Ⅱ66.支配少女は改める。
「じゃあ今教えたところ、ちゃんと昼休みまでに復習しといてね!」
授業中は先生の話をよく聞くこと!と続け、私達はファーナム兄弟の教室を発った。
一限目の予鈴が鳴ったことでひとまず自分達の教室へと戻る。取り敢えずは彼らの学力確認をできただけ良かっただろうか。
「……少なくとも、飲み込みは早そうで安心しました」
席に着いた時、息を吐いたステイルが眼鏡の黒縁を押さえつけながら呟いた。
ロバート先生が教材を配る中、私達以外の生徒も次々と席に飛び込んでいる。予鈴が鳴ってから早速授業準備を始めていたらしい。前から回ってきた紙の束を手に、私とアーサーはステイルの言葉に耳を傾ける。
「流石に文字の読み書きができないと話になりませんから。お姉様の方は読み書きができましたよね」
そうね、と短く言葉を返す。
二人とそして恐らくお姉様も頭は良い方だ。昨日、お姉様に見せて貰った試験の答案用紙も高等部の内容はいまいちだったけれど、中等部真ん中くらいまでの内容はわりと書けていた。……弟二人は真っさらだったらしいけれど。でも、ディオスとクロイはゲームではステイルポジションの知性派だったし、まだ五日分の授業内容ならきっと飲み込める。……文字さえ、書ければ。
字が書けないこと自体は悪じゃない。このクラスにも同条件の子は結構いるだろう。ただ、試験を受けるならばそれは絶対条件だ。
殆ど白紙で出した彼らだけど、問題文を口答で答えさせてみたら初等部初期くらいの一般常識は理解していた。良くも悪くもクロイの〝同調〟で授業の記憶だけでなく、ある程度授業での知識も補完し合ったらしい。もうお互いで特殊能力は使わせられないけれど、お陰で授業を総浚いする必要はなくなった。昨日もクロイが早退したのは三限と四限だけ。二人のクラスはちょうどそこが選択授業だったらしく、結果として二人とも試験範囲である必須科目に空きはない。
あとは、授業内容をどれだけ完璧に理解して覚えさせるか。試験範囲が知らされているとはいえ、どんな形式かわからない。また実力試験のように初等部から高等部の内容までひっくるめられたら、知識のばらつきによっては授業外の項目で他の生徒に加点されちゃうかもしれない。とにかく、付け焼き刃でも良いからなるべく色々教えないと。
「……なんか、妙に今日は静かっすね」
ぼそっ、と潜ませた声で今度はアーサーが唱えた。
考え事ばかりしていた私もそこでやっと見回すように顔を上げる。確かに。いつもより静けきっているというか、……集中力が増しているような。
私のクラスは元々皆真面目に授業聞く子が多いけれど、それでも授業中に質問がぽんっと飛び込んだり、関係ないページをぱらぱらめくったり、教師の話について近くの子と話すとかくらいはあった。なのに、今は結構な人数が教師の話を食い入るように聞いている。ノートを持っていない子も多いから、耳と目で覚えるぞという意欲が剥き出しだ。確実に特待生制度効果だろう。
既に文字読めない子とか諦めている子もいるだろうけれど、それでも大半の空気に押されるように集中力が高まっている。
「この子達全員に勝たないとね……」
それくらいじゃないと、特待生にはなれない。
本当なら彼らにただお金を流す方法がないわけじゃない。一応王族の私やセドリックなら……言い方は悪いけれどポケットマネーで養うのも可能だろう。だけどそれじゃあ根本的な解決にはならない。
ただ私は、前世のゲームでファーナム姉弟のことを知っただけ。このクラスにだって、表立っていないだけで同じように勉学に必死でお金に困ってる子もいるかもしれないし、ファーナム姉弟にだけ過度に資金提供なんて許されない。それに
幸せは、自分の手で持続できなければ意味がない。
「フィリップもごめんなさい。貴方まで先生役を手伝って貰うことになってしまって」
正直私一人ではお姉様も入れて三人も勉強を見れるか心配だったから助かった。ディオスとクロイは学力も同じぐらいだけど、お姉様は試験範囲からして二人と全く違う。ステイルがいてくれればそれぞれ教えてあげることができるし、効率も全然違う。
いえいえ、と言ってくれるステイルに続くようにアーサーが私に向けてペコリと頭を下げた。どうしたのかと思ったら、すごくバツの悪そうな顔で私とステイルを順に見てきた。
「すんません、俺も教えられれば良かったンすけど……」
相変わらず律儀なアーサーに思わず笑ってしまう。
そんな気にすることなんて全くないのに。初日から未だに学力のことを気にしているらしい。アーサーのしおらしい反応に、私の横でステイルが「フっ……‼︎」と堪えるように笑った。振り返れば口を手で覆っていたけど、目がもう完全にバレバレだった。
アーサーは騎士としてすごく立派な人なんだし、読み書きだってできるのだから全く引け目に思うことなんてないのに。私達より年上だからと気にしてくれているけれど、最近は作戦指揮とかもステイルやカラム隊長から教えて貰ったお陰で伸びているとも聞いている。とっさの判断は昔から速いし、絶対アーサーだって頭は良い。
昨日、ディオスもディオスで雇い主さんからのアーサーとの扱いの差を気にしてたけれど……隣の芝生は青いというやつなのだろうか。
直後にはステイルが「何ならお前にも教えてやろうか?」とからかっていた。だけどアーサーもアーサーで本気で教えてもらうか悩むように口を一文字で結んでしまう。言い返さないアーサーに、ステイルは口を覆うのをやめると私の背中越しに彼へ手を伸ばした。教師に見えないように注意しながらバシッとその背を叩く。「冗談だ」とまだ笑いを隠しきれない顔でアーサーを見やる。
「お前の役目はそっちじゃないだろう。俺の役目を奪うな」
フフッ……とまだ笑いを堪えきれない顔を向けるステイルの言葉に、アーサーが目を見開いた。
役目、というのは本職の騎士のことだろうかと思いながら、私もアーサーに笑みを向けて頷いた。私とステイルが勉学ができるのは家柄として当然求められることだ。そしてアーサーも騎士としての本分をしっかり務めている。
まるで動物みたいに蒼い目を丸くしたアーサーは、暫く止まった後に一度だけ私達から目を逸らした。自分の頭を一度だけ掻いた後、結んだ唇を僅かに緩めて頷いてくれた。
……その直後、教師から「聞いてますか?」とお咎めが入った。声は潜めても、顔のニヤニヤで気付かれてしまったらしい。そのまま三人揃って頷けば、ベタにも今の問題の答えはと私が当てられてしまう。口頭で答えて事なきを得たけれど、その途端に教師のロバート先生が思い出したように口を開いた。
「!あぁ。……間違ったな」
苦笑いを浮かべて私を見返すロバート先生が、言わんとしてることを含めるように肩を竦める。
すると勘の良い生徒が何人か私の方に振り返った。……どうしよう、視線が痛い。そういえば私の試験結果はクラスの子達みんなが周知なのだと思い出す。
ロバート先生も私じゃなくてステイルかアーサーを指すべきだったという意味で呟いたのだろう。なんだか凄く勉強できるのを鼻にかけて不真面目に受けてる嫌な生徒になった気がする!ただでさえ皆が勉強に集中してるのに‼︎‼︎
しかもロバート先生からすれば私は婚活の為にクラスに留まっている生徒だから余計に心象が悪い。今はまだ「仕方ない奴だなぁ」くらいに見られているからマシだけど、これを繰り返したら絶対いつかは怒られるパターンだ。
席に着いてからは二人に目も向けずに配られた教材に齧り付く。もう授業中は話すの絶対やめようと心に決めた。創設者の私が授業の風紀を乱してどうする‼︎‼︎
自分で自分を叱咤するように先生の話と授業に今度こそ集中すれば、視界の隅に入った両脇の二人も無言で教材に視線を落とした。
取り敢えず考えるべきはディオスとクロイとお姉様。
試験の時までは攻略対象者探しも打ち止め!もう一人は確認できたし、残り二人だって中等部を探せばきっといる‼︎今は休み時間もできる限り彼らに集中しよう。
正直、人様に勉強教えるとか優秀な弟妹の二人にしかしたことないし、上手く教えられるかわからない。でも、ステイルやティアラ同様にファーナム姉弟も元々頭も飲み込みも良いしそこに賭けよう。
授業を聞きながら、私は頭の中で今からファーナム姉弟への勉強指導を考える。取り敢えず文字の読み書きを完璧にして、授業内容を復習してそこから理解を深めさせて、できれば加点対策として実力試験範囲も総浚いしてあげたい。その為にも今日は昼休みも含めた休み時間全部も勉強に回して、そして明日からの二連休はー
怒涛の勉強会を。
もう、こっちの予定は手を打った。ディオスとクロイも仕事を辞めて時間はある。絶対にこの三日を無駄にはさせない。
来週頭の昼休み……試験直前まで、一分一秒を可能な限り彼らに注ごう。
今回の特待生試験、第一回目は一番のチャンスだ。
一番最初の試みということで試験範囲がかなり狭いし、少ない。次の半年後になったら、試験範囲はこの比じゃなくなる。だからこそ今から特待生になって、次の半年後の特待生試験に受かるように万全を期しておかないといけない。
今の彼らの生活じゃ、学校に通いながら次の特待生は難しい。絶対に誰か一人は犠牲にならないと叶わない。
……犠牲など許すものか。
その為にも彼らに学を。二人だって私の言葉通りに仕事を辞めてくれたのだから、私だって相応のものを返すべきだ。
悪巧みに優れたラスボスプライドの頭脳全総力を上げて。
「…………やらなきゃ」
口の中だけで呟いた声は、空気だけで音には出なかった。
決意を胸に私は再び頭を回す。授業と、そしてこれからのファーナム姉弟をどうやってサポートするかを考える。
……まさか既に新たな火種が芽吹いていたことも知らず。




