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ソウルキャッチャーズ~私は一般人でいたいのだ~  作者: 熊出
第一章 私は一般人でいたいのだ
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水子の話

 雪の白は消え、桜の桃色が町を彩り始めた。

 散歩道が桜通りなので心地よい。

 剛を失った痛みはまだ胸に残っている。だが、追い立てるような日常がそれを忘れさせてくれた。


 今日は親戚達が集まる花見だ。

 料理は母親達が用意するので、子供世代は楽なものである。


「翠ねーちゃんまだ結婚しないの?」


 甥がからかうように声をかけてくる。


「縁遠いのよねー」


 大人らしく、軽く受け流す。


「俺もイトコほしいんだけどな」


「すいません」


 兄の嫁の智子が間に入ってくる。


「駄目でしょ、お姉ちゃんにそんなこと言ったら。翠お姉ちゃんはまだ若いんだから色々な選択肢があるのよ」


 選択肢。飲み会も一次会で帰る付き合いの悪い私にそんなものはあるのだろうか。

 自問自答したら悲しくなってきた。


「翠ちゃん、こっち来て飲む?」


 そう言って声をかけてくれたのは、叔母の優子だ。


「それじゃあお言葉に甘えて」


 ゆっくりと腰を上げ、優子の傍に座る。

 気になっていることがあった。

 人の体に通常一つしかないハート。それが、優子の場合は二つあるのだ。

 まるで、命が二つあるかのように。


 どういうことなんだろうと思いつつ、その正体を見いだせないまま今に至っている。


「仕事にはもう慣れた?」


「ええ、いい人ばっかりで。いい会社に入れたと思います」


「そう。それはなによりだわ。後は結婚ね」


 やっぱり親戚が集まるとそういう話題になるか、と思う。

 剛を失ったばかりの今では、具体的な案は出てこない。

 そんなこと考えていいのか、という思いすらある。

 私は人を殺したのだから。


「優子さんみたいにいい亭主がいたら、とは思いますけどね。子供がいなくても幸せそうで」


 優子の表情が、一瞬強張った。


「そうね。いい人が見つかるといいわね」


 ほんの一瞬のことだった。けれども、周囲の空気が重くなったのは気のせいだろうか。

 失言があったかと思ったが、やはりだった。

 帰りの車で、私は母にその事実を教えられた。


「優子ね。十数年前に流産したのよ」


 私は絶句する。つまり、私は地雷を踏んでしまったのだ。


「それ以来、子供ができづらい体になって……だから、子供の話はタブーなの」


「悪いことしちゃったなあ」


「子供を持たない夫婦も増えてるからね。デリケートな話題だって自覚なさい」


 ぐうの音も出ないとはこのことだ。


「はあい」


「あと、早くいい人見つけなさい。歳を取るのはあっという間なんだからね」


「はあい」


 夏休みに膨大な宿題を押し付けられたような気分で、その日は解散となった。



+++



 私が優子の部屋を訪ねたのは、その一週間後だ。

 ハートが二つある人間。それが、気になった。


「こんにちは」


 優子にとっては予想外の来客だったのだろう。彼女は目を丸くしたが、すぐに微笑んで居間に案内してくれた。


「珍しいわね。翠ちゃんから来てくれるって」


 台所で優子が、コンロのスイッチを押した音がする。茶を淹れてくれるのだろう。


「いえ。今日は謝罪に来たんです」


「謝罪?」


「花見の席で無神経なことを言っちゃったなって」


 一瞬、息を呑むような気配があった。


「話、聞いたのね」


「ええ」


 端的に答える。

 しばらく、無言の時間が居間を包んだ。

 優子は紅茶の入ったカップを持ってきて、テーブルの両端に置いた。


「娘のはずだったの」


 優子は、紅茶を一口飲むと、そう切り出した。

 場には、ある種の緊張感、風船に尖ったものを近づけているような雰囲気が流れていた。


「名前は?」


「歩美と決めていたわ」


「ごめんなさい。過去を掘り返すような真似をして」


「いいの。吐き出した方が楽になることだってあるわ」


「そう言っていただけるとありがたいです」


「今でも夢に出てくるのよ。成長した姿で。そして思い出すの。歩美も生まれていたら今頃学生なんだなって」


「自分の子供ですものね。忘れられるものじゃない」


 優子は目を伏せた。


「若干、重たくもあるわ。毎日のように歩美は夢に出てくるから。一時期、鬱の薬を飲んでいたぐらいで」


「それは、苦しいですよね」


 優子には輝かしい未来があったはずだ。我が子を抱き上げ、成長を見守り、巣立ちを見送る。

 その未来は、無情にも失われた。


「ええ。けど、それも私の一部なんだって受け止めることが大事だと思ったわ。歩美はもう、私の一部なの」


「お強いんですね」


「十数年も経てば慣れるわ」


 優子の胸の辺りには、今も重なる形でハートが二つある。

 その原因は、思い浮かばない。

 しかし、原因を究明するために過去をほじくり返すのは、我ながら趣味が悪かった。


「このお茶、凄く美味しいです」


 私は、話題を変えることにした。


「翠ちゃんが持ってきたお菓子も美味しいわよ」


 手土産はきちんと持ってきていたのだ。

 その後、仕事の話や優子の亭主の話で盛り上がって、その日は解散した。



+++



 その日、ベッドに入って、一日を振り返った。

 なんだか、密度の濃い一日だった気がする。

 それは、優子の辛い過去を聞いたからだろう。

 自分が同じ体験をしたら、あんな風に強く微笑めるだろうか。

 私には、その自信はない。

 強い人なのだ、優子は。


 そんなことを考えながら、夢に落ちていった。

 不思議な夢を見た。


「ねえ、起きて」


 男のものとも女のものともつかないハスキーボイスだ。

 聞き覚えのないその声に呼ばれて、私は目を覚ます。

 真っ白な空間だった。


 そこに、中学生ほどの少女が立っている。


「ここは……?」


「ここは夢の中。そして、私は歩美」


「歩美……?」


 聞き覚えのある名前だ。

 数秒考えて、それが優子の娘となるはずだった存在の名前だと思い至る。


「ねえ、あなた、不思議な力を持ってるでしょう?」


「……」


 彼女の問いに、私は沈黙で返した。

 不思議な力を持っている。それは、私のトップシークレットだ。

 私は平々凡々とした生活をしたいのだ。


「あなたも魂が重なってるからわかった。あなたは特別だって」


「……見えるの?」


 恐る恐る、問う。

 歩美は、元気良く頷いた。


「ええ、私は幽霊だもの」


「幽霊、かあ」


 歩美が縋り付いてくる。

 寝ぼけて頭の回転が鈍い私は今の展開についていけていない。


「ねえ、お母さんを助けて」


「優子さんは強い人よ。今のままでも大丈夫だよ」


「それがそうでもないのよ。私が残ったままだからね。私のことを思い出して、今も泣いてる」


 私は呼吸を忘れた。

 そうだ、強がりはいくらでも言える。

 彼女の心は、娘を失った時のショックを引きずっているのだ。


「私を剥がして。お願いよ」


 そう言うと、歩美は立ち上がって、私に背を向けた。

 そして、歩いて行くと、指を一つ鳴らした。

 世界は闇に包まれた。


 そして、私は目を覚ます。

 体を起こして時計を見ると、まだ深夜の二時だ。

 寝汗が酷かったので、着替える。

 今の夢はなんだったのだろう。


 幽霊の存在を信じるわけではない。けれども、今の夢はあまりにも具体的すぎた。

 もしかして、歩美は今も優子の中で生き続けているのか? 魂だけの姿で?

 私はしばし考えたが、明日は平日。遅刻するわけにはいかない。ベッドで横になった。

 睡眠は、中々やってこなかった。



+++



 一週間がやけに長く感じられた。

 それは、夢のことについて常に考えているからだろう。

 あの夢が本当だったら。

 そんな可能性がふとした時に頭をよぎる。


 そして、結局、その週末、私は優子を訪ねていたのだった。


「こんにちはー」


「あら、翠ちゃん。どうしたの?」


「いえ、ちょっと、野暮用で」


 優子の胸の前にはハートが二つある。

 そのうち、小さい方を掴んだ。

 優子は怪訝そうにその動作を眺めている。


 いいのか?

 なにかの間違いで優子が死んだりしないのか?


 そんなことを考える。


「翠ちゃん?」


 怪訝そうな優子の声が、私の背を押した。

 私は勢い良くハートを引き抜くと、掌の中で握りつぶした。

 魂が手の中に吸い込まれる。私は今回は、ストックしておくことを選んだ。

 ストックしておけば、魂は戻せるかもしれない。

 試したことはないのだが。


 幸い、優子に変異は訪れなかった。


「今流行りの挨拶?」


「いえ、用事があったんですが、忘れてしまいました。出直します。これ、お茶菓子です」


 そう言って、持ってきた紙袋を渡す。


「あら、ありがとう。気兼ねなく来てね」


 そして、私は優子と別れた。

 歩いて、住宅街を進む。


「これで良かったの?」


「うん、良かった」


 独り言に、返事があった。

 歩美が、いつの間にか姿を持って、私の肩の辺りを浮いていた。


「私がいたら、いつまでもお母さんは私を思い返して辛くなるから。これで、良かったんだ」


「そっか」


 それは、娘が母親を評するにはあまりにも悲しい台詞だ。

 しかし、運命がその台詞を吐かせた。


「人生って無情だね。そう思わない?」


「私、生きてた時の記憶がないからわからないや」


 新しい同居人は、どうやらあっけらかんとした性格のようだった。


第二話、完

次回、氷の刃(予定)

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