Ⅱ91.支配少女は足を運び、
「おまたせフィリップ、ジャック」
放課後。
調理室から出た私を廊下で待ってくれていたステイルとアーサーが迎えてくれた。
お疲れ様です、と返してくれる二人に笑みを向け、扉を閉める。……居残りを終えた教室の扉を。
三限目の選択授業で色々やらかしてしまった私は、調理の先生に居残りを命じられてしまった。二人には手伝いを頼まれたと大嘘をついてしまったけれども、実際は私の所為で先生の貴重な時間が奪われてサービス残業という大事故だ。
居残りを受ける生徒自体はそこまで物凄く珍しいというわけではないし、複数人の居残り生徒がいればまとめて数人をみることもある。けれど今回調理の居残りに白羽の矢が串刺さったのは私だけだった。
それどころか先生に聞くと、今まで受け持った全クラスの中でもっと料理の授業を受けたいとか体調を崩したから後で補習して欲しいと希望で残ることはあっても、まさかの先生から直接指名しての居残り授業は私が初めてらしい。もうそれを聞くと余計に申し訳ないし恥ずかしかった。
居残り授業自体は、本当にシンプルで親切なものだった。
てっきり最初から野菜スープを作り直してみましょうとか、まともな料理ができるまで帰れませんゲームとかだったらどうしようかと思ったけれど、そんなこともない。元々仕事で放課後もすぐ帰らないといけない生徒もできるだけ参加できるよう、最低限の補習内容と規定されていたこともあって本当にそこまで時間がかかるものではなかった。先生と一緒にやったのは肉のブツ切りと皿洗いだけ。……両方とも、私が授業中にやらかしたものだった。
先生にご教授頂いてもやっぱりお肉はスライスの残骸になってしまったし、皿洗いでは二枚も食器を割ってしまった。
それでも先生はすごく親切にお肉のスライスはこうやって料理に使うと美味しいわよとか、いっそ切らなくてもフォークでめった刺しにしてから味を沁みさせればとか、包丁を使うことを出来る限り避けても料理を作れるように指導を変えてくれた。皿洗いに至っては最初に二枚割ったところで、その後は全部皿は持たないで樽の水底で擦って洗いましょうに切り替えられた。たぶんこの方法って小学生以下の年代への洗い方レクチャーだった気がするけれど先生の優しさは伝わった。
ティアラさえ、ティアラさえいればちゃんとお肉も切れたしお皿だって割らなかった筈なのに!と、短い居残り時間中に三十回は頭の中で叫んだ。
本当に先生に無駄に気を遣わせてしまって時間まで奪ってしまって申し訳ない。しかも、補習が終わって帰って良いと言われた時なんて両手をぎゅっと握られて「料理の授業を取っても、絶対に見捨てませんからね……⁈」と熱の籠った眼差しで言われてしまった。本当に優しすぎる。
多分心の中を代弁すると「取らない方が!取らない方が良いとは思うし自分の手に負えるかもわからないけれど貴方が料理の腕を改善したいと思うならば私は最善を尽くすから!もし、もし料理の授業を選択したいと貴方が思ったなら遠慮しなくてもいいからね⁈」といった感じなのだろうとその眼差しを見て思った。
改めて料理の授業が選択授業で良かったと思う。この一か月間は選択授業は全て網羅するようにはなっているけれど、裏を返せばもう私にとって料理の授業はこれっきりだ。もしこれが普通の授業科目とかだったら登校拒否か完全にエスケープし続けていた。それくらいに結構傷は深い。
「どんなお手伝いをしていたのですか?」
「良い匂いしてきましたけど、何か作ったンすか?」
恩返しの鶴のように「調理室の中は絶対覗かないでね‼︎」とお願いした甲斐もあり、二人には気づかれていない。
それでも主に先生が作って見せてくれた鶏肉の重ね煮込みスープと、ブロック煮込みの香りは扉の隙間から香っていたらしい。
ええ、まぁ……と歯切れ悪くながら、先生が作ってくれた料理の試食もさせてもらったと嘘を重ねれば「毒見無しになってしまいましたね」と肩を竦められてしまった。学内だし大丈夫でしょうけれど、とステイルも多めにみてくれたのはせめてもの救いだ。
実際、先生がリフォームしてくれた料理はちゃんと美味しかった。私が作ったら確実に欠陥住宅レベルの大変な料理になっていたところをお陰で食材が無駄にならずに済んだ。
「……ティアラとお料理したいわ」
前にパウエルと食事した時も同じようなことを言ったけれど。
是非!と声を合わせてくれた優しい二人に反し、私は気付けば肩が丸くなった。ティアラと一緒に解呪された状態で料理を作らない限り、このショックから立ち直れそうにない。
今まで皿洗いは城の使用人や侍女に任せていたけれど、今度は私もやろうかなと思う。ティアラの恩恵を受けて私もちゃんと皿洗いくらいできるのだと証明したい。確かゲームでレオンと一緒に城下で生活していた時に料理だけじゃなくて一緒に皿洗いもしていた筈だしきっといけるだろう。
なにを作ろうかしら……と完全に頭がお料理とリベンジモードになりかけたところで、アーサーに「あれ?帰るンすか」と聞かれてハッとなる。そうだまだ大事な用事が残っていたじゃない‼
カンッ、と意識的に足を止め、私は進もうとしていた道に背中を向ける。そうだったわと正直に声に出しながら二人に向き直った。
「医務室に向かいましょう。もしかしたら何かわかったかもしれないし……」
昼休みに私を襲った男子生徒二人組。
アラン隊長に瞬殺された彼らは、そのままカラム隊長に医務室へ運ばれた筈だ。
アラン隊長の話だと今夜か明日まで目を覚まさないということだし、そうなるともう連行されている可能性もある。一応その場合もカラム隊長から詳細を後で聞けるとは思うけれど、一応できることなら自分の目でも確認しておきたい。
早歩きで私達は高等部の一階にある医務室へ向かう。基本的に中高は設備が共通だけれど、高等部の一階が授業専用の教室や医務室が充実し、中等部の一階には学食や職員室などが充実している。高等部の彼らも恐らく中等部の一階に運ばれた筈だ。
昇降口に背中をむけた私達はそのまま職員室の隣にある医務室へ向かう。もし目を覚まして連行された後だったらとも考えたけれど、医務室に辿り着く前にそれが杞憂だとわかった。
医務室の前に人がごった返していたからだ。
何人もの教職員と校舎内には常駐していない筈の衛兵。そしてカラム隊長の姿もある。
生徒があらかた帰った後の時間だから、余計に遠慮なく大人達がごった返している。何やら衛兵と深刻な様子でやり取りしているし、これは間違いなく引き渡しの最中だろうと考える。
並んでいた担任のロバート先生がこちらを向くと、手で「来るんじゃない」と言わんばかりに手を払ってきた。男子生徒に受けたことが受けたことだから、プライバシーの意味もあって私が被害にあった当事者なのはロバート先生もまだ知らない。
すると、気付いたカラム隊長がそっとロバート先生に耳打ちしてくれた。多分、私が関係者だと説明してくれたのだろう。カラム隊長に耳を顔ごと傾けたロバート先生の目がみるみるうちに丸くなる。
直後には払っていた手を逆に手繰り寄せるかのように手前に振ってくれた。さっきとは逆で「来い‼︎」と呼んでいる。
それを合図に、私達は駆け足で一気に人混みへと飛び込んだ。




