菓子
「おかしどーぞ。」
セバスチャン様がキラキラとした瞳で私にお菓子を差し出してくる。その瞳はやっぱりバート様に似ていて、私は思わず微笑む。
今は受け取るのが正解だろう。
なんなら『一口食べて驚いたように美味しいと言う』まですると完璧かもしれない。
けれどどうしても手を伸ばすことができない。
セバスチャン様は可愛らしく、無垢で優しい子だ。さっきだって私を守ろうとしてくれた。
カステヘルミ様は思っていた方とは全く違った。
公式の場ではあまり笑わずいつも凛としてらっしゃる方だから、こんな、言葉選びの少々苦手な、不器用な方だとは思わなかった。きっと初めてお会いした時のあの言葉もこの言葉も、カステヘルミの本意と私の受け取り方の間には乖離があったのだろう。本当の彼女はさっぱりした可愛らしい方だ。
私は世間知らずだし鈍感だから、ひょっとしたら私に見えてるお二人は演技で出来上がったハリボテなのかもしれないし、私の見た面とは違う、残忍な面も持ち合わせているのかもしれない。
けれど、このお二人が私を害そうとすることは無いだろう、と思うのは甘すぎるだろうか。
そもそも今私が殺されても第二王子派閥に大した益は無いのだ。
まだギルバート様は幼いのだし、私に代わって他の有力貴族家の令嬢がギルバート様の婚約者になればいいのであって、第一王子派閥としては大した痛手でもなかろう。
ただ、私が殺されたならばグレゴリー家は黙っていないだろうから、第二王子派閥のどこかが粛清されるとは思うが。グレゴリー家は王家に次ぐ公爵の位をもつ上に政治にも深く関与しており、長男は現国王の親友であり側近、肥沃な土地と多くの私兵を持つ。その家を敵に回して得をする者などいない。私を殺すならばそれ相応の覚悟と策略が必要なのだ。
だからこれを受け取って食べることには何の問題もない。
けれど、どうしても体が動かない。
『気を付けてほしい』とギルバート様は言った。
その言葉に、私は頷いたのだ。
セバスチャン様とただただ微笑み合う私に助け舟を出したのはカステヘルミ様だった。
「これ、困らせるでない。」
「でも、まだおれいしてない。」
そう言って尚も私に差し出してくるお菓子を、カステヘルミ様はさっと取り上げぽりぽりと食べてしまった。
セバスチャン様はそんな母に猛烈に抗議する。
「あー!おねえちゃんにあげるおかし!」
「うるさいのう。礼なら口で言わんか。
菓子なんぞ食わせたら子だぬきが心配して禿げてしまうわ。」
「…子だぬき…?」
そういえば、前にもカステヘルミ様に子だぬきと言われたことがあった。
バート様と庭で2人で花植えをしていた時だ。
あの時はなんてひどい物言いをなさるのかと思ったけれど…と思ったあたりで、カステヘルミ様付きの侍女がガチャリと乱暴に茶器を置く音がした。
「ばっか、そういう言い方はやめなさいって何度言ったらわかるんです!
よりにもよってクラウディア様の前で!」
「主人に『ばか』と言うお前が言うか。」
「私が姫様に言うのとは訳が違います!
第一王子様に向かって子だぬきってアンタ…。」
ありえない…と頭を抱える侍女にも、カステヘルミ様は一向に悪びれる様子はない。
それどころか、ぐびぐびとお茶を飲みながら少し口をとがらせて反論する始末だ。
「だって2人とも可愛かったじゃないか。泥まみれでにこにこして楽しそうで。」
「だからってたぬきに例えるのは良くないって、あの時も散々説教したじゃないですか。」
「たぬきは最高に可愛い。幸運を運ぶ神の使いでもある。
見目麗しい第一王子とその婚約者の可愛い姿を、この上なく神聖であり可愛い動物に例えて何が悪い。」
「そんな、うちの国のマイナーな話が説明も無しにこの国で通じるはずないって言ったでしょう!国交だってついこの間開かれたばかりなんですよ⁈
ああ、クラウディア様、本当に申し訳ありません、うちの姫様、本当に言語機能がバカで…。」
カステヘルミ様はぷりぷりしながらお菓子をぽりぽりと食べ続けているし、侍女は心底呆れた顔をしながらも私にぺこぺこと頭を下げる。セバスチャン様は困ったようにみんなの顔をきょろきょろとうかがっている。
本来ならばここで上品に微笑んで『大丈夫です』とか、『気にしておりません』と言うべきだったのだろう。
けれど、私は堪えきれずにふふっと声を出して笑ってしまった。
「…ほれ、笑っておるではないか。」
「…クラウディア様のお心が海のように広かったんですよ。」
そう言いながらも、カステヘルミ様も侍女も笑った。
真ん中でセバスチャン様も安心したように笑ってる。
思った通りに、カステヘルミ様はものすごく誤解のされやすい方なのだろう。言葉の選び方はものすごく下手だし、愛想も悪い。
私も先ほどまではバート様を嫌ってるのでは、害そうとしているのではと思っていた。
だから安心したし、嬉しかったのだ。
バート様の危険の種が一つ減った気がして。
私が彼のそばを離れた後で、彼の味方になれそうな人達を見つけた気がして。
「ほら、セバスチャン、礼を言うんじゃろ。」
「はーい。」
セバスチャン様はカステヘルミ様に促され、私の前に立つ。
私も慌てて立ち上がると、セバスチャン様は頭をしっかりと下げた。
「おはな、ありがとうございました。
うれしかったです。」
「え、…あ、お花…。」
「妾からも礼を言おう。」
「いえ、そんな…。」
「そのために招いたのじゃ。
もう難しいじゃろうがな。」
カステヘルミ様はずっと立ち上がり、優雅に膝を折った。
聖母セレネもかくなん、と言わんばかりの慈愛に満ちた微笑みは、彼女が母であり王妃であることを思い出させる。
「妾の不甲斐なさでこの子には友がおらんのじゃ。
だから嬉しかったのだろうよ。」
セバスチャン様はやっと言えた、とにこにこして私の手を取る。キラキラと輝く瞳は、やはりバート様と良く似ている。
複雑なお立場なのはバート様もセバスチャン様も同じなのだ。
あの時。
あの時、お花をセバスチャン様にお渡しすることができたことがせめてもの救いだ。
私はしゃがんで彼と目を合わせてどういたしまして、と微笑んだ。
すると、セバスチャン様は私の手を引いて部屋の奥へと誘おうとする。
「なにしてあそぶ?」
「これ、それは兄のものじゃ。
そろそろ返さねば。」
「えー、じゃあつぎ、いつあそべる?」
くいっと彼に手を引かれた瞬間、バランスを崩して私はこけた。
「おねえちゃん!だいじょうぶ?」
「ええ、ごめんなさい。大丈夫よ。」
元々がしゃがんでいる姿勢だったから、痛くもなんともない。こけた、という程度の表現がぴったりだ。
そんな私をセバスチャン様は助け起こそうとしてくれる。
けれど、床に倒れ込むような、その姿勢が悪かったと言えばそうなのかもしれない。
丁度その瞬間、扉は開いたのだ。




