容貌
「人生って…うまくいかないものね…」
「クラウディア様…。」
しまった。
油断してつい口に出てしまった。
案の定、取り繕う間も無く、心配そうにナディアが覗き込んでくる。
「クラウディア様、どうかされましたか?
何かお悩みが…?」
「ううん。違うのよ。」
「クラウディア様…。」
「本当よ。心配かけてごめんなさい。」
にこりと笑ってそう誤魔化すと、ナディアはしばらく私を見つめて頷いた。
少し寂しそうに、微笑もうとして失敗したような表情で。
あ。
やってしまった。
悪役令嬢だのなんだのと、まだどうともなっていないことをグダグダと気にして、結局身近な人を心配させてる。
どこか遠いところで、祖母がいつも口を酸っぱくして言っていた言葉が響く。
『言いたいことはもったいぶらずに言うんだよ。
いつ伝えられなくなるか分からないんだから。』
もちろんナディアに悪役令嬢のことは言えない。
頭がどうにかなってしまったのかと、ますます心配をかけてしまうだろう。
でも、彼女を信頼していないわけではないということを伝えたい。
私はナディアの手にそっと手を重ねた。
「ナディア…あの…聞いてくれる?」
ナディアは少し驚いてから眉尻を下げて、目を伏せてぎゅうと私の手を握る。
それから嬉しそうに笑って、もちろんです、と言ってくれた。
「あのね…私…ちょっと考えてることがあるの。」
ナディアは真剣に私の目を見てたから、私は少し目をそらす。
「…私、頭に傷が残っちゃったでしょう?
いつ怪我の後遺症が出るかわからないし…誰もお嫁さんにもらってくれないんじゃないかと思って…。
だから、お父様やお母様のお邪魔になる前に修道院に入ったほうがいいんじゃないかって。」
ここ数日考え続けた結果、それが破滅から逃れる1番確実な方法だと思うのだ。
この国には、いくつかの伝統と権威のある修道院や教会がある。
それらに入るにはそれなりの身分や教養、持参金を必要とするため、そこに一族の誰かが入ることは悲劇でもなんでもなく、一種のステータスのようなものとして捉えられている。
自ら望んで入りたがる貴族の子女はたくさんいた。
私がそのうちの一つに入れれば、両親や兄の助けになる。
もちろん私が政略結婚をした方が役に立つのかもしれないが、そんなに悪くはない話のはずだ。
なにより、修道院の中は男子禁制である。
世俗から離れれば男女の色恋のいざこざに巻き込まれることも巻き込むこともあるまい。
しかし、少し待ってみてもナディアの返事はない。
「ナディア…?」
そっと上目遣いで様子を伺うと、そこには鬼の形相のナディアがいた。
「ナディ…。」
「クラウディア様!」
最近様子がおかしいと思っておりましたら…。
どこの誰がそんな酷いことを言っていたのですか⁈
そんなとんでもない!馬鹿げたことを!
ありえません!」
ナディアの剣幕に押されて私は少したじろぐ。
目の前の彼女は私のそんな様子に気づくこともなく、泣かんばかりに怒り狂っていた。
「クラウディア様ほどの御器量の方、どこの誰が縁談を断るというのです!
お美しい上に可憐で上品、どんな相手にもお優しい方を!
その上、クラウディア様は公爵家のお嬢様としてふさわしい教育を受けていらっしゃいます。
向こうからご縁談を申し込まれることは山ほどありましょうが、断られるなどということがあるはずはございません!
いいですか、お嬢様、そのような者の戯言には決して耳を貸されませんよう!」
「え…ええ。」
「そもそも、どこの不心得者がクラウディア様にそんなことを申したのですか!」
「ちがうの。
本当に私が1人で考えたことで…。」
「クラウディア様、クラウディア様がお優しいのはわかっておりますが、そんな者を庇う必要はありませんよ。」
「本当よ。
誰のせいでもないの。
私が勝手にくよくよしてたから…。
心配かけてたのね、ごめんなさい。」
「クラウディア様…。」
「聞いてくれてありがとう。
ナディアにしかこんなこと言えなかったから。
ナディアがいてくれてよかった。」
私がにっこり笑うと、ナディアの目にはみるみる涙がたまりだし、顔を伏せておいおいと泣き出してしまった。
「クラウディア様、すみません。
でも、私、お嬢様が悩んでいらっしゃるのがわかっていたのに何もできなくて、悔しくて…。」
私はその肩をそっとさすって猛烈に反省していた。
本当に、どれだけ心配をかけていたのか、私は。
くよくよと落ち込んで自分のことばかり考えて。
周りに心配をかけて泣き暮らして悲劇のヒロイン気取っていたら、どんどん周りが見えなくなって甘やかされることに慣れてわがままになって、近いうちに悪役令嬢の出来上がりとかいう最悪の事態に陥るかもしれない。
せめて今だけは悪い点には目をつぶって、良い点にだけ目を向けてみよう。
修道院のことはその後でのんびり考えることに決めた。
ひょっとしたらもっといい、他の道が見つかるかもしれないし。
「本当にごめんなさい、心配かけて…。
でも、そうよね、くよくよしてても仕方ないわよね。
……ねえ、ナディア、鏡を見せてくれる?」
私はすっかり伸びてしまった前髪を耳にかけた。
この1ヶ月、ほとんど寝たきりで、滅多に鏡を見ない生活をしてきた。
髪をとかすのも顔を洗うのも、ほとんどメイド達に任せてしまっている。
彼女達は何かにつけて美しい、可愛い、と褒めてくれるけれど、それはただのお世辞のようなものだと思っていた。
でも、私の設定がゲームの通りならば、実は私は本当に綺麗なのかもしれない。
なにせゲーム中ではギルバート様に『どんな男達でもたぶらかして歩けるほどの美貌だ』と言われていたのだから。
ならば、ゲームのキャラではない方が私のことを心から気に入ってくださり、ギルバート様の婚約者にならなくて済むかもしれない。
いやいや、そもそもあの台詞が出てくるくらいだから、ギルバート様は私の容姿を気に入ってくださっていたのだろう。
とすると、私の行いさえ良ければ、ギルバート様とも上手くやれて、ゲームのルートとは関係ない、幸せな人生を送れるかもしれない。
つまりは、私が持ってる元々の容貌がそれなりに良くて、今後、容姿も心もちゃんと磨き続ければ、破滅の道から逃れられる可能性も見えてくる!
「クラウディア様、鏡をお持ちしました。」
「ありがとう。」
少し大きめの手鏡をそっと持ち上げる。
少しの不安と多めの期待と共に。
「え。」
頬をそっと触る。
すると、鏡の中の少女も頬に手を当てた。
間違えない。これは私だ。
どうしよう。
可愛くない。
全く。
黒くて癖のない長い髪。
けれど量が多いのか、箒のようにボワッと広がっている。
同じように黒い瞳。
小さくて低い鼻。
眉毛は太く、顔は丸く、唇は厚めで、一言で言えば暑苦しい顔。
まあ、目は少し大きめだから、それプラス7歳という年齢でなんとか「可愛い」とは言ってもらえるかもしれない。
それでも絶世の美少女とか、そんな感じは全くない。
なんで。
普通乙女ゲームのキャラって誰でも可愛いものなんじゃないの?
ましてや私は設定自体で綺麗だと言われているのに。
髪の毛もピンクとか水色とか綺麗な色で。
ナディアだって淡いすみれ色の髪が素敵だし、すごく可愛らしい顔立ち。
なのに私はなんで。
メインヒロインじゃないから?
それとも神様のいたずら?
第一、この顔でどうやって色目を使ったのだろうか。
色目の使い方なんてわからないけど、この顔で色目を使ったところでついてくる男がいるとも思えない。
…ああ、そうか。
美貌なんて嘘っぱちで、金でモノを言わせたのか。
けれど王子様だけあって優しいからそれをオブラートに包んだ言葉があれか。
ふんわり漂い始めた希望の光を見事に蹴散らされた私は、ぱたりと手鏡を裏返して机に置いた。
「お嬢様?」
「私…不細工だわ…。」