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数式

その可愛らしく可愛らしく綺麗な顔も、眉間に皺が寄っていると少々怖く感じるものである。

膨らみかけた私の希望もギルバート様の眉間の皺を前にしてみるみるうちにしゅるしゅると萎んでいく。それ以上ギルバート様の顔を見ていられなくなった私は、髪飾りから手を離して、きゅっと膝の上で手を組んだ。


その時、ふわりと爽やかな香りが漂ってくる。手を膝に置いた時に、体のどこかがポケットの中に入れたお守りのサシェに触れたのかもしれない。

微かな、意識しなければ消えてしまいそうな香りを私はすうっと吸い込む。甘くてさわやかな香りが胸の中に広がる。タイムの花言葉は「勇気」、アイスドロップの花言葉は「そのままの愛らしさ」。

だんだんと意識が冴えてくる気がする。それに伴って、先程まで私を支配していた後ろ向きな思考も薄らいできた。


何をそんなに悲観していたのだろう、私は。そもそもギルバート様とはうまくいかないだろうと覚悟していたのに。歓迎されるなんて想像していなかったし、嫌われなければ御の字だと思っていたではないか。

それが、たとえ誰かのアドバイスや導きはあったとしても、こんなに綺麗なプレゼントを用意してくださっていた。がっかりするどころか、スタートラインとしては上々の結果ともいえる。

それなのにくよくよしたまま黙って気まずいまま時を過ごせば、やはりギルバート様との関係を築くことはできずに悪役令嬢への道が開いてしまう可能性もありうるだろう。



ぱっと顔を上げると、ギルバート様と目が合った。綺麗なその瞳は、私を捉えるとまたぎゅっと細められる。ふわりとはちみつ色の髪が揺れた。



思えば。

記憶を取り戻してからというもの私は自分の運命を呪ってばかりいたが、思えば彼は私などよりずっと大変な立場なのだ。


国民の間のギルバート様の人気は大変高いと言われている。元々ギルバート様のご両親、現国王陛下と亡くなられた王妃様は、その馴れ初めが小説や絵本となり、演劇に至っては陛下が再婚された今でも毎年公演されるほど人気が高いお二人である。そのお二人の間のただ一人のお子様であることに加え、生まれて間も無く母を亡くしたというお気の毒な境遇に強い同情が集まり、民衆の意識に『俺たちがギルバート様を支えなくては!』と強い使命感が生まれたとか。そんなわけで、ギルバート様はこんなに幼い時から国民に立派な王になるように期待されているのだ。

しかし、期待は重荷にもなりうる。今は良くとも、そう遠くない未来、ギルバート様には期待という名の重圧に耐えなくてはならない日々が訪れるのだ。

その一方で、ギルバート様ご自身のお立場はあまりにも脆い。いくら国民の人気というバックアップがあれど、亡くなられた王妃様は身分のあまり高くない男爵の出身だったあたり、隣国のお姫様であった継母と隣国の後ろ盾を持つ異母兄弟相手に皇位継承権を争うのは難しいのだろう。政権争いに敗れれば良くて国外追放や幽閉、悪くて殺される。だから彼の父のように自分で伴侶を選ぶこともできず、グレゴリー家が後ろ盾についている証拠として、私のようなだいぶ年上の婚約者を持つ羽目になったのだ。



私は彼に向かってにこりと笑って、頂いた薔薇の髪飾りを髪につけた。

ギルバート様の眉間の皺が消え、真っ直ぐ私を見る。

キラキラした瞳を私もしっかりと見返して笑う。



最初から仲のいい夫婦になろうなどと過度な望みを抱くから落胆するのだ。

ギルバート様が成長されるまで姉のように彼を支えていくことが許されるなら、二人で穏やかな時を過ごすことができるかもしれない。それは燃えるような恋愛ではないだろうけれど、いつか、彼が運命の相手を見つける時までは。その時までは、私は姉になろう。

もちろん、その時が来たら彼が幸せになる邪魔をしないよう、上手に退場して後腐れのないように修道院に入る覚悟も準備も忘れずに。




「どうですか?似合いますか?」


ギルバート様は私から目を離さないまま、こくりと頷いた。

その姿が年相応で可愛らしく見えて、私はますます笑みを深くしてお礼を言う。

それから、カップへ手を伸ばしとうの昔に冷め切ったお茶をこくりと飲み込んだ。


「わあ、このお茶、とても美味しいです。私、このお茶大好きですわ。

このお菓子もとても可愛いですね。」


私が花の形をしたアイシングクッキーを一つつまむと、ギルバート様も一つつまんで口に入れる。しかし、あまり甘いものは好きではないのか、顔を顰めながら口をもごもごと動かしている。前世で私が家庭教師をしていた子も甘いものが苦手だったな、と私はまた笑う。


「ギルバート様のお好きなものは何ですか?」


すると、彼はしばし迷うように俯いた後で、ぼそりと言った。


「…数式。」

「数式!?計算とかそういう…?」

「…数を…考えるのが…。」

「そうなんですか、すごい。私は数には疎いので…。」


全くのお世辞ではない。

私は言語学や社会学に比べて、経済学や理科学についてはそこまで得意ではない。きっと才能がないのだろう先生方はよくできると褒めてはくださるが、自分なりに相当努力してやっと結果を出しているだけだ。

思えば前世でも理系科目よりも文系科目に得意科目は偏り気味だった。テスト前1ヶ月間からは理系科目に文系科目の倍ほどの時間を割かなくてはひどい結果が待っていた。


すると、私の顔をじっと見ていたギルバート様がすくっと立ち上がって何やら本棚あたりをごそごそと探り始める。

その様子を見た周囲の侍女たちが少しハラハラしているようにも見えるため何事かと思って待っていると、ギルバート様は大きなノートを持って来て、私に差し出した。


「…見てもよろしいですか?」


頷いたのを確認してそっとノートを開くと、大きく少し歪な文字と数式がびっしりと並んでいる。

いつの間にか隣に来ていたギルバート様がノートを指さして『この式が…。』と説明を始めた。私はそれに相槌を打ちながらもひどく驚いていた。


その数式は私が先日習ったものとほぼ同じだったのだ。


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