スープ
王妃様が亡くなったということを私が知ったのは、父と兄が帰ってこなくなってひと月以上経ってからだった。
母は翌朝には帰ってきたが、ずっと執事と真剣な顔で何かを話し合い、それが済めばあちらこちらに出かけ、夜明けごろに疲れた顔で帰ってくる。
とても私が能天気に髪がどうしただのと顔を出せる雰囲気ではなかった。
私には何があったかは知らされず、ただ、家族が留守にしている間、決して外には出ないよう強く言いつけられた。
私が以前しでかしたことを考えれば当然だろう。
私は小さくため息をついた。
みんなが帰ってこなくなったあの夜。
いつものようにキラキラと輝く王宮をぼんやり眺めながら、遅くまでみんなの帰りを待っていた私は思わず悲鳴をあげた。
慌てて近くにいたナディアに抱きついたが、震えは止まらない。
当然メイド達は何があったのかと心配したが、私は首を振るだけだった。
鳥が見えたのだ。
王宮から巨大な鳥が飛び去った。
あれは見間違えだ、何かの影か錯覚だと自分に言い聞かせたがその一方で何かとんでもないことが起こったのだという、確信めいた予感が消えることはなかった。
両親や兄の無事は伝えられてはいたが、それでもなお、不安が胸の奥につかえている。
「お嬢様、お味はいかがですか?」
コックのブルーノの声にはっとする。
どうやらぼんやりして食事の手が止まっていたようだ。
1人の食卓はひどく殺風景で、静かすぎる。
ここのところ食事があまり進まないのは、決して彼の料理のせいではない。
「いつも通り美味しいわ。ありがとう。」
私が微笑むと、彼もにこりと微笑み返してくる。
気を取り直して、スプーンでとろりとしたスープをそっと口に運ぶと、人参の風味の奥にかすかな酸味と、甘い味がした。
「…オレンジ?」
「は、はい。
お好きだったかなと思いまして。」
美味しい。
私の味覚が子供のそれであることを差し引いてもとても美味しいと思う。
感心するのが、オレンジが入っているからといってお菓子のようにはなっていないことだ。
オレンジのフルーティーさで人参の青臭さを消し、なおかつ肉料理に合う一品として成立している。
果物は確かに私の大好物だが、こうしてデザート以外の料理に取り入れられたことはなかった気がする。
今までも腕の立つ料理人だとは思っていたが、と、思わず彼の顔をまじまじと見てしまう。
すると、ビアンカが私の後ろからそっと教えてくれた。
「お嬢様の元気が出るようにとずいぶん苦労して考えたようですよ。」
「ブルーノ…。」
「いや、私は料理しか能がないもので…。」
「本当にありがとう。
今日のスープは特に美味しいわ。
私、これ大好き。」
そう言ってまた私がスープを飲むと、ブルーノは手に持ったコック帽をくしゃくしゃに握りつぶして嬉しそうに笑った。
そうだ。
私がくよくよしていては駄目だ。
家族はみんな忙しいし、仕えてくれているみんなもそれぞれ仕事がある。
私の心配などで彼らの心を煩わせてはいけない。
ひとりぼっちで過ごすことには前世で慣れている。
けれど今はナディアもビアンカもオリバーもブルーノも、他のみんなも一緒にいてくれるではないか。
この恵まれた環境もみんなの心遣いも無駄にすることなく、私はきちんと自分のするべきことをしなくては。
ブルーノを見習って、努力しなくては。
私も誰かの心を温められるようになるために。
もうひと掬い、スープを口に含む。
ブルーノの愛情こもったそれは、ほんのり酸っぱく、甘く、私の心も潤した。
今回、短めですみません。
次回は水曜日更新予定です。