馴れ初め
「今日はどのようになさいますか?」
私の髪を梳きながらナディアが言う。
鏡の中の私は相変わらず丸い顔に鬱陶しいほど黒くて多い髪。
垢抜けなさに我ながらうんざりするが、口には出さない。
自分をいちいち卑下しない。
兄との約束だ。
あれからまだ心で思ってはしまうが、口に出さないことだけは心がけている。
「いつもと同じでいいわ。
そのままで。」
ナディアは少しがっかりしたようだが、気を取り直したようにカモミール水を手に取った。
同時に、どこかでカタンと小さく音がする。
「あら、そのままなの?」
「お母様。」
母は扉からひょこりと顔を出して笑った。
「せっかくだから色々やってもらえばいいのに。
みんな腕がいいからますます可愛くなるわよ。」
「そうですね。
でも、今日はどこにも出かける予定もありませんから…。」
「出かける予定とかどうでもいいのよ。
せっかく女の子に生まれたんだから楽しめばいいの。
クラウディアは元がいいから飾りがいもあると思うわよ。」
「そんな…。お母様の方がよほどお綺麗ですわ。」
お世辞ではない。
母は年の割にはとても若々しくいつまでも可愛らしい。
色は白く、金の髪と緑の瞳は妖精の女王のようだと評されるし、華奢でな体つきには少女のような儚さがある。
娘の目から見ても整っているし、同年代の友人たちからも羨ましがられる。
なぜ私はこの遺伝子を受け継げなかったのだろう。
しかし母は不満そうに私の前に座って口を尖らせた。
「嬉しいけど、そういうことを言ってるんじゃないわ。
第一、もし私を綺麗と思うなら、これは努力で手に入れたものよ。
あなたは私よりずっと綺麗だから、努力すればもっと綺麗になれるわ。」
「努力?」
「何もしなくても美しい方もいらっしゃるでしょうけど、私は若い頃そりゃ田舎娘だったから垢抜けなくて大変でね。
何回も失敗しながら試行錯誤を繰り返して、なんとかお父様に恥ずかしくない程度になれたの。」
それから母は恥ずかしそうに口を押さえながらうふふと笑う。
その姿はやはり可愛らしいという表現がぴったりだ。
「でもね、お父様はそんな田舎者の私でも好きになってくれたのよ。
お父様以外の方には声をかけられたこともなかったくらい目立たなかったのにね。
それでもお父様は私を見つけてくださったの。
そばにいて欲しいのは君だけだっておっしゃってね。」
ふと、小さな咳払いが聞こえた。
そちらに目を向ければ、少し顔を赤くした父が扉のそばにいる。
母は笑いながら父を手招きして自分の隣に座らせた。
「今、クラウディアに私達の馴れ初めについて話してたの。」
「馴れ初め…。いや、参ったな。
変なところに来てしまった。」
「いえ、楽しいですわ。
お父様はお母様のどんなところが気にいられたの?」
「ええ?どんなところねぇ…。」
父は顎に手を当ててしばらく難しい顔をして考え込んだ。
「どこというのは無いんだよ。
私の一目惚れと言うしかないな。
いや……一目惚れとも言えないか。
初めて会ったときは顔も見えなかったからね。」
「そうなのですか?」
「お母様は挨拶する為に顔を伏せてたからね。
でも、挨拶するラウラの声を聞いた瞬間、この人と一緒になりたいと思ったんだ。
だから、まあ、言ってみれば一声惚れという感じかな。」
母は頬を染めてにこにこ笑っている。
「お父様はモテモテで人気者だったのよ。
格好良かったし、身分も高いし、みんなの憧れの的だったわ。」
「それは君の勘違いだよ。」
「あら、いつも周りを女性に囲まれてたのに?」
「たとえそれが本当だとしても、グレゴリー家という色眼鏡を外して私自身を見ていた人は誰もいなかった。
何かの見世物になった気分だったね。
そもそも好きになった人は全く寄り付いてくれなかったから、他にどんな人が来てもね。」
「あら、そうだったかしら。」
「ああ、振り向かせるのにどれだけ努力したか。」
愛おしそうに母の髪をそっと撫でる、父のとろけるような視線に、思わず口をついて出た。
「素敵…。」
「お前にもそんな人がすぐ現れるさ。」
「私はお母様ほど可愛くはないもの。」
つい兄との約束を忘れて自分を卑下する言葉が出てしまった。
誤魔化そうとして笑うが、父はきょとんとして私を見る。
「クラウディアは可愛いが?」
「お父様の目からは私がどんなでもそう見えるでしょう?」
私が冗談めかして笑っても、父は大真面目なままだ。
「もちろんだよ。
でも、クラウディア、人を好きになるのに見た目は関係ないんだよ。
人は、その人が世間一般的に見て可愛いからといって好きになるわけじゃない。
好きになってしまえばその人の全てが可愛く見えてくるものさ。」
もちろんお母様は誰が見ても可愛らしいがね、などとさらりとのろける父に母はまた頬を染める。
その様子に少々呆れつつも、私はなるほど、と1人納得していた。
ゲームの主人公がいつも普通の容姿と言われる所以はこういうところにあるのだろう。
「でもね、クラウディア、だからといって自分を磨くことを怠ってはだめよ。
いつか出会うその方のために、ふさわしい自分でいられるように自分を磨いておきなさい。
あなたの周りの人もその方が誇らしいはずよ。
でないと、お母様みたいに苦労するから。」
母は舌を出して笑った。
その横顔を、父はまた愛おしそうに見つめていた。
次の日もナディアはいつものように私に聞いてくる。
「今日の髪はどうなさいますか?」
「今日も…。」
言いかけて、その言葉を飲み込む。
兄や父母の言っていたことをもう一度よく噛みしめる。
自分の立場に感謝すること。
謙遜と卑下は違うこと。
容貌は本当の愛には関係しないということ。
努力をするのはそばにいる誰かのためでもあるということ。
「あの…どんなのがいいかしら。」
ナディアの手が止まる。
目は驚いたように見開かれて、すぐにキラキラし始めた。
「そうですね、お嬢様でしたらなんでもお似合いになるとは思うのですが、思い切って上の方でまとめてみるのはいかがでしょう。
レディーらしさが増すと思います。」
「お嬢様、三つ編みで下に垂らすのも可愛らしいと思いますよ。
お花の飾りなどお似合いになるかと。」
様子を見ていたビアンカが髪飾りを見せてくる。
カーラも色々な瓶を取り出しながら笑顔で言う。
「クラウディア様、せっかくですから本日はラベンダーの香油を使ってみましょうか。
香りを確かめてみてください。」
「ありがとう。いい香りね。嬉しいわ。」
胸のどきどきはおさまらない。
顔も少し赤くなってる気がする。
けれど嫌な気持ちは全然しなかった。
どんどんナディア達の手で整えられていく髪を両親が見たらなんていうだろう。
兄は笑ってくれるだろうか。
今日、みんなが帰ってきたら、出迎えてみようか。
そして兄に、お茶会について話をするのだ。
お誘いをお受けしたいと。
考えるだけでどきどきするけれど、今なら言える気がした。
けれどもその日、待っても待っても、両親も兄も、帰ってくることはなかった。
王妃様が、亡くなられたのだ。