自己満足
帰りの馬車の中、オリバーはひたすら私に謝り続けていた。
彼は何も悪くないというのに。
それどころか、こういう事態にならないように止めてくれていたのに。
「気にしてないわ。」
それは半分本当で半分嘘だ。
あの男の子の行動自体は本当に気にしていない。
もちろん誰かに蔑みの視線を向けられるのはあまりいい気持ちがしなかったけれど、むしろ予想通りの反応だったと言える。
ただ、彼の言う『自己満足』という言葉には心当たりがありすぎた。
だから、一言も発することはできなかったのだ。
きっと、自分の心の疾しさのせいだ。
オリバーは小さく息を吐き、それから迷うように沈黙した後でぼそりと言う。
「誤解しないでいただきたいのですが…。」
オリバーは視線を落とす。
「あの子がクラウディア様に失礼な態度をとったことについては擁護をする気もありません。
しかし……私には、彼の気持ちがわからないでもないのです。」
「ええ。」
「…あの子は恐らく、まだ納得しきれていないんです。
世の中の不条理にも自分の置かれた境遇にも、うっすらと見えてきた将来への希望の薄さにも。
いつかは大人になって全て飲み込んでいかなくてはいけないものの、自分を憐れみ社会の不条理さを憎み…結局、そこから抜け出せるかどうかは彼次第でしょうが…。」
「…オリバーはどうすれば抜け出せると思うの?」
「学ぶことです。ただひたすら、学んでいくこと。
学がなければ俯瞰で社会を見ることができず、自分の置かれた位置も分からないですから。」
オリバーの言葉で、私は孤児院の風景を思い出す。
清潔ではあったが、殺風景なほどに物が少なかった。
あんなに幼い子供たちがたくさんいるのに、遊び道具も、それから…。
「本も…なかったわ。」
「恐らくあの子たちは文字が読めないので、必要としていないのでしょう。
グレゴリー家があの孤児院の保護に乗り出してから食事に困ることはなくなりましたが、それ以前、私の幼い時は文字を覚えることよりも、その日一日を生きのびることのほうが大事でした。
近所から物乞いのように食べ物を恵んでもらってきたり、その辺の雑草摘んできて食べたり…。
もちろんそれでは足りないので、水で腹をパンパンにしたものです。」
思っていたよりも過酷な状況に私は言葉を失う。
どういったご縁かは知らないけれど、お父様があの孤児院を保護してくださって本当に良かった。
しかし、オリバーの話を咀嚼していくと、ある疑問が浮かんでくる。
「オリバーは、文字は…?」
オリバーはどこか懐かしそうに、少し寂しそうに笑った。
「こっそり、拾った本の切れ端や新聞で学びました。
野菜をたまに届けてくれる親切なおじいさんがいたので、その方に分からない文字や簡単な計算を教わったりと…。
まあ、独学でしたので今思えばひどいものだったと思います。
私のような者がアルドリック様に拾っていただけたのは運が良かったとしか言いようがありません。
でなければ、きっと私もあの子のようにくすぶっていたでしょう。」
あのオリバーから贈られた辞書の、小さなたくさんの書き込みには、きっと私が思うよりもずっと多くのオリバーの努力が詰まっているのだ。
私が質問したことにすべて答えてくれるオリバーは、そうなるまでにどれだけ悔しい思いをしながら学んできたのだろう。
それからオリバーは真面目な顔になって、私をまっすぐ見てはっきりと言った。
「けれど、それは彼の克服すべき問題です。
クラウディア様が責任を感じることは何一つございません。
お嬢様はどうかそのままで。」
オリバーは優しいからそう言うけれど、結局、私に今すぐできることは、きっと無いのだ。
これで私がお兄様のように彼を取り立てたとしても、それはただの同情だ。
あの孤児院にいるのは彼一人ではないのだから、根本的な解決にもならない。
ならば、私は何のために孤児院に行くのだろう。
あの男の子の言った、『自己満足』という言葉が、今更ながらに胸に引っかかる。
それはそのまま、水に落とした重りのように、私の心に深く深く沈み込んだ。




