<僕の林檎の妖精、若葉の瞳のお姫様>
僕は彼女が大好きだ。
このルラ王国の侯爵令嬢、テレサ。
王家のたったひとりの王子である僕とは幼なじみで、子どものころからの婚約者でもある。
林檎みたいな赤茶の髪に春の若葉を思わせる緑の瞳。
少女のころは僕より身長が高くて、いつもお姉さんぶっていた。
成長して淑女と呼ばれるようになるころには、熟しかけた林檎のように甘い香りを漂わせて僕を翻弄した。本人に自覚はなかっただろうけどね。僕と身長が変わらなくなって、僕が妹のように慈しみ守るようになっても気付かずにお姉さんぶってた。そんなところも大好きだ。
──彼女は王妃に相応しくない。
だって優し過ぎるんだ。王宮での教育も学園での勉強も問題なくこなしているけれど、だれかを切り捨てるような政策は受け入れられないでいる。そのだれかを切り捨てなければ、さらに多くの犠牲を出すと理解していてもだ。
小さな領地の貴族の家に嫁ぐのならばなんとかなったかもしれないが、貴族を束ね国を率いる王妃としては無理だろう。
でも僕は彼女以外欲しくなかった。
僕に兄弟がいれば話は簡単だった。
兄がいれば僕が王太子になることはなかったし、弟がいれば太子の座を譲った。
でも僕はこの国の、ルラ王国のたったひとりの王子だった。テレサと結ばれるために太子を辞したいなんて言ったら、排除されるのは彼女のほうだ。大公の叔父上は有能な人だけど、なんの問題もない息子を廃して弟を太子にするとか無理があり過ぎる。それに有能とはいえ、叔父上が女性関係に問題があり過ぎるのは事実だし。
好機が巡って来たと気づいたのは、学園に入学する直前だった。
側近候補のひとりが、隣国リマ王国が差し向けてきた工作員の虜になっていることがわかったのだ。フォルカとかいう、娼婦上がりの女。入学試験での優秀な成績とやらも試験官を篭絡して事前に問題を手に入れ下駄を履かせてもらってのものだ。
僕はその側近候補を泳がせた。せっかくだから、ほかの側近候補も一緒に罠にかけようと思っていた。だってアイツら自分達のほうが家格が上だと自惚れて、侯爵令嬢のテレサを莫迦にしていたしね。
テレサを傷つけるのは嫌だったけれど、父上達にすべて茶番だと気づかれないよう婚約破棄までして、フォルカに夢中だと見せかけた。
あっという間にフォルカが工作員だと暴かれて処刑されたのも、その程度のことが見抜けなかったのかと僕と側近候補達が親世代に見限られたのも計画通り。側近候補の連中は、本気でフォルカに溺れていたからなあ。あはは、バーカ。テレサの魅力もわからない能無しだから、あんな体だけの女に引っかかるんだよ。
とはいえ、側近候補の連中と違って僕が太子を辞すのはまだ無理だった。
もちろん準備はしていた。毎日少しずつ毒を飲んで耐性をつけていたのだ。
そうは言っても、致死量ギリギリの毒を仰いだときは緊張した。
本当に死んでしまったら、テレサと結ばれることが出来ない。婚約破棄したにも関わらず僕を愛し続けてくれているテレサが後を追いそうで心配だったし、だからといって生き残った彼女がほかの男と結ばれるのも嫌だった。
僕が生死の境を彷徨っていた間、テレサはずっと祈り続けてくれていたという。
死神に打ち勝っても終わりじゃない。
僕は記憶喪失を装った。死を前にして改心したわけじゃない、記憶が戻ればいつまた自害しようとするかわからない危険人物になるためだ。……それに、婚約破棄までした男のままで復縁を願うのはあんまりだと思ったから。
だれも僕の演技には気づかなかった。
学園在学中の演技にも気づいてなかったしね!
まあ気づかれないのも当然だ。今の僕が本当の僕なんだもの。学園時代は演技だと気づかれるのが怖くてテレサに近寄ることさえ出来なかったけど、今なら大丈夫。彼女を愛する心は演技じゃないから。
父上達は、僕に秘密のつもりで侯爵家に復縁を要請してくれた。
王家と侯爵家で密約が結ばれたところで、僕の外出禁止令が解除される。
僕が王宮の自室から出たら、王族しか知らない秘密通路から抜け出して侯爵家へ向かうことはお見通しだろう。記憶喪失を演じる僕は学園時代の愚行から耳を塞ぎ、テレサに会いたいとだけ叫んでいたからね。僕も尾行してくる護衛には気づかない振りをしてあげた。
実際のところ、叔父上には僕の演技を気づかれている感じがする。
僕と父上と叔父上は外見も性格もよく似ている。周囲に言われるし、自分でも思う。
ただ、最愛の女性を王妃に迎えられた父上と違って、僕は愛する婚約者が王妃に相応しくないと気づいてしまったし、叔父上は愛する人を求めながらも見つけられずにあがいている。幸せな父上と僕達の間には深くて長い溝が刻まれているんだ。
侍女と護衛騎士達に見守られながら、東屋で跪きテレサの手に口付ける。
再会してからずっと、彼女から目を離せなかった。
美しく魅力的な僕の愛しい人。世界で一番大好きなテレサ。
「僕の林檎の妖精、若葉の瞳のお姫様。僕は君を妻にして、永遠に愛し続けることを誓います」
「私もアイウトン殿下を永遠に愛し続けます」
僕の記憶が戻る日を恐れているのか、少しだけ不安そうな顔でテレサが目を閉じる。
今はまだ本当のことは言えない。
言えば彼女のことだから、王妃に相応しくない自分が悪いと考えて身を引こうとするだろう。それは嫌だ。
どこかで鳥の鳴き声と、親におかえりと告げる雛の声がした。
僕とテレサの子どもは出来るかどうかわからない。僕が飲んだ毒は副作用で生殖能力を失わせることが多いのだ。
侯爵家自体はテレサの兄弟が継ぐから心配ないし、僕らに与えられる新しい家の跡取りは叔父上が山ほど作るだろう子どもを養子にもらえばいいよね。
──僕は、自分の影から目を逸らす。
本当は王妃になったテレサが周囲に慕われ愛されるのが嫌だったんじゃないか、側近候補の連中はテレサを見下していたのではなく憧れて照れ隠しに軽口を叩いていたから排除したかったのではないか、優しいテレサが夫である自分より子どもを慈しむのを見たくなかっただけではないか、そんな風に自問自答を繰り返す心の奥底に蓋をする。
いいや、そうだったとしてなんの問題がある?
僕は立ち上がり、僕の林檎の妖精、若葉の瞳のお姫様の唇に自分の唇を重ねる。
この口付けは再び婚約を結ぶ証。この林檎の妖精、若葉の瞳のお姫様は僕だけのもの。
愛してるよ、テレサ。これまでもこれからも、ずっと──