夢
『不自由はさせない』というギルバート様の言葉を疑っていたわけではない。
けれどその言葉は伊達ではなかった。
食事は少々多めだったがさすが王宮、美味しいものばかりであったし、お風呂には薔薇の生花が浮かべられえもいわれぬいい香りに包まれた。ラベンダー水、ラベンダーオイルを髪にも肌にもしっかりと塗り込められ、動くたびにいい香りがする。
寝巻きは肌触り良くさらりとして気持ちがいい。
急に滞在することになったのだから色々と用意も大変だっただろうに、そんな様子は誰も見せない。柔らかい微笑みであまりにも手際良くお姫様扱いをされ、ありがたいと同時に恐縮もしてしまう。
だから、さすがにその提案を受けることは固辞した。
「いいえ、バート様のベッドを取るわけには…。」
「私は隣の部屋のを使うから。」
「なら私がそちらへ。」
「ディアの様子が部屋から見えたほうがいいだろう。
隣の部屋はあそこからでは見えないんだ。」
そう言ってギルバート様はいつも2人で数式の勉強をしている机を指差した。あともう少ししたら、兄が書類を持ってきてそこで仕事をする予定なのだ。
兄は執務室の外には出せない書類の処理を終えたら来ると言っていたが、部屋に戻る時に『良い夢を』という言葉と共に私の頭を撫でたあたり、どうやらここに来るのは私の就寝後、夜遅くになるのだろう。その証拠のようにオリバーをここへ置いていった。
そのオリバーは今、私たちの話を困ったように微笑みながら聞いている。
「それでも、私は臣下ですわ。ギルバート様の寝床を奪うのは…。」
「ディアは私の婚約者で臣下じゃない。あと、奪うんじゃなくて私から譲ってるんだから問題ない。」
「でも。」
「ここが1番寝心地がいいんだ。」
「だったらなおさら…。」
ギルバート様はベッドに腰掛けながらふかふかのキルトをもふもふと手で押した。
「ディアに1番いいところで寝てほしい。
今日は疲れただろうから、いい夢が見られるように。」
キラキラとした瞳でそう言われてしまえばこれ以上の固辞は難しい。
私はありがたくベッドを使わせていただくことにし、兄が仕事をする予定の部屋と寝室をつなぐドアは細く開けておくことになった。
ギルバート様は私を見ながらベッドをぽんぽんと叩く。
私はそれが何を意味するのかわからず、首を傾げた。
すると彼はこう言ったのだ。
「ディア、横になって。」
それがあまりに自然だったから、何を言われたのか理解するまでに私は少しの間言葉を失う。
理解が追いつくと同時に私の顔が熱くなるのが分かった。
「なっ!何をおっしゃいます!そんなことできません!」
けれどギルバート様はきょとんとした顔で先ほどの私のように首を傾げた。
「ディアが眠るまでそばにいたいだけだよ。」
「でも…。」
「私はベッドには入らない。この椅子に座ってるから心配しなくていい。」
「そういう問題ではございません!」
「そうなの?」
「はっ…恥ずかしゅう…ございます。」
するとギルバート様は虚をつかれたように黙ってからにこりと笑った。それはそれは魅力的な微笑みで。
「ディアは寝顔もきっと可愛いだろうから気にしないでいいのに。」
心臓が大きくどくんと音を立てたのわかる。
顔の火照りが止まらない。
言葉を探しても何も見つからない。
卒倒しそうな私に助け舟を出したのは近くでやりとりを見守っていたオリバーだった。
「ギルバート様、クラウディア様はいつもはお一人で寝ていますので、そばにギルバート様がいらっしゃったら緊張して寝れないのでしょう。」
「そうなの?ディア。」
私はこくこくと頭を縦に振る。
それを見てギルバート様は少し残念そうにしながらも納得してくださったようだ。
「分かった。ディアがよく寝られないならやめる。」
「お二人とも今日はお疲れでしょう。そろそろお休みなされませ。
クラウディア様に何かあれば私がお知らせいたしますので、ギルバート様も。」
オリバーにそう促され、ギルバート様は素直に頷いた。
「そうだね。じゃあお休み、ディア。」
「はい。お休みなさいませ。」
にこりと笑って就寝前の挨拶をされたギルバート様は、2、3歩進んでふと立ち止まる。
そしてくるりと踵を返すと、私の目の前にきて私の両手を取ってそのままそれを彼の顔あたりに持っていく。
「良い夢を。」
ギルバート様は顔を下に向けていたから私の両手がどこに当たったのか、正確には分からない。分からないけれど、当たったのは唇だっただろうか。私の勘違いだろうか。
閉まった扉の先のギルバート様に確かめるわけにもいかず、私はしばし立ち尽くすこととなる。
心臓はどくんどくんと大きく波打つ。お相手が絶世の美貌の婚約者であるとはいえ5歳の子ども相手にこんなに心乱されるとは、私がちょろすぎるのか、ギルバート様がやり手なのか。
きっと後者だろうと思いつつもどきどきは止まらない。
だから眠れるかどうか不安ではあったのだ。
けれど皆が言うように、実は自分が思うよりもずっと疲れていたのかもしれない。
温石で暖められたベッドはほかほかと温かく、ほんのりとラベンダーとカモミールの香りが漂う。ふかふかのベッドにやわらかいキルト。
まだまだ考えなくてはいけないことは山積みなのに、それらはすぐに私を深い眠りへと誘った。
しばらくして私は自分が深く暗いところにいることを知る。
どこなのだろう、ここは。
何か不安な、心がざわつく感じがする。
どこかに逃げようと思っても体は動かない。
目も開かない。
暗い。
暗い。
ふと、どこからか何か不思議な匂いが漂ってくる。
甘い、けれど不快な、まるで腐った果実のような。
目が少しだけ開いた。
人が倒れている。
何人も。何人も。あちらこちらに。
倒れながら笑っている。
目だけ動かしてあたりを見ていると、視界の端にきらりと光るものが目に入る。
あれは…髪の毛。輝く巻き毛。
バート様だ!!
私はもがく。
もがいてギルバート様を助けに行こうとする。
けれど体が動かない。どうしても動かない。
涙が出てくる。
無理矢理に手を伸ばす。
届け。あと少し。
届け。
届け…!
ふと、手が暖かいもので包まれた。
何度も書くとかえってしつこく押し付けがましいのでは、と思いつつも、わざわざ押してくださるそのお心が嬉しいのでやっぱり書きます。
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