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婚約 

その時の私はどんな顔をしていただろう。


少なくとも嬉しそうな顔はできていなかったはずだ。

ショックを受けたというわけではない。

来るべきものがとうとう来たか、と、どこか冷静だった気がする。

それでも、言うべき言葉を見つけることができず、私は視線をさまよわせる。

兄も、眉間にしわを寄せたまま、私の返事を促すことはなかった。


最初に静寂を破ったのはオリバーだった。

彼の手が滑ったのか、ティーポットの蓋がカタリと音を立てた。


「…申し訳ありません。」


その音は小さかったけれど、確実に私の目を覚ました。


そうだ。ぼんやりしている暇はない。

ゲームのプロローグでは私は24歳だったはず。

破滅まであと15年と少ししかないのだ。

確かめなければいけない。

私の身と、私の大事な人たちを守るために。


そもそも、兄は『決まった』と言ったのだ。

ということは、もう私の意志はそこに反映されることはない。

公爵の地位を持つ父や陛下の側近である兄の立場でさえ、お断りしかねる程のお相手なのだろう。

第一、こんな話を父ではなく兄が持ってきた。

つまり。


「…すみません、何と言ったらいいのか…。

驚いてしまいまして。」

「……そうだろうな。」

「いつかはこういうお話をいただくとは思っていたのですが…。

いざとなると動揺してしまうものですね。」

「……そうか。」

「……お兄様?」


兄の眉間のしわは段々深くなっていく。

額に当てた手に力が入っているのが浮き出た関節でわかる。


優しい人なのだ。

その人を葛藤させているのは私の過去の行動が原因だろう。


「お兄様。」


私は首をかしげてにこりと笑う。

そして努めて明るい声で続けた。


「お兄様、ご心配なさらないでください。

私、もう無闇に自分を卑下することはありません。

どんなひどい方がお相手でも、もう二度と引きこもりになることはございませんわ。」


兄は少し驚いたように私を見た後で、困った顔で少し微笑んだ。


「どんなにひどい相手でもか?」

「ええ。

借金がどれだけあっても、愛人が山ほどいらっしゃっても、とんでもなく意地悪な方でも。」

「借金、愛人…どこでそんな言葉を覚えたのやら…。

そんな男のもとにお前をやったら私はこの家の者達に殺されてしまうだろうよ。」


兄は困ったように笑ったあと、肩の力を抜くように小さくふうと息をついた。


「…嫌なら断っていい。」


それから、私をまっすぐに見据えた。


「お相手は、ギルバート様だ。

ギルバート・ファレル・ハーバート様、我が国の王太子様だ。」


ああ、やっぱり。


恐れていたことが現実になってしまった。

やはり運命からは逃れようがないのかもしれない。

王子と婚約して、愛されず、それこそひどく意地悪な悪役令嬢となって、たくさんの人を傷つけて、その罰が当たって…。


断っていいとお兄様は言ったけれど、おそらく決まってしまったであろう話を(くつがえ)すのは無理だろう。

お兄様は出世のために私を利用するような方ではない。

そのお兄様がこの婚約をとめなかった。

恐らく私には分からない、とめられない理由があったのだろう。

断ればお兄様や、ひょっとしたらグレゴリー家にも迷惑がかかる。

けれど、このままゲーム通りにすすんでしまえば破滅へまっしぐらだ。


思考の悪循環に飲み込まれそうになった私は瞳を閉じる。

息をゆっくり吐く。吸う。

感覚が薄くなってかすかにふるえる手に力をこめる。

(まぶた)をゆっくりと開けると視界の端にオリバーの心配そうな顔が見える。


そうだ。

まだあきらめるのは早い。

少なくともオリバーとのバッドエンドは回避できたのだ。…多分。

全ては私の心がけ一つ。

それで、運命は変わる、はず。


私は顔の筋肉を総動員して、こわばっている頬を無理やり緩めた。


「……承知いたしました。

王太子妃など、私などにはもったいないお話ですが、お父様やお兄様のお邪魔にならないように努めてまいります。」


兄はまた眉を寄せてしばらく私の顔を探ったあと、ポツリと言う。


「…断ってもいいんだ。」

「大丈夫です。お断りは致しません。

でも、王太子様とは歳もだいぶ離れておりますから、もし私が王太子様のお気に召さない場合は遠慮無く出戻って参りますわ。

その時は暖かくお出迎えくださいませ。」

「そんなことあるわけが…!」


お兄様は声を荒げて否定なさるけれど、実際ギルバート様と私の年齢は少々離れすぎである。


ギルバート様はまだ1歳。もうすぐ2歳になられるはずではあるが、私とは7つの歳の差がある。

ギルバート様が私と結婚できる歳、18歳の時に私は25歳。

ゲーム終了時、ギルバート様20歳の時、私は27歳。

25歳の時、私は32歳。

35歳の時、42歳…。


私が悪役令嬢にならなかったとしても、私が王太子様の恋愛対象にならないのは当然かもしれない。

女性が年上という夫婦はもちろんこの世界にもいるものの、5歳以上離れているのは政略結婚かパトロンか…少なくとも一般的ではない。

一般的な男性であれば、同年代か、自分より若い女性のほうが魅力的に見えるものなのだろう。

あの、前世のプロポーズ少年のように姉のように慕ってくれることはあるかもしれないが、うまくいったとしてもせいぜいその程度だ。


どうせギルバート様が18歳になる頃、ヒロインと出会い、恋に落ちるのだろうし。

そもそも期待などしなければ私の性格がねじくれ曲がることもないかもしれない。

私は王太子様の婚約者としてふさわしい行動をとり、その時が来たら綺麗に身を引いて当初の予定通り修道院に入ろう。

王太子の元婚約者など(いわ)く付きすぎて誰も拾ってくださらないだろうし、その頃には私は行き遅れといわれてもおかしくない年齢だ。

家族は少し悲しむだろうけれど、こちらに非はないし、悪役令嬢になるよりもずっといい道だ。

もはや目標は『目指せ!行かず後家!!』である。

となれば、やはり少しずつ修道院について調べて目星をつけておかなくては…。


「クラウディア?」


ハッとして顔を上げると、兄はとても心配そうな顔をして私を見ていた。


「ごめんなさい、お兄様。

少し…考え事をしてて…。」

「クラウディア、無理せずに断っても…。」

「いいえ。大丈夫ですわ。」


にこりと笑いながら、私は頭を忙しく動かして国中の修道院をリストアップしていた。


   

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