Ⅱ68.支配少女は続行する。
「それにもともと、お前らの姉ちゃんを心配してたのはフィリップ達だぞ」
えっ。と。
パウエルからの言葉に、またファーナム兄弟の声が重なった。
「フィリップ達が……?」
「ということはジャンヌとジャックも?」
フィリップの言葉に訝しむディオスにクロイも続く。
むぎゅううう、とこれ以上ないくらいに眉の間を狭めた彼らは、正面に座るステイルをはじめとして私とアーサーにも目を向けた。そういえば二人は私達がパウエルにお姉様を任せたことは知らない。
もとはといえば、彼らのお姉様の話をパウエルにしたのも私達だ。そこから彼女を気に掛けるようにすると言ってくれたのはパウエル本人だけれど。
二人の視線に腕を組んだステイルが、一度だけ憮然とした態度で頷いだ。「そうだ」と短く返し、私に確認を取るように一度視線を合わした後に再び口を開いた。
「初日に階段の件があったからな。その話をしたらパウエルが自分から頼まれてくれた」
そこまで言ってから、まだ書き途中だぞと改めて二人にペンを促す。
ステイルに言われ、慌てて止まっていた手を動かし出す二人だけれど、紙面へ俯けた顔が横から覗くとかなり混乱した様子だった。疑問符がいくつも頭の上に見えそうだ。
まさかパウエルまで私達が関係していたのだと知ったらそりゃあ戸惑うだろう。まるで長期間のどっきり企画をやっとネタ晴らしされたような顔だ。たった一週間足らずの出来事だけど、まだ頭がついていっていない。唇を硬く結ぶクロイに反し、ディオスは顔は未だにじわじわ赤くなっている。お姉様を善意で気にかけてくれたパウエルに悪い態度をとってしまったことを今から後悔しているのかもしれない。……すると。
「…………っ」
じぃぃ……と、書き終わったディオスが顔を紙面に向けたまま目だけがちらちらとアーサーを盗み見るように向けられた。
もしかするとパウエルに続いて、アーサーにも何か言いたいことがあるのだろうか。その間にクロイの方が「終わった」とステイルに声を掛けた。それを受けて、ステイルがクロイの方からスペルチェックをする中、アーサーがディオスの視線に気づいたように目を向けた。でもその途端、ディオスはすぐに逸らしてしまう。
そのままクロイに続いて「書けた」と、ステイルにスペルチェックを求めると、それからアーサーへの視線を誤魔化すように今度は私に目を向けた。凝視、といっていいほど力の入った眼差しで睨まれ、首をひねるけれど私相手になると今度は目を逸らさない。むしろ押し付けるような視線が、彼が何か無言で訴えているようにも見えた。どうしたの、と尋ねてみたけれど「別に」と一言きって、今度は逸らされた。ステイルがディオスに続いてクロイの答案もチェックする。今のところ、綺麗に二人とも文字が書けている。……って‼︎私もお姉様との勉強しないと‼︎‼︎
パウエルの恋バナからうっかり頭に抜けていた項目を慌てて引き上げる。
振り返れば、お姉様もちょうどペンを動かしはじめたところだった。授業内で覚えているだけの内容を細かく書き記してくれている。うん。やっぱりお姉様も覚えが良い。
「先ずは、初日の授業から内容を改めていきましょう。もし、先に授業でわからないところとかあったら説明をしますが……」
「ううん、大丈夫よ。だけど、授業の記憶が薄いから最初から教えてもらえるだけでもすごく助かるわ」
心強い。
なんだか教えるこっちの方が励まされてしまう。授業内容もまんべんなくは覚えているし、お姉様なら難なく試験で良い点も取れそうだ。
ひと言返した私は、早速初日の授業内容から総復習を進めることにする。お姉様が書き出してくれた項目を指で辿り、共通授業の一つ目を解説する。
「まず、……この本ですが。本の題目は〝地方の春に〟で間違いありませんか?」
まずは国語の授業。話しながらパウエルにも視線を投げれば、お姉様の返事と殆ど同時にパウエルからも頷きが返された。この本なら私も勉強したことがある。
やっぱり学校も家庭教師も基礎は定番があるんだなと思う。まぁ私やステイルは教師に基礎と言わずかなりの書物量を叩き込まれているけれど。
そう思いながら、お姉様に授業で引用した文章がどこかを尋ねる。流石に文面は思い出せないようだけれど、どんなエピソードの話だったかを思い出してくれれば大体は察せた。「わかりました」とそこで話を切り、私から復習する。
「そこの内容だと、恐らくは地方風景の比喩表現と最終的な筆者の教訓だと思いますが……。私から改めてその内容を解説するので、気になるところがあったら言ってください」
え?と、私の言葉にお姉様が目を丸くする。
本がこの場にないのに解説といわれたら流石に戸惑うのも無理はない。私から「読んだことあるので」と断ってから、なるべく詳細に本の内容を説明していく。
やっと授業らしくなったと安心しながら、口頭で本の内容を解説していくと、気のせいかお姉様だけでなくパウエルやファーナム兄弟までこっちに目を向けだした。うるさかっただろうか、と声を抑えたけれどやっぱり皆目が丸い。中盤まで説明をしたところで視線を感じて目だけ向ければ、アーサーまで口を開けてこっちを見ていた。ステイルだけが、双子に口頭出題とスペルチェックを続けながらも口端をわずかに緩めて笑っている。……え、私また何かやった?
「ジャンヌちゃん、……その本、いつ読んだの?」
ひと通り授業内容まで解説を終えた後、口を閉じた私をお姉様の丸い目が映す。
どういう意味かわからず「数年前に」と言葉を返せば、お姉様からもう返事がなかった。もしかして内容が違ったかしらと不安になり、ステイルに視線を向けると「大丈夫です、合っていると思いますよ」と笑い交じりに返された。その言葉にほっと息を吐くと、ステイルはファーナム兄弟に今度は少し長めの文章をお題に出してからお姉様へにっこりと笑いかけた。
「驚くのも無理はないと思います。ジャンヌは一度覚えたことは基本的に忘れないので。これくらいはいつものことです」
そっちか‼
ステイルの言葉に、遅れてドン引かれた理由を理解する。なんかセドリックと会ってからは特に自分が普通な気がして忘れていたけれど、私も記憶力自体かなり良い方だった。といっても彼みたいに一字一句違わず網羅とはいかないし、あくまで内容を覚えているだけだけれど。それに今や私よりもステイルの方が絶対頭は良い。
感心してくれている様子のパウエル達の視線を笑顔で流し、気を取り直すようにお姉様に早速口頭で出題する。
お姉様は字は書けるし、ここはそのまま口頭で答えてもらう。いくつか問いを重ねると読解は少し苦手そうだけど、これくらいなら文章をよく読んで見直せば平気だろう。
それぞれ昼食を片手間に食べながらの授業は、そのまま順調に続いた。……時々パウエルから「へぇ、そういう意味だったんだ」「あ、それ教師も言ってた」「すげぇなジャンヌ」と合いの手をされる度に何かもうドキドキして心臓に悪かったけれど。
昼休みが終わりに近付くにつれ、予鈴前から高等部の生徒が何人か教室に戻ってきた。皆、当然のように教室に居座ってる中等部生徒に一瞬目を丸くするか、こそこそ話をしていたけれどそれ以外は平気そうだった。私も私でお姉様との授業に夢中だったし、直接絡まれるよりはそっとしておいてくれた方がずっと良
「お、あれか⁇二年の美女って。どう見ても高等部には見えねぇぜ」
……嫌な予感。
ちらっ、と不穏な台詞に振り向けば、ちょうど教室の扉から男子生徒がこちらを覗き込んでいるところだった。
恐らくは高等部の三年......だろうか。以前、パウエルが話していたこととヴァルからの話を思い出す。
二人組の男子生徒、といってもこの世界ではもう成人男性であろう彼らと視線はすぐにぶつかった。無言で見つめ返せば、彼らは視線をこちらに合わせたまま扉に手をかけて互いに言葉を交わし出す。
「馬鹿、そっちじゃねぇだろ。その向かいの白いのだ白いの。ほら幸薄そうな方」
白髪……視線の先から考えてもどうやら彼らのお目当てはファーナムお姉様らしい。髪色を言われるだけならまだしも、幸薄そうとかもう失礼極まりない。
一度彼女に視線を私も向ければ、お姉様は目をぱちくりさせて青年達を見ていた。さらに視線をずらしてディオス達をみれば、彼らも思いきり振り返って威嚇するように顔をしかめていた。今度こそ彼らが危惧していたような輩が現れたらしい。
二人が心配するように、ファーナムお姉様は本当に綺麗な人だ。キミヒカの第二作目に登場した彼女は、攻略対象者の姉ということもあって綺麗な女性として描かれている。第一作目でモブキャラだったヴァルと同じように神絵師によって描かれた彼女はそれはもう儚くも綺麗な美女だ。そしてとうとう、その噂は高等部の上級生にまで伝わっていたらしい。
「!おぉ、確かに美人だな」
「なぁなぁ、突然だけど昼休みに窓際で黄昏れている女子って君のこと?」
初対面の挨拶もなくズカズカと教室に入ってくる。
成人になってこれはない。ジルベール宰相に今からでも教養マナーの授業を選択ではなく必修項目に変更してもらうべきかしらと思う。
彼らが近付いてくるのに合わせるように、パウエルが席から立ち上がる。以前、三年生が恋人探しの為に女生徒に絡んでいると教えてくれたのも彼だった。
彼らに視線を向けたまま、私達を庇うように前に立ってくれる。勉強を中断して彼らを睨むファーナム兄弟に、ステイルも今はなにも言わない。むしろ黒い覇気をじわりと上げて彼らを共に睨んでいる。たぶんステイルも噂の問題生徒だと気がついたのだろう。
パウエルが前に出たことに、一度彼らの足が止まる。身体の大きなパウエルに、同級生かと疑うように目を皿にして彼を見た。それでも直後には「おぉ?」とからかうようにパウエルへおどけてみせた。そのまま彼の肩越しに顔を傾けて私達を見る。
「このでかいの、アンタの男?」
「それともそっちの赤いのか?この際どっちでも良いからさー、ちょっと付き合ってくれよ」
ファーナムお姉様から飛び火するように私にも視線が向けられる。もう女だったら誰でもいいのだろうか。
パウエルの肩越しに話しかけてくる分、まだ話は通じるかしらと思いながらも私は彼らを見やる。このクラスにも赤い髪は何人かいるけれど、確実に彼らの視線は私に向けられている。「俺はそっちでも良い」と片方の青年が言った途端、またどこからともなく殺気が溢れてきたのを肌が感じた。
またステイルかなと思ったけれど、これは違う。出所のわからないそれに、このクラスの人かしらと思いながらも私は肩幅を狭くする。彼らより出所のわからない殺気の持ち主の方が寧ろ怖い。溜息を吐いた後、仕方なく私は彼らへと言葉を返す。
「ごめんなさい。私達いま、特待生試験の為に自習中なので」
全員を代表して断りを入れる。
大体こういう人らは断ると逆上か悪態をついてくることはわかっているけれど仕方ない。今は彼らよりもファーナム姉弟の方が先決だ。
くるりと振り返った状態から再び背中を向けて元の正面を向き、ファーナムお姉様に「続けましょう」と笑い掛ける。ステイルにも視線で合図をすれば、一度頷いた後に黒い覇気ごと収めてくれた。立ち上がった席に再び着き、クロイ達に「続けるぞ」と声を掛けた。二人が険しい表情でステイルに振り返る中、そのまま私達の前に立ってくれたパウエルにも声を掛ける。
「パウエル、放っておいて良い。それよりジャンヌ達の勉強を手伝ってくれ」
え、いや、でもと。ステイルの言葉に惑うパウエルの言葉が横から聞こえる。
きっと私達のことを心配してくれているのだろう。実際、私達の総無視対応に青年達から不満や、せせら嗤う声が聞こえている。確かにこの場で彼が引いたからといって、青年達が引いてくれるとは限らない。というか絶対引かないと思う。
パウエルも学校で揉め事や特殊能力を使うような状況は避けたい筈なのに。それでも私やファーナムお姉様を庇ってくれようとしている。やっぱりそういうところはゲームと同じ優しいパウエルだな、と胸が暖かくなる。
「良いから」とステイルが再び言葉を重ねた。
すると、今度はドンと誰かを突き飛ばす音や更に近付いてくる足音が聞こえてきた。その間にも私はファーナムお姉様に授業の解説を進めていく。向き合っている所為で私の背後が視界に入るお姉様が、どうしても気になるように目をちらちらと青年達の方向へと向けている。気にしないで、と続きを私から促す前に「なぁ」と軽い声が背後からかけられた。そして
「すんません。……ジャンヌ達の勉強の邪魔しねぇで貰えますか?」
話なら俺が聞きます、と。
その声に、私は安心して背中を向け続けた。
Ⅱ50
 





 
 
