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ソウルキャッチャーズ~私は一般人でいたいのだ~  作者: 熊出
第一章 私は一般人でいたいのだ
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初めての吸魂

予定を変更して、初めての吸魂をお送りしようと思います。

「ひーまー」


 歩美がぼやくように言う。

 エクセルを開いたパソコンの画面とにらめっこしていた私は、一つ息を吐いてコーヒーを口にした。

 歩美。私が体内にストックした幽霊だ。彼女はいつも私の肩の辺りで私にしか見えない形を持って浮遊している。


(仕事だから仕方ないじゃないの)


「お母さんはあちこち連れてってくれたのになあ。翠ったら家と会社と散歩道の三パターンじゃない」


(私はあなたの面倒を見る義務はないんだけどね)


「ネグレクトだ」


(母親になった覚えもないわよ)


「そーね。翠男っ気ないし」


 コーヒーをもう一口飲んで、出かかった溜息を体の中に押し戻す。


「じゃあ話をしてよ」


(話?)


「あなたが吸収してきた魂の話」


 マグカップをキーボードの傍に置く。

 そして数秒、無言のプレッシャーを相手にかけた。

 歩美は気弱げに黙り込んだ。


(面白くもない話よ)


「けど」


 歩美は勢いを取り戻そうとするかのようにまくしたてる。


「興味深いわ。あなたの魂って一つじゃない。二つでもない。どこかで魂を吸収したってことだわ」


 弾劾されているみたいだな、と思う。

 そして、相手が引く気もないのもわかってしまったのだった。


(いいわ。帰ったら話してあげる。だから、仕事中は話しかけないで)


「了解」


 私は再びキーをタイプしようとし、今どんな作業をしているか失念していることに気がついて数秒硬直した。


(まったく……)


 歩美は本来は従姉妹にあたる存在だった少女だ。無下にはできない。

 けれども、面倒な荷物を背負い込んでしまった予感は少しあった。

 そして、私は、自身の小学生時代に思いを馳せた。

 それは、私が初めて魂を吸収した記憶。



+++



 小学四年生の私には日課があった。

 その日課を果たすために、私は歩いていた。

 伊東家、という表札が出ている家の玄関を素通りし、庭を囲む塀の外側へと移動する。


「たまー」


 小声で呼ぶと、小さな返事があった。

 四足歩行で、たまは塀の下から這い出てきた。

 この三毛猫が、小学四年生の私の心を掴んで離さなかったのだ。

 人形より柔らかそうな毛皮、宝石のようにつぶらな瞳。その全てが可愛さを体現しているかのようだ。


 私はポケットから袋を取り出すと、朝食から拝借した魚の切り身をほぐして地面に落とした。

 たまは美味しそうにそれを食べる。

 しかし、たまは気難しい猫だった。

 餌付けにも時間がかかったが、未だに触らせてくれない。

 だから、私はただ眺める。至福の時間だった。


 たまは食べ終わり、歩いて行く。

 その後をついて行きたい衝動にかられながらも、私は小学校へと進路を変えた。

 家で猫を飼えたら良いのにな、と思う。

 我が家は、母が猫アレルギーなのだった。



+++



「翠にもそんな時期があったんだ」


 自宅で、食事の用意をしながらたまとの交流を語ると、歩美はそんな感想を漏らした。


「誰だって子供の頃は可愛いものよ」


 包丁でネギを刻みながら答える。


「そのたまって子を吸収したの?」


「まあ、結果としてはそうなるわね」


「けど、その伊藤さんちと翠の間には接点はなかったのよね? 翠が勝手に餌やってただけで」


「そうよ。バレないかとヒヤヒヤしてた」


「じゃあ、今わの際に魂を吸収したわけじゃないのね」


「色々あったのよ。それは思い出しても切なくなることなんだけど」


「うんうん」


「伊藤さんちの家族、夜逃げしたのよねえ」




+++



「たまー」


 小学四年生の私は、伊東家の庭の外からたまを呼び出した。

 返事がして、猫が這い出てくる。

 寒い冬だった。たまは明らかに痩せ細っていた。


 鮭の切り身を解して、雪の積もる地面に落としてやる。


「伊藤さんも酷いことするわねえ」


 近所の小母さんらしき人が声をかけてきた。

 見られたか、と私は心音が早くなった。


「老猫一匹置いていくなんて」


「どこへ行ったかはわからないんですか?」


「夜逃げだからねえ」


 溜息混じりに言う。


「私も餌をやろうとしているんだけれど、警戒しているのか食べなくてね。今じゃ、お嬢ちゃんの餌しか食べてないんじゃないかな」


 責任が重く肩に伸し掛かってきた。

 そして、私は決意した。

 たまの新しい飼い主を探そうと。


「たま、新しい飼い主を探しに行こうよ」


 そう言って、手を差し出す。

 瞬間、たまは逃げ去ってしまった。

 地面の鮭に、雪が降り積もっていく。


「気難しいのよねえ」


 溜息混じりに小母さんは言うと、帰宅するのか去っていった。

 どうしたものだろう。

 たまに三食を用意するのは私の小遣いでは難しい。

 今月の小遣いは既に漫画雑誌と単行本に消えてしまった。


「たま……」


 私はたまの駆け去って行った先をただ眺めていることしかできなかった。



+++



「捨てられたのかあ。愛玩動物の辛いところだね」


 歩美は、淡々とした口調で言う。

 私は味噌汁の鍋をかき混ぜながら、答える。


「そうね。勝手に飼って勝手に去勢して勝手に捨てる。エゴだわね」


「翠って伊藤さんち恨んでそう」


「……昔の話よ」


 思わず苦笑する。全ては過去に心の整理を終えてしまったことだ。


「たまは衰弱死したの?」


「ううん」


 私は首を横に振る。


「春まで、たまは凌いだ。自分でも餌を取ってたんだろうね。だから、全ては丸く収まるかと、そう思ってた」


「そう思ってた?」


 歩美が顔を覗き込んでくる。

 私は苦笑顔のまま、過去に思いを馳せた。



+++



「たまー」


 その日も小学五年生になった私は魚を用意して旧伊東家にやってきた。

 返事がない。

 留守かな、と思い通学路を歩く。


 こうも毎日魚が続くのは、魚を食べると賢くなると母に進言したからだ。

 小賢しい子供だったわけだ。

 学校に行くと、教室の中央に人だかりができていた。


「おはよー」


 なんだろうと思い、挨拶をして教室の中央に近づいていく。

 各々、挨拶の返事があった。


「いや、それがさ。今朝、猫が轢かれて死にかけてるの見かけちゃってさー」


 世界から色が消えたような錯覚に陥った。


「それ、どんな柄の猫?」


 私は鞄を置いて、走った。

 息切れも気にせず、走った。

 そして、そこにたまはいた。


 歩道にプラスチックの板の上に寝かされ、道路からどかされたのがわかる。

 足はあらぬ方向に折れ、目玉は片方が飛び出し、以前の体中から放たれる愛らしさは失われていた。


「なんで……たま……」


 思わず、膝をつく。

 たまはこんな状態にあっても、生きようとしているようだった。

 片足を地面について、必死に立ち上がろうとしている。生きようとしている。


 もう無理だよ、と私は思った。

 この状態からたまを救うには、今すぐに、まとまったお金が必要だ。

 しかし、私にその金はない。

 親に相談している暇もないだろう。

 たまのハートは、こうしている間にもヒビが広がり、崩れ落ちそうになっている。


「……頑張ったね」


 私は、初めてたまを抱きしめた。服に血がついたが、構わなかった。たまは意図を組んだように、抵抗しなかった。


「おやすみ、たま」


 そう言って、私はたまのハートを、握りつぶした。

 その途端、たまは私の腕の中で力尽きた。

 それが、私の初めての吸魂。

 後々まで忘れられない記憶になる、最初の一回。



+++



「うーん」


 歩美は唸った。


「たまと一つになれてハッピーエンドとも言いづらいし、魂は拾えたわけだからバッドエンドとも言えないし、よくわかんない話だね」


「ビターエンドってとこで手を打てばどうかしら」


 米が炊けたことを炊飯器が音楽で知らせてくる。

 晩餐の準備は整った。

 料理をテーブルの上に並べ、ビールの缶を開ける。


「その後、たまを埋めに行ったんだけどね。目印に岩を置いたはずなのにどうしても見つからなかった。だから、供養はできてないの」


「翠の一部になったんだから、翠が死んだ時に一緒に供養してもらえばいいじゃない」


「そうね」


 ビールを一口飲んで、苦笑する。


「けど、翠って結婚できなそうだし無縁仏になりそうだよね」


 ビールをもう一口飲む。

 今日のビールは苦かった。


第三話 完

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