デイジー
「約束をし忘れて今回のようになるのは嫌だから。」
そう言ったギルバート様が、今後の約束をまとめてしてしまおうと提案してきた。
ギルバート様は1週間一回以上は、とおっしゃったが、私はお互いに忙しいだろうからひと月に一回ほどがいいのでは、と申し上げる。
交渉は難航しなかなかギルバート様に譲歩する気配はなかったが、苦笑しつつ調整役をかってでた兄が『クラウディアが学校に通うになったら今よりも時間を取るのが難しくなるでしょうから』と話してくださり、間をとっておおよそ2週間に一度、ということで話はまとまった。
思ったよりもお会いする間隔は短くなったが、その度にあのきらきらした瞳を見ることができるのだと思うとどこか嬉しくもあった。
お会いすることに慣れてしまうのは怖い気もしたけれど。
だって、きっと離れるのが辛くなる。
ともあれ、そういうわけで、あれから何度か私たちは何度か王宮や私の家で一緒に過ごした。
時には兄や母も交えてお茶を飲んだり、一緒にゴットロープに教わって花の手入れをしたり。
一緒に過ごすと時間は矢のように過ぎ去って、離れる時にはお互いに名残を惜しんだ。
その、何回目かの約束の日。
その日も勉強や刺繍や行儀作法のお稽古、孤児院慰問などのもろもろのスケジュールの合間をぬって、私は王宮でギルバート様の数式のお話を聞いていた。
だんだんと高度になっていく学習内容に、私はついていくのがやっとだ。
難しい解法をなかなか理解できず考え込むと、ギルバート様が先程の説明をもう一度、ひとつひとつ私が理解できているか確かめながら説明してくださる。
わからないところは噛み砕いて、何度も何度も。
そのうち、頭の奥でピンッと何かがつながったような気がした。
「ああ!なるほど、分かりましたわ!
ここの考え方でこう、逆側から解いていくから、答えを出す前にこの計算が必要になるのですね!」
難しい内容なだけに理解できた時の爽快感は強く、私は笑顔で顔を上げる。
ギルバート様はにこりと微笑む。
「そうだよ。ディアは頭がいいね。」
「そんな…本当に苦手なのですけれど、バート様の教え方がお上手なので私でも理解できるのですわ。
最近は家庭教師の先生にも褒められることが増えましたの。
バート様のおかげですわ。」
「ディアの理解が早いからだよ。」
「ありがとうございます。嬉しいですわ。」
丁度ひと段落ついたと思ったのか、侍従の方がすっとギルバート様のそばに来てお茶の用意をするかどうか尋ねた。
ギルバート様はそれにふるふると首をふり、椅子から降りる。
「お茶は庭に行った後で飲む。
ディア、行こう。」
「はい!」
侍従の方にぺこりと頭を下げてからギルバート様の手を取ると、ギルバート様は嬉しそうに走り出す。
ついてきてくださる護衛の方は相変わらず見事な仏頂面だけど、振り向きざまに見えた侍従の方は微笑んでいた。
いつもの広場に着くと、軍手やスコップ、それに何かの苗が小さな籠に用意されている。
思わずギルバート様を見れば、彼は少しはにかみながらその苗を持つ。
「デイジーだよ。」
「まあ、そういえば葉っぱがデイジーのですわね。」
「ディアがこの間好きだって言ってたから、ここに植えようと思って。
この庭には植わってないって聞いたんだ。」
とくん、と鼓動が大きくなる。
胸のあたりが暖かくなっていくような気がして、自然と笑みが溢れる。
「嬉しいです。花が咲くのが楽しみですわ。」
「良かった。
ディアが好きな花だから自分で植えたかったんだ。
でも、一緒に植えたらもっと楽しいかなって思ったから。」
さっそく2人で軍手をはめて穴を掘り始める。
ゴットロープに何回か教えてもらったが、私が非力なせいか、スコップで穴を掘るのにはなかなか苦労する。
ギルバート様もそれは同じで、2人でなんとか大きめに穴が掘れた頃にはもう私のスカートもギルバート様のシャツも土で汚れてしまっていた。
2人ともそれがなんだか楽しくて、顔を見合わせて笑いながら、掘った穴の中に肥料を入れ、苗を植える。
「ディア、頬が汚れてる。」
そう言ってギルバート様が私の頬に手を当てたその時、ふと、人の気配を感じる。
私がそちらを見る前に、ギルバート様が私を庇うように私の前に立った。
「…おや。」
振り向いた先には異国風の、直線的で鮮やかな色使いの、変わった形のドレスを身につけた女性が侍女達を引き連れて立っている。
その服からは体の線は全くわからないし、そもそも華奢に見える方なのに不思議な色香がここまで漂ってくるようだった。
この庭にすんなり入ってこられて、護衛の方も居住まいを正して頭を下げる、この方は。
こちらが挨拶をする前に、その方は細工の施された豪華な扇子を広げてうっすらと微笑んで、彼女の後ろにいる侍女に言う。
「騒がしいと思うたら、子だぬきたちがあんなところで遊んでおる。」
慌てて立ち上がってご挨拶をしようとするも、彼女はふいっと方向転換をして歩き出してしまった。
声をかけそびれた私はカーテシーをしかけたままおろおろと彼女の後ろ姿を目で追う。
ギルバート様は私の前に仁王立ちで立ったままだからどんな顔をしているのかはわからない。けれど、私の手を握る手に力がこもった。
「王妃様、こちらを通られるのでは?」
「いい。興が削がれてしまう。」
その見た目にそぐわず、やけにきっぱりとした口調の彼女は、歩きながらおろおろしたままの私とギルバート様を横目で見て、またくすりと笑う。
そして小さく、しかしはっきりと言った。
「薄汚いのう。」
植えたばかりのデイジーの葉が風で揺れた。




