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抗言

「薄汚いのう。」


小さい声の割りにやけにはっきりと耳に届いたその言葉に、私の顔はかっと熱くなった。

全身が心臓になったように、どくん、どくん、と心臓の音が大きく響く。


私は人の悪意に晒されたことがほとんどない。

前世では馬鹿にされたりいじめに遭ったりせぬよう、祖母が神経質なほどに洋服や髪、流行り物に気を遣ってくれていたし、今も公爵令嬢という立場のおかげであろう、直接的な悪意に触れた経験などせいぜい孤児院のあの男の子に怒鳴られたくらいのものだ。

だからこうして面と向かって嘲笑されたのは初めてだった。


私が恥ずかしさから目を伏せれば、泥で汚れたスカートが目に入ってくる。頬にもきっと泥がついているのだろう。

初めて王妃様にお会いするのにふさわしい格好とはとてもいえない。

まともにご挨拶すらできなかったことも含めて、確かに嘲笑されても仕方ない。


ふと、私の手を握るギルバート様の手に力がこもった。


そうだ、この方は王妃様でもあり、ギルバート様の継母にあたる方で…けれど、彼の口から彼女の話がでたことはない。

ただでさえ複雑になりがちな継母との関係だ。その上に彼女の友好的とは言いがたい態度を見るかぎりいい関係を築くのは難しいのだろう。

けれど、彼女はこの国の王妃であると同時に、隣国でも高い地位にいらっしゃる方である。

第二王子を産んだことで今や磐石な地盤を築いたこの方の機嫌を損ねるのは、いくらギルバート様であっても得策ではないはずだ。


私は急いで立ち上がる。

今更ではあったが、カーテシーの姿勢をとりお詫びをするためだ。

その直前。


「…カステヘルミ様!」


ギルバート様が大きな声で王妃様を呼び止めた。

王妃様は足を止め、顔だけついとこちらに向ける。


「彼女は私の婚約者です。

失礼なことを言わないでください!」


ギルバート様の拳はもう強く握られすぎて白くなっていた。

顔は見えないが、それでもひどく怒っていることは伝わってくる。


そんな緊迫した状況であるのに、王妃様は扇を口に軽く当てて「おや」と小さな声で言うだけだ。

私は慌ててギルバート様の腕を繋いでいない方の手で掴む。


「バート様、私、気にしておりません。」

「ディアが気にしなくても私が気にする。」

「でも…。」


ふふ、と小さい笑い声が耳に届く。

王妃様は扇を仰いでころころと楽しそうに笑っていた。

そして言ったのだ。


「睦まじいのう。せいぜい楽しむといい。」


彼女の言葉には確かに棘がある。

裏に何かの意図があるのかと邪推し始めれば、いくらでも感じ取れる。

けれど、彼女自体には不思議と悪意を感じないのはなぜだろう。

元々性格が悪く、この棘のある言葉自体が彼女の自然体なのだろうか。それとも。


私はギルバート様の手を離して、前に出てカーテシーをする。


「王妃様、大変お騒がせいたしました。

挨拶が遅れまして申し訳ありません。

ギルバート様と婚約しておりますクラウディア・エズラ・グレゴリーです。以後、どうぞよろしくお願いいたします。」

「…やめよ。それと、(わらわ)がよろしくすることはない。」


はっきりとした拒否の言葉が私の心をぐさりと刺す。

そこにはやはり蔑みや軽蔑の色を感じない。とはいえ、はっきりと拒否されたのにそれ以上食い下がることはできない。

仕方なく私は何も言えないまま、頭を下げ続ける。


すると、向こうから小さな声が聞こえる。

思わず顔を上げれば、ほんの2、3才の子供がこちらに走ってくる姿が見える。

けれど、その子は私たちの姿を見て何メートルか先で足を止めてしまった。

王妃様は小さく息をついて扇を閉じた。


「…邪魔をした。

また会えば、その時に。」


王妃様は『その時に』何があるのかはおっしゃらなかった。

もちろん私の返事を聞く気もないようで、すぐに、つい、と目を逸らしてその子の方へ歩いていく。

子供は何度もこちらを振り返って言う。


「ははうえ、だれ?」

「…まだだ。行くぞ。」


ギルバート様の弟君に紹介もされないとは、なかなかに厳しい。


そもそも私はあの第二王子様と争う可能性のある第一王子様の婚約者だ。もともとあまり良くは思われていなかったであろうに、本日の失態で本格的に嫌われてしまったかもしれない。

ひょっとしたら、ギルバート様のお立場を悪くしてしまった可能性もある。

けれど。


振り向けば、ギルバート様が手を堅く握ったまま俯いている。

傷ついたような、今にも泣き出しそうな顔だ。

私はその手をそっと両手で包む。


「守ってくださってありがとうございました。」

「…結局守れなかった。」

「いいえ、私の心を守ってくださいました。

ありがとうございました。」

「ディアは汚くなんかない。

綺麗だ。」


驚いて黙ると、ギルバート様は私の顔を見て、もう一度言った。

ディアは綺麗だ、と。

戸惑いが表に出ないように、俯きそうになるのをぐっと堪え、私は微笑む。


「ありがとうございます。

バート様にそう言っていただければ幸せですわ。

バート様もとても素敵です。」


ギルバート様は嬉しそうに笑う。


それから気を取り直して、残りの苗植えに取り掛かった。


その合間、ギルバート様が少し席を離した隙に私は護衛の方に、ギルバート様と王妃様の関係をそれとなく聞いてみる。

しかしその答えが返ってくることはなく、代わりに彼は低い声ではっきりと言った。


「…私はあなたを認めておりません。」


もちろん少しは驚いた。

けれど、最初から私に対しては目つきも鋭かったし、いい印象を持たれていないことを予想していなかったわけではない。まさか面と向かってはっきり言われるとは思わなかったけれど。

王妃様の件も含め、今日はなかなかにきつい日だ。


「あなたがいるとギルバート様の心が崩れる。

お立場が危険に晒される可能性もある。」


彼が彼なりにギルバート様のことを心配しているのはわかる。

けれど、どうしてもその表現が気に触る。

目を合わせようとしない彼をまっすぐ見上げて口を開く。


「それはギルバート様がお優しいお心をお持ちということですわ。

…けれど、今後はこのようなことがないように私も気をつけてまいります。

ご忠告ありがとうございます。」


ギルバート様のお優しいお気持ちを否定されるのは我慢ならなかったが、お立場のことを考えればそれだけにこだわるわけにはいけない。

とはいえ、頭では分かっていても気持ちの方はなかなかついて来ず、最後の方は自分に言い聞かせるように、声を努めて落ち着かせて言うこととなった。

彼はそれでもこちらを見ようともしない。


小さく息をつけば、視線の先にギルバート様がこちらに向かって走ってくる姿が見える。

心の中で思うことはたくさんある。

考えなければならないことも。

けれど、それは家に帰ってからだ。

私は笑顔でギルバート様に手を振った。

先週は更新できずに申し訳ありませんでした。

職場が秋休みだったため、日曜日に気づかずにぼーっと過ごしてしまっておりました…。

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