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ハンカチ

それからというもの、私はとにかく何事にも懸命に取り組んだ。


家庭教師の先生方の授業は真剣に受けたし、予習復習も欠かさなかった。

その上で、少し時間ができた時には書庫に入れてもらい本を読み、オリバーにわからない部分について尋ねる。

ナディア達に刺繍の刺し方を習い、ブルーノにはお料理やお菓子の歴史、作り方を教えてもらい、庭師のゴットロープには花の名前や育て方を聞いて、たまに花の剪定もさせてもらっている。

最初はみんな遠慮がちな態度だったが、知識を頭に入れる楽しさにせき立てられるように私は彼らに質問し続けた。

そのうちに、彼らの仕事場に行っても、彼らは当たり前のように私を受け入れてくれるようになった。

できることが少しずつ増えている上に、彼らとの距離が格段に縮まっている気がして、私はそれがとても嬉しい。

これで少しは誰かの役に立てるだろうか。

誰かを、喜ばせることができるだろうか。


私はきれいにラッピングした包みを4つ持って、おそらく兄の使いで出かけようとするオリバーに駆け寄った。


「オリバー、これをまたお願いできる?」

「もちろんです。

旦那様と奥様、アルドリック様宛ですね。

今回は何をご用意されたのですか?」

「私が刺繍したハンカチなの。

下手くそなんだけどやっと完成したから。」

「絶対にお喜びになられますよ。

先日のハーブティーも大変美味しかったとおっしゃってましたから。」

「それはゴットロープとブルーノのおかげだわ。

きっとお疲れだろうからリラックスできるお茶を調合してもらったら、本当に美味しい素敵なお茶を作ってくれたの。」

「もちろんそれもありましょうが、皆様はクラウディア様のお気持ちが嬉しかったのだと思いますよ。」


オリバーの優しさに私の頬は自然に緩んだ。

彼はいつも優しい。

私が鳥にさらわれそうになるずっと前からだ。

何を尋ねても決して邪険にすることなく、懇切丁寧に、私が納得するまで何度でも教えてくれる。

知識量はもちろん、私にもわかるように噛み砕いて説明できるあたり、相当頭がいいのだと思う。

元は孤児だったそうだが、その才能を兄に見いだされ特別に教育を受けただけのことはある。

スタイルと容貌がいいというのも引き取られた理由のひとつではあろうが、本人はそれに甘んじることなくよく努力をして、両親や兄の信頼を勝ち得ている。

もちろん私の信頼もだ。


私はそっと後ろ手に持っていた包みをオリバーに差し出す。


「こちらはどなたにお送り致しましょう?」

「これはオリバーに。

やっぱり下手くそで申し訳ないんだけど、いつもお世話になってるから。

一緒に作ったの。」


オリバーは虚をつかれたように笑顔を消して私の顔を見た。

それから手の中の包みにゆっくりと目を移した。

なまじ顔が整っているだけにオリバーの真顔はすこし怖い。


「…中を拝見してもよろしいですか?」

「え、ええ!もちろん。」


にこりともしないオリバーの様子に、これはやはり迷惑であったかと後悔混じりに目をそらす。

包みの中から出てきたのは刺繍のハンカチ。

下手くそだが私が一生懸命縫ったものだ。

しかし、よくよく考えればそんなものを私のような者から渡されて、オリバーの立場から「いらない」とはまず言えないだろう。

渡す前にそのことに思い至らないあたりが私のまだまだ足りないところだ。


オリバーは私の縫ったガタガタの刺繍をじっと見ている。


「これは…豚ですか?」

「猫よ。」


がっくりしながらも私は違和感を覚える。

この会話、以前にもどこかで聞いた気がする。


「猫は…幸運の象徴ですね。」

「あ、ええ。

いつも私はオリバーに優しくしてもらって幸せにしてもらってるから、オリバーにも幸せになってもらいたいなと思って選んだんだけど…やっぱりもっと練習が必要ね。

ちょっと使うには拙すぎるし。

ごめんなさい、上手にできたらまた渡すからやっぱり返して…。」


私は手を伸ばしてハンカチを取ろうとしたが、オリバーはハンカチに私の手が触れる前にそれを胸ポケットに入れてしまった。


「もう頂いてしまいましたのでお返しすることはできません。」

「え、でも、そんな下手なもの…。」

「とてもお上手です。」

「オリバー、いつも嘘はだめだっていうじゃない。」

「嘘ではございません。 

私の目には世界一素晴らしい刺繍に見えます。」

「そんなの外で使ったらなんて言われるか…。」

「誰にも何も言わせません。

そもそも、もったいなくて使えませんのでご心配には及びません。

一生大事にとっておくつもりです。」

「でも…。」

「クラウディア様。」


オリバーは胸ポケットに大事そうに手を当てながら、かがみこんで私ににっこりと微笑んだ。


「ありがとうございます。

とても…とても嬉しいです。

クラウディア様にお仕えできて、私は本当に幸せ者です。」


間近で見るその笑顔はとても素敵で、それはあまりにもまっすぐな言葉で、思わず頬が熱くなる。

と、同時に私の脳裏に鮮明に記憶が蘇った。


なぜ忘れていたのか。

オリバーは「攻略対象者」だ!


多少の差異はあれど、今のセリフはゲーム内でヒロインに対してかけられたものにそっくりだ。


オリバーは悪役令嬢、つまり私の護衛としてゲームに登場する。

当初から私にあまりいい感情を持っていなかったオリバーは、ヒロインが私に辛くあたられているのを見ていられなくなり、何かとヒロインを気にかけて親切にする。

そのお礼にとヒロインが手作りのハンカチを渡した時の、あのセリフだ。

確か彼はその後、グレゴリー家の内部からグレゴリー家の不正を暴き没落させる。

私はどうなったんだっけ?

確かそれまでの扱いを恨んでいた召使いたちに追い詰められて屋敷の窓から身を投げた…ような…。


不正?

あのお父様やお兄様が?

まさか、ありえない。

それに、うちの窓から身を投げるとか、運動神経皆無の私なら確実に死ぬ。

一体ゲームの中の私は何をしでかしたのか。

いや、でも、しかし、本来ヒロインにかけられるべき言葉が、私にかけられたということはつまり…。


「クラウディア様?」

「えっ、あっ、ええ、大丈夫!聞いてるわ。」

「お顔が赤うございますが、お熱でも…。」


オリバーに額を触られてますます私の体温は上がる。

今までそんなふうに彼を見たことなんてなかったのに、攻略対象者だとわかった途端、妙に意識してしまう。

私はヒロインではないから何の関係もないはずなのに、元乙女ゲーマーの悲しき性だ。

その上、突然蘇った記憶のこともあり、もう頭はぐちゃぐちゃだった。

目が回る。


「…クラウディア様⁈

クラウディア様!

お気をしっかり!」


オリバーの焦った顔が薄く揺れる。

彼の手が私の体を支えるのと同時に、私は意識を手放した。

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