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タイムとアイスドロップ

私とギルバート王子の顔合わせは王宮で行われることになった。

お会いするのが初めてであることに加えギルバート様がまだ4歳であることから、応接間で軽くお茶をいただいて退出するだけの簡単なものが予定されている。大貴族の婚約でもさすがに早すぎると判断されるであろうそんな歳で初顔合わせが予定されたのは、私が来年から学校に通うようになるからだろう。


お茶を飲んでお話しするだけだとはいっても、当家の教育係の先生方はいかなる失敗もあってはならないとピリピリしているようだ。『第一印象でその方に対する評価のほとんどは決まってしまう』とは、お作法のコンスタンチェ先生の最近の口癖だ。おかげでここ3ヶ月ほど授業をぎっちりと詰められ、頭にも体にも色々と叩き込まれている。

その合間、ほんのちょっと空いた時間さえも髪や肌や爪の手入れで埋まる。


もちろん私も、我が家の評価にも関わることだけにできるだけ完璧にこなしたいとは思っている。

だがしかし、先日誕生日を迎えた私とギルバート様とは7歳の差がある。多少その場は優雅に見せかけられたとしても、海よりも深く山よりも高いこの年齢差を超えて好意を持っていただくことは不可能だと思われる。当面の遊び相手とみなしていただければ上出来だろう。


それでも、自分を見たギルバート様の顔が曇るのは嫌だなと思う。

そんな、この後に及んで幸せな夫婦像への望みを捨てきれていない自分が嫌になる。


私は手を浸していたローズマリー水から手を出した。

一気に手の温度が下がっていく。

ナディアがタオルで私の手を包むわずかな間、爪の先から雫が垂れるのをぼんやりと眺めていた。


正直に言えば、ギルバート様には会いたくない。会って私の中の何かが変わってしまったら、破滅の道へ向かって運命が動き始めてしまったらと思うと不安で仕方ない。

しかし、立場上断るわけにはいかないことも知っている。

散々悩んだことをもう一度頭の中でループさせてから、私は小さくため息をつく。

一度会ってしまえば義理を果たしたことになる。その後、用もないのに無理に会うこともあるまい。お互いの誕生日、年2回くらいのペースで会えば体裁は保たれるだろう。多分。きっと。



ナディアが丁寧にクリームを塗り込んでくれた爪と手をそっと合わせる。

窓の外には綺麗な花が色とりどりに咲いている。風に揺れるカモミール、すみれ、バーベナー、ハナカンザシ。窓は閉まっているのに、ここまで甘い香りが漂ってくるようだった。

もうどれだけ外に出られていないだろう。


ふと、花の手入れをしているゴットロープと目が合った。

小さく手を振ると、彼は鋏を持ったまま大きく手を振り返してくれる。


「クラウディア様、そろそろアイル語の学習のお時間ですよ。」

「あ、ええ。今行くわ。」


もう一度ゴットロープに手を振ると、ゴットロープは先ほどよりも大きく手を振って返してくれた。




✳︎





それから何週間かが過ぎて、いよいよ顔合わせが明日にと迫った日、思ったよりも緊張している自分に戸惑う。今からでも会いたくないと言ってしまおうか、とか、今体調を崩せば顔合わせがお流れになるのでは、とか、そんなことを思っては首を振る。我ながら往生際が悪くて嫌になる。

ここまできて逃げ出すことはできない。ギルバート様の後見たる兄の顔を潰す自体はなんとしても避けなければ。会うしかないのだ。覚悟を決めるしかない。

けれど。


ため息を飲み込む私の鼻を、微かな花の香りがかすめた。香りの元を求めて顔を上げれば、鏡の向こうで私の髪にナディアが花と葉を飾っていくのが見える。挿していくたびにふわりと香るその爽やかな香りと素朴で可憐な草花のおかげで、自分がいつもよりも少し綺麗に見える気がしてほんの少し気分が上がる。


「可愛い。いい香りね。」

「タイムとアイスドロップです。

緑と白がクラウディア様の髪によく映えますわ。」

「ありがとう。

なんだか元気になっていく気がするわ。」

「そう言っていただけるとゴットロープもみんなも喜びます。

今日この花が1番綺麗に咲くようにとみんなで頑張りましたから。」

「タイムとアイスドロップ?」

「ええ。間に合ってよかったです。」


私は少し首を傾げる。

普通、髪に挿す花といえば香りが強く萎れにくいオーキッドやガーデニアあたりと相場は決まっているのに、なぜ萎れやすそうなタイムとアイスドロップなのだろう。

それに『みんな』とは…?『間にあった』?


私がそう思っていることが伝わったのか、ナディアは余ったタイムとアイスドロップを鏡台に並べて微笑む。


「『勇気』と『そのままの愛らしさ』。タイムとアイスドロップの花言葉だそうです。

顔合わせの話が決まった時に、ゴットロープがみんなで育てようって申しましたの。自分たちの代わりに、お守りとして王宮に持って行っていただこうって。とは言っても、水やりや草取り、肥料やりくらいでしたが、この屋敷のほとんどの者の手が関わっております。」

「…気づかなかったわ。」

「気づかれないようにやっておりましたもの。」


ナディアはおかしそうに笑って、鏡台の引き出しを開けて小さな何かを取り出した。


「この花は明日までは持ちませんが、サシェを作ってございます。バリバラ先生に教えていただいて私が作りましたの。刺繍はバラバラ先生が刺してくださいました。

どうか、私たちの代わりにお持ちくださいませ。

きっとクラウディア様をお守りいたしますわ。」


そう言ってナディアが私の手に小さなサシェを乗せてくれる。刺繍されているのは子猫とてんとう虫。


『勇気』と『そのままの愛らしさ』。

私の手に乗ったサシェは、爽やかな香りごと柔らかく溶けて私の中に流れ込んでいく気がした。

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