーは顔を上げるが……。
「やめておけ、ヴィッキー。あいつに致命を与えるのは無理だ」
「止めるなよ、ゼレット! 今度こそあたいが仕留める」
棍棒を握る手に力を込める。
「落ち着け! あいつの皮膚を見ろ……」
俺はドラゴンキメラの頬を指差す。
そこもまた黒い岩に包まれていた。岩というよりも、あれは鱗だ。
「黒鎧竜の特徴だ。あれを壊すのは、至難の業だぞ」
黒鎧竜の強みは、その鎧のような硬さと分厚さを誇る鱗だ。あれを打ち抜くことは難しく、俺の【砲剣】の最高出力をもってしても難しい。
「じゃあ、どうすんだよ! お前、秘策でもあるのか?」
「ない。そもそも俺はドラゴンキメラを倒しにここに来たわけじゃないからな」
「――――だったら何しにここまで来たんだよ」
「娘とピクニックするために決まってるだろ!!」
「は、ピクニック!! ばっかじゃねぇの!」
「阿呆か、お前!! いいか。今が娘にとって一番教育に重要な時間なんだぞ」
と俺は空に浮かぶドラゴンキメラを忘れて、力説する。
「娘はいずれ成長する。パメラのように美しい娘に成長するだろう」
「おい。いきなりのろけるなよ、こんなところで」
「だがな――――」
「聞いてないし。まだ続くの、この話」
ヴィッキーはげっそりした顔を浮かべるが、俺の話は続いた。
「今は『パーパ』とか言われてるけどな。いつか反抗期がやって来て、『いやいや』言うようになって、10年後には思春期だぞ! 『おっさんのと一緒にあたしの下着を洗わないで!』とか言われるんだぞ」
「お前の想像する未来の娘、かなりひがんでないか? あたしは別にそんなこと……」
「お前と一緒にするな、怪力女!!」
「な、なんだと!!」
「だから、俺は今必死に、娘に良いパパという印象付けを行っているんだ! わかったか!!」
俺は喝破する。
何故か息が切れ、ちょっと疲れた。
全てを聞き終えたヴィッキーは何も言わない。ただ腰の小さなポーチから魔導具を取り出す。
それは手乗りサイズの小さな宝箱だった。
【圧縮小箱】という魔導具で、大きなものを宝箱のサイズまで小さくできるという便利アイテムだ。
「娘がどうこうとかあたいにはわからないけどね。ゼレットがろくな装備を持ってきていないということはわかったよ」
ヴィッキーはニヤリと笑う。
その指摘は正しい。ピクニックの下見に、Sランク用のフル装備を持っていくほど、警戒心が強い俺ではない。
そもそもこんな近くにドラゴンキメラがいるとは思ってもみなかった。
ヴィッキーは【圧縮小箱】を地面に放り投げる。パカッと箱が開くと、なかなか大きな鉄塊と見間違うような大剣が現れた。
男20人がかかっても持ち上げられそうにない大剣をヴィッキーは軽々と持ち上げる。
空に浮かぶドラゴンキメラに向かって、覇気を吐くと言った。
「行くぞ、あたいのエスカリボルグ!!」