追想
そばに誰かの気配を感じた。
ゆっくりと目を開けると、ナディアの心配そうな、どこかほっとしたような顔が見える。
「クラウディア様、お加減はいかがですか?
どこか、痛むところは?」
「うん…、大丈夫。
起きられるわ。」
頭を上げようとする私をナディアが支え、腰の後ろに大きなクッションを置く。
「オリバーは?」
「それはもう焦っておりました。
私も、大変心配いたしました。」
ちょっと怒ったように、どこか呆れたように言うナディアに私は肩をすくめながら謝るしかない。
「ごめんなさい。」
「何があったのです?」
「特には何も…。」
「オリバーは宝物がどうとか言うばかりで埒があきませんの。」
「それは…」
「あんまり可愛らしかったので、とも申しておりましたが…。
まさか⁈オリバーが何か身の程をわきまえないことを⁉︎
もしそうならば私が徹底的に懲らしめて…」
だんだんと顔が険しくなっていくナディアに、私は慌てて首を振った。
「オリバーは悪くないわ。
私が勝手に倒れただけ。
今回も私を助けてくれたのよ。」
攻略対象だのゲームだのの話はできない。
私の行きつく可能性の一つを思い出したからだなんて、そしてそれがだいぶ衝撃的だったからだなんて、そんな話をしたところで余計に心配かけるだけだ。
にこりと笑う私を見てナディアも少し落ち着いたようで、小さく息を吐いて笑う。
「ではお疲れが出たのかもしれませんね。
ここのところずっと頑張っておられましたから。」
「そうかもしれないわね。
少し寝たら体が軽くなった気がするわ。」
「お夕食まで時間がございますから、もう少しお休みになったらいかがですか?」
「そうさせてもらおうかしら。
お昼寝なんて、なんか贅沢してる気分ね。」
笑ってごろりと横になると、ナディアも笑いながらゆっくりお休みください、と出て行った。
それにしても、だ。
オリバーのことを攻略対象者だと気づかなかったのは本当に迂闊だった。
小さい頃から側で見守ってくれていて、あまりに身近だったからだろうか。
今、オリバーは確か18歳。
15年後のゲームの時は33歳。
合ってる。
私の記憶違いや勘違いではなさそうだ。
まあ、あの反応と台詞からして、とりあえず今のところはオリバーに嫌われていることはない…と思う。
だとすると、とりあえず家の不正を暴かれて没落&使用人達に追い詰められて自害エンドは回避できたと考えていいのかもしれない。
もちろん未来のことはわからないから、まだ気を引き締めて行動するつもりだが。
そもそも記憶が戻った段階で攻略対象者のことなど気にかける余裕がなかったのがいけなかったのだ。
今後のことも考えると、今のうちに思い出しておかないと怖すぎる。
私はゲーム『クリスマスソング ~love yourself 』について改めて思い出すことにした。
攻略対象者は誰なのか。
私の迎えるバッドエンドはどんなものがどれほどあるのか。
それがわかれば今後の行動の大きなヒントになる。
馬鹿みたいに将来に怯えることはなくなるのだ。
「うーん。」
ごろり
「うーーん。」
ごろり
「うーーーーーーーん。」
ごろごろごろごろ
「……………………………………嘘でしょ…⁈」
思い出せない。
全然、もう、まっっっっっったく何も、誰のことも思い出せない。
いやいやいやいや。
きっと動転してるから思い出せないだけだ。
落ち着け、落ち着け私、落ち着け。
けれど、そのあとどれだけ転がりつつ頑張っても台詞の一片も、スチルのかけらも思い出せることはない。
そのうち思い出し疲れた私は、ある一つの怖い考えにたどり着いた。
ひょっとすると、これってバッドエンドを回避、もしくはバッドエンドが確定して、初めてそこで攻略対象者やエンディングを思い出せるシステムなのでは…?
王子様のことだけを思い出せたのは大まかなストーリーを思い出すためには避けられなかったから、と考えれば説明がつく。
その結論に確信を持った訳ではないが、やたらと高そうな可能性に私は思わず身震いする。
前世の記憶があったところでアドバンテージも有利性もない。
どこに身を滅ぼす可能性が転がってるのかわからない。
これでは対策の立てようがないではないか。
私は大きくため息をつく。
いや、落ち込むことはないのだ。
結局は今までと何ら変わりはないのだから。
バッドエンドを避けるためには、これまで通り、真面目に、誠実に生きるしかない。
私は今後も身の程をわきまえて、周りに迷惑をかけることなく、目立たず威張らず大人しく生きていくだけだ。
布団の中で改めて決意を固めていると、扉を叩く音とオリバーの声が聞こえた。
「クラウディア様、起きていらっしゃいますか?」
「ええ。今起きるわ。」
「失礼いたします。」
扉が開くと、オリバーと一緒にナディアも入ってきた。
そのまま、ナディアは体を起こした私の乱れた髪を整える。
オリバーは心配そうに私を覗き込んできた。
「お加減はいかがですか?」
「ゆっくり休ませてもらったからもう平気よ。
ごめんね、心配かけて。」
「ええ、心配いたしました。
けれどそれが私の側でよかったです。
すぐにお部屋にお連れできましたから。」
「ありがとう、オリバー。
重かったでしょう。」
「まさか。羽根のように軽うございました。」
「オリバーは優しいのね。」
「クラウディア様。
口の上手い男にはお気をつけくださいまし。」
ナディアが苦々しい顔でオリバーを睨む。
オリバーはそんな視線もどこ吹く風でにっこりと微笑んだ。
妙な空気が流れてる気もするが、私は少し迷いつつ1番気になってることを聞く。
「それで、あの…私が倒れたこと、お兄様達には…。」
「内緒にしてございます。」
「ああ、よかった!ありがとう。」
「いいえ。お嬢様は気にされるかと思いましたから。」
オリバーはすっと私に手を差し出す。
その手をとって私はベッドから降り、小さく伸びをした。
ナディアが私の服のシワをパタパタと叩きながら伸ばしていく。
しかし、それなりの時間ごろごろと寝ていただけあって、シワはなかなか取れない。
「取れませんわね…。
お着替えなさいますか?」
「みんなの手を煩わせるからこのままで大丈夫。
家から出る訳でもないもの。」
「なにか召し上がられますか?」
「ええ、いただきます。
ブルーノのご飯がもう恋しいわ。」
「ブルーノが聞いたら泣いて喜びますよ。」
オリバーはそう言って微笑みながら扉を開ける
その脇を抜けて部屋を出るときに、小さな声が耳に入ってきた。
「王妃様…」
「……毒殺……」
その内容の不穏さに思わずそちらを見ると、若いメイドが何人か集まって噂話をしているようだった。
「あなたたち、そこで何をしているの!
下らないおしゃべりの時間ではないはずよ。
口よりも手を動かしなさい!」
ナディアが彼女たちを叱り飛ばす。
オリバーは立ち止まってしまった私の背中に手を回して、そっと先を促した。
「参りましょう。」
「オリバー…。」
「大丈夫です。
皆様ご無事です。
クラウディア様はなにもご心配になることはありません。」
オリバーはにこりと笑う。
うまく誤魔化されているような気がする。
「大丈夫です。
クラウディア様はこの身に代えましても私がお守りいたします。」
背中の手に力がこもった気がする。
確かに。
私が真実を知ったからといって、どうなることでもないのだ。
私が今、できることは、彼らに心配をかけないこと。
胸騒ぎを抑えて、私は笑顔を作る。
「オリバーが付いてくれてるなら安心ね。」
「お任せください。」
オリバーが微笑んだのを確認して、私は歩き出した。