第三話 『黄昏の世界』
最愛の人を失い、絶望と怒りの中で少女は悪魔と出会う。
悪魔は魔銃『ブルトガング』を渡し、「望むなら叶えなきゃ」と囁いた。
少女は全てを失い、代わりに絶対的な暴力を手に入れた──。
暴力と理不尽が溢れ返る世界で、少女は今日も銃声をかき鳴らす。
愛する人と再び出会う為に。
第三話 『黄昏の世界』
夏の朝特有の強い日差しが、海沿いの街、ヴィネアへと降り注ぐ。
アリオたちは滞在するホテルのカフェテラスで遅い朝食を取っていた。
カフェテラスはホテルの五階程の高さに設けられ、遠く、海を臨むことが出来た。
瀟洒なカフェテラスの周りには木々や花々が植えられ、さながら空中庭園の様相だった。一角では吟遊詩人が弦楽器を奏で、客たちの食事に彩りを添えている。
心地よい柔らかな旋律がアリオの耳を掠めた。
食事の最後にケーキが運ばれて来ると、ささやかなティータイムが始まった。
「シフォンケーキ! まずはケーキを楽しんだ後に、添えられたクリームをいっぱい付けて楽しむのが素敵な食べ方だよね!」
ケーキセットを前に、フォークを握ったセーレが目を輝かせている。
「人間は好きになれないけれど、人間の作るお菓子はボク、大好きだよ」
セーレはケーキを口に運んだ。
「セーレ、尻尾が出てるわ」
「え!? 本当!?」
はしゃぐセーレは油断したのか、悪魔特有の鍵状の尻尾を覗かせていた。
慌てて尻尾を消す無邪気なセーレの姿に、自然とアリオの顔も綻ぶ。
悪魔とは言っても子供なのだ……。
アリオも白い陶器のティーカップに口を付けた。
強くて甘いリンゴの香りが鼻腔をくすぐる。
ふと……。
アリオは先程から黙ってセーレとのやり取りを見ている傍らのアリアを見つめた。
アリアは微笑を湛え、アリオとセーレを見守っている。
相変わらずアリアは美しい。
ただ……その美しさは朝の強い外光に消え入りそうな程、儚く見える。
アリオの不安気な視線に気付いたのか、アリアが薄い口を開いた。
「セーレを見てると……昔のアリオを思い出します」
透き通る声だった。
「え? ボクとアリオって似てるの?」
「そんな訳無いでしょ!」
「アリオも何かに夢中になると、すぐ他の事が疎かになってしまって……」
「へぇ~そうだったんだ。ボクの事、注意できないね」
セーレはどこか嬉しそうにアリオを見た。アリアもクスクスと笑いながらアリオを見つめている。
「アリアお姉さま、やめてください」
アリオは口を膨らませた。
態度とは裏腹に、アリオは遠い記憶を慈しむ気持ちになった。
──そういえば……昔は良くお姉さまにご迷惑をかけたわ……。
愛おしい記憶が去来し、アリオの胸を締め付ける。
ふいに……。
優雅に流れていた弦楽器の音が乱れた。
不穏な空気がカフェテラスに流れる。
ダヴィデが武器を携えた部下たちを引き連れ、現れたのだ。
「お姉さまの言う通り、向こうから動いてきましたわ」
目の端でダヴィデたちの姿を捉えたアリオは不敵に笑った。
× × ×
「ドン・ニコラの使いだ!!」
ダヴィデの部下の一人がアリオたちのテーブルまで来ると、声を荒げて凄んだ。
怒声に周囲の客たちの視線が集まる。
カフェテラスはホテルの五階にあり、アリオたちの席はバルコニーの為、外へと逃げられる恐れは無い。
獲物を追い詰めたという余裕と油断が、ダヴィデたちから感じられる。
「逃げた男娼と、ゼブをやり込めたヤツって……こんなガキと小娘ですか?」
男の一人が半笑いで言いながらセーレの頭に手を置いた。
その瞬間。
「気安く触らないでほしいな」
体温の感じられない、セーレの声がした。そして、言葉と共に、突然、カフェテラス全体が揺れ、軋んだ。
机が、椅子が、ティーカップがカタカタと小刻みに揺れる。
急な異変に男たちは顔を見合わせ、動揺した。
揺れが収まり、ダヴィデたちが我に返ると、そこにセーレの姿は無かった。
変わりに……。
ダヴィデたちはアリオの横に佇む銀髪の美少女……アリアを見た。
「あんな女……居たか?」
アリアを見たダヴィデたちは強烈な違和感に襲われた。アリアの姿は霞がかった様であり、存在が不確かなのだ。まるで、虚実の間を彷徨う幻影に見える。
それに……。
風も、音楽も、人声も……すべてが止んでいる。
カフェテラスからは客も、店員も吟遊詩人も、皆が忽然と消えている。そして、朝であるはずなのに、空が朱に染まっていた。
「た、『黄昏の世界』!?」
ダヴィデは驚愕の声を上げた。
『黄昏の世界』とは悪魔や魔術者が戦闘を行う際に周りに影響を与えない様、出現させる異空間の事である。その異空間はまるで血で染められた様な空をしていると言う。
──話には聞いた事があるが……本当に存在するとは……。
ダヴィデは初めて見る光景に目を見張った。
──空間を捻じ曲げる能力……こいつら、魔術者かさもなくば……悪魔。
ダヴィデはアリオを睨んだ。
「お前……悪魔か!?」
ダヴィデの言葉にアリオの口の端が歪んだ。
「悪魔? あなたたちから見れば悪魔なんかじゃないわ……死神よ」
ふわり……。
アリオは空と同じ真紅のドレスを揺らめかせて立ち上がる。
その右手には魔導武装の銃が握られている。
「お前ら、油断するな! 魔導武装だ!!」
ダヴィデはそう部下に言うと、腰に付けたトンファーを引き抜き、構えた。
ダヴィデのトンファーは魔道力学が施された特性の合成樹脂でできている。ダヴィデはこれまで、このトンファーでドン・ニコラの商売敵を闇から闇へと葬ってきた。
──相手が死神だろうが何だろうが関係ない。いつも通り仕事をこなすだけだ。
ダヴィデはそう自身に言って聞かせると、トンファーのグリップエンドのボタンを押した。
バチバチ!!
トンファーに電流が走る。
打撃と共に電撃を加え、相手を沈黙させる。それが、ダヴィデの魔導武装『暴虐トンファー』の能力だった。
──あんな旧式の銃……どんな魔導力学が施されていようと、この暴虐トンファーで弾丸を叩き落としてやる!!
しかし……。
弾丸の軌道を読むべく、アリオの向ける銃口を見たダヴィデの顔が焦燥に変わる。
美しい装飾が施された銃身の先には魔法陣が幾重にも現れていた。
円形の魔法陣の中では幾何学的な文様が輝き、回転している。
「これは!?」
思わずダヴィデは驚きを口にした。
アリオの銃口に現れた魔法陣に現れた文様。それらは見た事の無いスペルだった。
『小娘』を前にしたダヴィデの余裕は消え去った。
「かかれぇ!!」
そう叫ぶと、ダヴィデはアリオに躍り掛かった。
迫り来るダヴィデたちを前にアリオは目を閉じた。
瞼の裏に、アリアの姿が鮮烈に浮かび上がる。
狙いを定める必要なんて無い。想いが強ければ強いほど、魔銃の威力は増す。
──ああ、わたしはお姉さまの為に銃声をかき鳴らす……ただ貪欲に、牙を剥く獣たちを屠る為に。
ガチッ!!
アリオは引き金を引いた。
引き金を引く理由はただ一つ……『愛するアリアお姉さまの為』だ。
幾重にも重なった魔法陣の中心から、一際強い閃光が走る。
閃光は瞬時にダヴィデや部下たちの眉間を貫いた。
ダヴィデたちは脳幹を破壊され、痛みを感じる事すら無かった。
後頭部から血と脳髄を撒き散らし、糸の切れた人形の様に力なくその場に転がる。
瞬く間の出来事だった。
「さすがアリオ! 圧勝! 完勝!」
気付くと、カフェテラスの柵に腰かけたセーレがパチパチと手を叩いている。
真紅の空を背負い、漆黒の翼をはためかせ、悪魔は無邪気に笑っていた。
「余裕だね、アリオ。アリアの出番は無いね」
「アリアお姉さまの手を煩わせる程の敵じゃないわ……」
ダヴィデたちにとっては朧に見えたアリアも、アリオにとってははっきりと見える。
──さあ、お姉さま、わたしを誉めて。
期待に胸を膨らませ、アリアの顔を覗き込むアリオ。
しかし……。
アリアは変わらぬ微笑みを湛えたまま、黙っている。
その双眸はどこか悲しげに見えた。
「……アリアお姉さま。……また誉めてくださらないのね……」
アリオは銃をしまうと、セーレを見た。
「……傍観者たる魔界の貴公子、セーレ。敵は全て沈黙した。我を『黄昏の世界』より、『現の世界』へと戻せ」
多少の苛立ちが言葉の端々に現れている。
「我が名を呼ぶ人間よ。古き契約の名の下に願いを聞き届けよう」
そう言うと、セーレはパチンッと指を鳴らした。
黄昏の世界と呼ばれる朱に染まった空間は消え失せ、彩溢れる日常が戻って来た。
途端に……。
カフェテラスのあちらこちらから悲鳴が上がった。
眉間を打ち抜かれ、無造作に転がるダヴィデたちの死体を客や店員が目にしたのだ。
平穏なカフェテラスは突如、殺戮の現場へと変わっていた。
人々の叫喚を背に、アリオたちはカフェテラスを後にした。
セーレの言う『黒いオーラ』が滞留するネオ・カサブランを目指す為に。
× × ×
「ホント、面倒だわ!!」
アリオはセーレの手を引き、地面を蹴った。
ヴィネアの街中を、物陰から物陰へとなるべく人目を避け、駆け抜ける。
アリオにとって誤算だったのは、思ったよりもダヴィデの様な身の程知らずが多かった事だ。アリオを追うドン・ニコラの部下はダヴィデたちの他にも多数、存在した。
アリオは必要に迫られた戦いなら厭わないが、一方的な殺戮を好む訳では無い。
ダヴィデたちを倒し、警告を与えたつもりだが、そうはならなかった。
「もう……全部潰しちゃう? 人間の姿で逃げ回るのはもう疲れたし、飽きたよ」
肩で息をしながらセーレが言った。
「いっそ、この街全体を黄昏の世界にしちゃってさ……敵を皆殺しに……」
「悪魔みたいな事、言わないで。行くわよ」
「だって、ボク……悪魔だよ……」
セーレを窘めるとアリオは再び駆けた。
そして……。
ドン・ニコラの追手を躱している内に、アリオたちはいつしか海沿いの貧民街へとやってきた。
背後に迫る追手たちの気配を感じながら、アリオとセーレは人垣に紛れた。
そこは貧民街にある広場であり、音楽祭の為に特設の野外ステージが設けられている。
人垣は音楽を楽しむ貧民街の住人たちのものであり、ステージ上では長身の美人が音楽機材を駆使し、四つ打ちのビートを奏でている。
DJのレイラだった。
貧民街に住まう大人や子供たちにとって、レイラは特別な存在だった。レイラはヴィネアを代表する高級クラブ『ネオ・カサブラン』の人気DJであり、貧民街を代表する『音楽家』だった。
レイラは貧民街の英雄であり、希望だった。
レイラの一挙手一投足に人々は歓声を上げ、手を叩く。
歓声を浴びるレイラは満ち足りた顔で頷き、手を上げて応える。
「綺麗ね……」
一瞬、アリオはステージ上のレイラに見とれてしまった。
レイラもアリオの視線に気付く。
唐突に……運命が交差した。
第四話 『Music Never Leaves Me』