弟
デイジーの花が咲いた。
そう知らせを受けたのは苗を植えてから2週間後だった。
「きれいに咲きましたね。」
「うん、水やり頑張ってよかった。」
「ギルバート様がお世話なさったんですの?」
「庭師に聞きながらだけど。」
「すごいですわ。バート様にはお花を育てる才能があるんですね。」
「才能なんかないよ。」
ギルバート様はおかしそうにくすくす笑う。
「ちゃんと言われた通りに動いただけだから。」
「じゃあ、バート様の頑張りがお花に伝わったんですわ。」
私がデイジーの香りを嗅ぎながらそう言えば、ギルバート様は少しうーんと考える素振りを見せ、小さく頷いた。
「そうだね。
ディアが喜ぶ顔を見たかったから、頑張った。」
そう言ってにこりと微笑むのだ。
まこと、乙女ゲームのメインヒーローは罪作りなものである。
若干5歳で、さほど大きな意味もなく、このようなことを極上の微笑みとともにさらりと言ってのけるのだから。
乙女ゲーマーの悲しき性か、その都度きゅんとしてしまう。
いや、乙女ゲーマーでなくとも、この可愛らしさでそんなことを言われたら誰だってときめくだろう。
毎回毎回、会うたびに心臓が壊れそうで困る。
けれど、いつかはお別れする可能性の高い関係だ。
落ち着いて冷静に振る舞わなければ、と思うものの、結局私は自然に微笑んでいく顔を抑えきれず、結局満面の笑みでギルバート様に喜びを伝えることになった。
「嬉しいですわ。とても。
お花が咲いたこともですけれど、バート様が頑張ってくださったことが。」
すると、ギルバート様は少し困ったように私から目をそらし、ぽつりと呟く。
「うん、きれいに咲いてよかった。」
「バート様のおかげですわ。」
「うん、頑張ったおかげでその顔が見られた。ごほうびだ。」
そう、少し顔を赤らめて言うのだ。
このままでは、私の心臓はきっといくつあっても足りない。
ふと、背後からポテ…と小さな音が聞こえた。
あまり重さを感じない、軽い音。
孤児院でよく似た音を聞いたことがある。
小さな子供の足音のような…。
振り向けば、小さな3歳くらいの子が少し離れたところに立っていた。
瞳の色までは見えないけれど、髪はこの国ではほとんど見られない赤褐色だ。
先日お会いした、王妃様と同じ色。
ということは、あの子は第二王子、ギルバート様の弟君なのだろう。
私は周囲をさりげなく見回すが、誰もついてきてはいないようだ。
いくら王宮の、特に王家の方が居住していらっしゃる奥の宮は人の出入りが厳しく制限されているから、それなりに安全ではある。
けれど、あくまでもそれなりに、だ。
ギルバート様も私も、1人で行動することは決してない。1人のように見えても必ず何人かがそばに着いてきてくれている。
こんな小さな子を1人にするなど、あり得ないことだ。
ギルバート様も少し驚いたような、呆れたような顔をして弟君を見ていたが、ふいっと顔を逸らして花の話を始める。
どうやら見なかったことにするつもりらしい。
確かに先日の王妃様の様子を見るに、あまり関わりを持たない方が無難なのだろう。
ここには私たちの護衛の方も何人かいるのだから、彼らに任せた方が問題が大きくならずに済むのかもしれない。
しかし、私たちが彼の方を見ずにお花を摘み始めても、その子はその場を離れない。
それどころか少しずつぽてぽてと近づいてくるではないか。
しばらくはそちらに目をやらないように気をつけてはいたが、目の前に座り込んでこちらを見上げながら可愛い声で首をかしげられてはもう無理だった。
「おはな?」
「…ええ。お花が咲いたの。」
「ディア。」
ギルバート様が小さく制すも、もう返事はしてしまったし、それに何より、似ているのだ。
髪の色も瞳の色も違うのに、片親しか同じではないとはいえやはり兄弟だからであろう、どこか面差しが重なる。
それがわかってしまってからは無視することなど出来はしなかった。
「1人?誰かと一緒?」
そう問えば、少しもじもじしてから小さい声で『1人』と返ってくる。
ギルバート様は呆れたように呟いた。
「…供の者たちは何をしているんだ。」
「お一人でいるのは危ないですわ。」
急に、弟君の顔に恐怖の影がよぎる。
と、同時に急に暗くなったように感じて見上げると、護衛の方がぬうっと仁王立ちで立っていた。
弟君を安心させようとしているのか、無理に笑っているものだから、般若のように恐ろしくも見える。
「私がお母様のお部屋までお連れしましょう。」
そう言って彼が手を差し伸べるも、弟君は慌てて私の後ろに隠れてしまう。
あの顔では誘拐犯のようにしか見えないから、無理もない。
「セバスチャン、帰れ。」
「バート様!」
ギルバート様は私の後ろに隠れる弟君に合わせてかがみこむ。
そして、ぶっきらぼうな口調で、そのくせとても優しい声で言った。
「お前の母様がきっと心配してる。」
弟君は少し考えた後で、こくりと小さく頷いた。
それを確認した後でギルバート様は物陰にいた女性の従者を呼ぶ。
「この人は怖くないか?」
再びこくりと頷く弟君に、彼女は優しく微笑みながら手を差し伸べた。
しかし、彼は動こうとせず、なぜか私の方をちらちらと見てくる。
その目線の先にあったものが先ほど摘んだ花であることに気づいた私は、少し迷いながらもその花をそっと差し出してみた。
「ありがと。」
それを受け取ると、弟君は満足したのか従者と手を繋いで歩き出す。
途中、振り返って小さく振ってきた手を振り返していると、隣のギルバート様が少し大きめのため息をつく。
「あ…すみません、私、お花を渡してしまいましたわ。」
「うちの従者が送って行ったんだから、会ってたことくらい向こうも分かる。」
「けれど、ギルバート様のお立場が…。」
「そんなこと気にしなくていい。でも…。」
ギルバート様が少し言葉を切って私の手をそっと取った。
「…気をつけてほしい。絶対に…。」
その声があまりにも真剣だったから。
私は手を握り返して、『はい』と答えることしかできなかった。
仕事が立て込みつつあり、次週の更新に暗雲が立ち込めております…。
うまくいけばお届けできると思うのですが、更新が難しくなってしまったら申し訳ない限りです。




