カステヘルミ
今、私の顔は青いのだろうか、白いのだろうか。
ひょっとしたら灰色あたりになっているのかもしれない。
ならばいっそのこと、このまま灰になって飛んでいってしまいたい。
身じろぎ一つ躊躇われる緊張感の中、嗅いだことのない、スパイシーで甘い香りが鼻をくすぐる。
香りの元となっているお茶は、先ほどまで青かったのに今はやけに美しい紫色に色を変えていた。
ティーカップはぽってりと厚く丸い形を帯びており、深い紺色で大きく花の絵が描かれている。
目に映るもの全て、初めて見るものばかりだ。
そんな私の目の前で、王妃様がカチリとも音を立てずにカップを置く。
その所作や横顔は見惚れてしまうほどに優雅で美しい。
そして恐ろしい。
まさか王妃様のお部屋でお茶をいただくことになるなんて。
成り行きとはいえ、先日バート様に気をつけろを言われたばかりなのに、と私はますます身を固くする。
けれど、と少し離れたところで遊んでいる第二王子様にさりげなく目を移す。
わざとではなかったものの、御子息に怪我をさせてしまったのだ。お誘いを断るという選択肢はなかった。
ギルバート様には衛兵から報告してもらっているはずだけれど、きっと今頃心配しているに違いない。
あの美しく輝く瞳が曇る様子を想像して、そっと俯く。
「まったく、萎れた花のようじゃな。」
「姫様!」
その声にびくっと顔を上げると、相変わらず澄ました顔の王妃様と、彼女に咎めるような視線を送る侍女が見えた。
「なんじゃ、お前もそう思うじゃろ。」
「誰のせいでそうなっているのか考えればそんなこと言えませんよ。」
「妾のせいと申すか。」
「それ以外なんの理由があると思ってるんですか。」
その、彼女の王妃様を心底馬鹿にしたような言い方と視線に驚いて、私は2人の様子をまじまじと見てしまう。
『姫様』と呼んでいるからには侍女に違いないだろうに、なんて遠慮のないあけすけな態度なのか。
ナディアと私もあまり主従の垣根のない方だと思ってはいたが、こんなにずけずけとした物言いはされたことがない。
通常、御令嬢相手にこのような態度を取れば叱責程度では済まないだろう。
ましてや相手はこの国の王妃である。
「ほれ、お前のせいで驚いておる。」
「姫様のせいですよ、お可哀想に。
いいかげんその鉄面皮とナチュラルな失礼さ、直してください。」
「この国の言葉は難しい。」
「言葉の迂闊さは本国にいる時から大して変わってません。」
言語のせいにしないでください、とぴしゃりと叱られ、王妃様は小さく口を尖らせた。
その様子がやけにかわいらしく見えて、先ほどまでの冷たく近寄り難い雰囲気は彼女から消えていた。
やけにくだけた主従のやりとりも信頼しきっているからなのであろうと思えば、微笑ましくも見えてくる。
いつの間にか肩の力も抜けどこかほっとしたところで王妃様とぱちりと目が合い、私はここにきた理由を思い出した。
「あの…ほ、本当にこの度は申し訳ありませんでした。
お詫びのしようもなく…。」
王妃様の眉間に皺が寄る。
すぐにお詫びをするべきだったのに。緊張していたなど言い訳にならない。
私は震える手をぎゅうと組んで気持ちが挫けそうになるのをぐっと堪える。
「…なんの話じゃ。」
「第二王子様にお怪我を…。」
「怪我?」
王妃様は怪訝な顔をして侍女と顔を合わせる。
侍女が困ったように首を傾げると、小さな手がつんつんと私の服を引っ張った。
「ぼく、セバスチャンだよ。」
「お前は黙っとれ。話がややこしくなる。」
「セバスチャン様、こちらで私と遊びましょう。」
侍女がそう促すも、セバスチャン様は体をぴったりとくっつけて私から離れない。
そんな様子には全く構うことなく、王妃様は私の目をまっすぐ見据えて聞く。
「お主が怪我をさせたのか?」
「いえ!いえ…。あ…。」
咄嗟に否定したものの、段々と自信がなくなっていく。
わざとではない。
わざとではなかったけれど、私の髪飾りを守ろうとしてセバスチャン様がお怪我をなさったのは確かだ。
それは『怪我をさせなかった』と言っていいのだろうか。
結局は私のせいと言えるのであって…。
段々と自信がなくなってきた私と相変わらず澄ました顔のままの王妃様の間に、小さな影がぽてぽてと割り込んできた。
「おはな、ひろってあげたんだよ。」
「お前には聞いとらん。」
「たからものなんだって。」
「全く人の話を聞いてないな。誰に似たんじゃ。」
「お母さまでしょうなあ。
セバスチャン様はお母さまが可愛い女の子をいじめてるから庇ってるんですよ。」
「いじめておらぬわ。」
そう、ちょっと拗ねたように言う王妃様はやはりどこか可愛らしくも見える。
そんな王妃様を、侍女もセバスチャン様もにこにこしながら見ている。
その雰囲気があんまり柔らかいからだろうか。
王妃様にむすっとした顔のまま、結局のところどうなのか、と聞かれても、先ほどのように緊張することもない。
「決してわざとではございません。
ただ、私の落としたものを拾ってくださる時に擦りむいてしまわれました。
ですから結局私のせいでお怪我をしたことに…。」
「なんじゃ、お主のせいではないではないか。
まわりくどい言い方しおって。」
「姫様!言い方!」
「小さなことでいちいち責任感じてくよくよしとったら体がいくつあっても足らんぞ。」
「姫様!」
侍女の方に嗜められても、王妃様はどこ吹く風で皿の上の焼き菓子をぼりぼりと食べている。
それから、お菓子をねだるセバスチャン様に皿の上の焼き菓子のようなものを渡しつつ、柔らかく微笑んで頭を撫でた。
「セバスチャンは男児ゆえ、この程度の怪我などどうということはない。
他の貴族子弟は知らんが、この子に関しては気にするな。」
「…ありがとうございます、王妃様。」
王妃様の眉間にきゅっと皺が寄る。
そして面倒臭そうな表情で盛大にため息をついた。
「…やはり『王妃』などと御大層な呼び名は好かぬ…。」
「姫様、わがまま言ってクラウディア嬢を困らせないでください。」
「そもそも響きが重すぎる。しがらみまみれの呼び名じゃ。面倒ごとは好かぬ。」
「呼び名がどうあれ、王妃とはそういうもんです。」
「公式行事で呼ばれるたびにぞわぞわしてたまらん。
せめて普段はぞわぞわしたくない。」
眉尻を下げて両腕で自分の体をさする王妃様はなんだか可愛らしくて、私は思わず笑ってしまう。
「ああ、笑うと可愛いな。」
「姫様、言い方。」
「わらわなくてもかわいいよ。」
そういえば、王妃様がご結婚された頃にオリバーを通してお兄様が教えてくれた。
王妃様はさっぱりとした性格だということを。
あれは私を安心させようとした方便ではなく、本当だったのだ。
私はくすくす笑ったまま、王妃様に聞く。
「ではなんとお呼びしましょう。」
「名前でよい。カステヘルミじゃ。」
「カステヘルミ様。」
「変な名前じゃろ。」
「いいえ、とても可愛らしい響きです。
たしか…『露の雫』という意味では…?」
カステヘルミ様は驚いた顔をして『博識じゃな!』とおっしゃった。
その顔が可愛らしくて、私はまた笑った。




