不安
訝しげなオリバーの問いに私はこくりと頷く。
そういえばそうだった。
「次」の話は確かにしたが、その「次」をいつにするかについては全く話さなかった。
「…どうしよう、お兄様にお願いして…。」
「出来上がったら『ハンカチができました』とお手紙を書かれては?」
ナディアはにこりと笑ってそう提案する。
私は少し考えた上で、そうね、と返事をした。
そうね、でも、書かなきゃね、と。
その言葉に、バリバラ先生がクッキーを摘む手を止めた。
「…気が乗らないのなら、無理になさらなくてもいいのですよ。
お兄様にお願いして渡していただいたらいかがです?」
その時はバリバラ先生の言葉があまりにも突拍子のないもののように思えて、私はきょとんとしたまま返事もできなかった。
けれども、噛み砕くうちに妙にしっくりきて、私は手に持ったクッキーを持て余す。
「バリバラ先生…、私、乗り気でないように見えましたか。」
「まあ、少なくとも私の目には『一刻も早くお会いしたい!』という風には見えませんわね。」
「それは…そうなのかもしれません。」
「あら、当たりました?」
私の勘も衰えてませんわね、と自慢げに言うバリバラ先生に、私は小さく笑う。
脳裏にあの、ギルバート様のきらきらと色を変える美しい瞳が浮かんでくる。
きっと待っていてくださると、笑ってハンカチを受け取ってくださると、あの時のことを思い出せばそう思いもするのだけれど。
そう逡巡していると、オリバーがすっと私の前にしゃがんで真剣な顔で私の目を見る。
「ギルバート様と何かあったのですか?」
「え?」
「楽しくお過ごしになられたと聞き、安心しておりましたが…。」
「あの年頃の男の子の扱いは大変ですからね。
私が若い頃家庭教師としてお仕えしたお宅のご子息は髪を引っ張ったり、お茶をかけてきたり、意地悪を言ってきたりとね…。」
ただの思い出話をしているのか、オリバーを煽っているのか、バリバラ先生はお茶をコクリと口に含んでほうっとため息をついた。
オリバーはまんまと悪い想像をしたのか、焦ったような顔で私に顔を近づけてくる。
「クラウディア様!何かあったならば私が…。」
「いえ!いいえ、本当に、何もないわ。
ギルバート様はとてもお優しかったの。
数式について教えてくださったり、お花を見せてくださったり、私の下敷きにされてもお優しいままで…。
そう、だから…。」
口を何度か小さく開け閉めしたが、その後の言葉は紡げない。
ギルバート様は別れ際、『数式の勉強、もっとしておく』とおっしゃった。『約束』だと。彼はきっと今も目をきらきらと輝かせて数式の勉強を頑張っているに違いない。
では、私は何に拘っているのだろう。
考えれば考えるほど頭が混乱してくる。
まるで絡まった糸をほどいているうちにますますこんがらがっていくようだ。
気づけばもう日はだいぶ低いところにあって、部屋の中はだんだんオレンジ色に染まっていた。
「まあ、私が7つも下の婚約者を持ったとしても同じようになりますよ。」
「バリバラ先生!」
ナディアは慌てたようにバリバラ先生の言葉を遮ろうとするが、バリバラ先生はどこ吹く風でお茶のおかわりを要求している。
もちろん言葉は止まらない。
「しかもお相手が複雑なご事情を抱えた第一王子様なんて、気後しないほうがおかしいですわ。
男がそれだけ年下だってだけで浮気やなんかの心配が絶えないのに、大した容貌でなくとも、それだけ身分が高ければ女性もたくさん寄ってくるでしょうしね。」
「陛下は美丈夫な方ですし、亡くなられた王妃様もとても可愛らしかったと言われてますからギルバート様も素敵にご成長なさるかと…。」
「ならますます女性の心配が絶えませんわ。」
ナディアの少しズレたフォローにも、バリバラ先生の勢いは止まらない。
見かねたようにオリバーが少々大きめの声で口を挟む。
「しかし、歳下だからといって誰しもが相手に誠実でないという訳ではないと思います。
もちろんそういう方もいるかもしれませんが、ギルバート様がそうとは限りません。
クラウディア様がお相手なのです。私がギルバート様ならばきっと生涯一途に…。」
「それはあなたがクラウディア様の人ととなりを知っているからでしょう。
お二人は先日初対面されたばかりの親の決めた婚約者同士ですもの。
それは不安にもなりますわよ。」
「不安…。そうか、私…。」
口に出してしまえばはっきりした。
そうだ。このぐちゃぐちゃした感情は「不安」だ。
ギルバート様はまだ幼い。あの時は「歳の近い遊び相手が来た」と思って、ただの流れで「次」の話に乗っただけなのかもしれない。今頃はもう気が変わって、私のことなど忘れて数式の学習を楽しまれていてもおかしくはない。
そんな時に私から手紙が届けば、周囲はご本人の意思はさておいて約束のお膳立てをするだろう。それは、ギルバート様の重荷になってはしまわないだろうか。
面倒だと思われはしないだろうか。しつこいと、迷惑だと思われて、その挙句に…。
「次にお会いした時に、ギルバート様の瞳が曇るのを見るのが怖いんだわ。」
ぽつりとつぶやいた言葉は、さっきまでうるさかったはずの部屋でやけに大きく響く。
眉間に皺を寄せる二人の向こうで、バリバラ先生が優雅にこくりとお茶を飲んだ。
体を壊したことと、仕事が立て込んでいることで、少々更新が遅れるかもしれません。
申し訳ありません。




