Ⅱ53.支配少女は身構える。
「すみません、先生。中庭に忘れ物をしてしまったので取りに行っても宜しいですか?」
三限が始まってすぐに、それはわかった。
男女共有の選択授業が始まってから二十分。また今日も専門講師による授業を聞いていた私達のクラスに、担任でもあるロバート先生が現れた。
ノックの後に扉が開かれたと思えば「失礼します!」と少し慌てた様子で教室内を見回した。誰かを探すように視線を左右に何度も泳がせると、講師とコソコソ秘密話をしてからすぐ去った。
一体どうしたのだろうと思うと、直後には廊下に出た先生が廊下にいたアラン隊長にも何か話していた。
扉の窓から廊下へ目を向けると、一瞬だけアラン隊長が窓の前を横切った。顔が見えた一瞬に、キラッとアラン隊長の目が私達に向けられていた。
その瞬間にアーサーの背筋がぐっと伸びたから、きっとアーサーと目を合わせたのだろう。何か、まさか事件でもと不安になれば、今度は反対隣に座るステイルの肩がピクッと上下する。
「……カラム隊長から合図です」
声を潜めて呟いたステイルは、右耳に軽く髪をかきあげるような動作をして視線を窓の方向に向けた。
今はちょうどカラム隊長は騎士の講師で校庭にいる筈だ。恐らくステイルを指笛で呼んだのだろうけれど、これはますます緊急事態な気がする。
アーサーからも「アラン隊長の方も同じだと思います」と言うから、余計不安だ。つまりはロバート先生が教室に飛び込んで来たのと同じ理由ということだ。
「取り敢えず俺が見てきます。ジャンヌはこのままジャックから離れないで下さいね」
ステイルが配られた資料本を閉じ、私達に声を潜める。
わかったわと返しながら頷けば、ステイルはアーサーとも目を合わせた。お互いに頷き合うと、そのまま手を上げてにこやかな笑顔を講師に向けた。
忘れ物を取りに、という言い訳に講師は「構いませんが……」と、それ以上を濁してから躊躇うように廊下を見た。
多分、さっきのロバート先生からの話で生徒を出さないようにとか言われているのだろう。教師の言い淀みも気にせず、ステイルはゆっくりと席から立つと扉の方に歩んでいく。扉を開けた途端、まだアラン隊長が立っていたことに気付いた講師はまたコソコソとアラン隊長に何かを言うと、頭を下げてステイルを預かって貰っていた。
十四歳の男子に対して過保護すぎるようにも見えるけれど、今はそれだけ不測の事態なのだろう。
計算通り、アラン隊長と合流したステイルが並んで去って行くのを扉の窓から小さく確認した私達はほっと息を吐く。それぞれ資料の本を眺めるふりをしながら、ステイルの反応を待った。
何かが起こった時に各配置に着いた近衛騎士とステイル、そして私がどう行動するかは予め決めている。エリック副隊長やカラム隊長、そしてハリソン副隊長ともステイルは合図の打ち合わせもしてくれている。もし学校に何か事件性や身の安全に関わる事態が起こったら、王族の私とステイルをすぐに避難誘導させる為に。……実際そんな避難しなきゃいけない事態になったら、私よりも一人でも多くの生徒を逃がしたいのだけれど。
万が一奇襲や強盗が来ても、私の護衛で潜伏してくれている彼らが本気を出せば大概は鎮圧できるだろうし、私も戦える。……そんなことをしたら確実にステイル達に怒られるだろうけれど。
「何なンすかね……騎士にまで、ってことは結構な事とか……」
アーサーが前方の生徒の背中に隠れるように姿勢を低くしながら、私に投げかける。
学校間だけのことなら、講師として呼ばれているカラム隊長にも伝わるのはわかるけれど、廊下に偶然立っていたアラン隊長にまで伝えられるということは事件性も高い恐れがある。……まさかヴァルがまた何かやらかしたんじゃないかとも失礼ながら思ってしまったけれど、それなら中等部の棟ではなくて騒ぎになるのは高等部だ。
ならばやっぱり中等部で何かあったと考える方が正しいのだろうけれど。
アーサーに言葉を返しながらそう考えた時、突然目の前に一枚のカードが表出した。
ピラッと薄いカードは一瞬だけ斜めに舞った後は綺麗に私の机に着地した。ステイルだ。
カードを摘み、私の方へ前のめりになるアーサーへ見せるようにして中身を読む。ペンで走り書きしたらしい短い文章に私とアーサーは同時に目を見開き、顔を見合わせた。
〝中等部にてクロイ・ファーナム行方不明。これからカラム隊長に話を聞いてから戻ります〟
さっきの昼休み直後、昇降口で私達の横を走り去って行った細い背中を思い出す。
あれは授業に出たのではなく、校門に向かったんだと今理解した。セドリックと居た時の様子から考えても、恐らくは自分の意思での無断早退だろう。
彼はずっと他の生徒とは関わらないようにしていたし、私達以外の生徒は走り去る彼を気にとめていなかったのか、もしくは校門付近で昼食を食べていた私達は昇降口へ来たのも後の方だったから偶然擦れ違ったけれど、他の生徒はそれぞれ教室に向かった後だからか。
どちらにしても彼が自分から校門へ飛び出して行ったのを知っているのは私達だけなのかもしれない。なるほど、教師が探し回るのも当然だ。
彼はただの生徒じゃない、〝王族の友人〟なのだから。
単純に治安が凄く良い訳でもない下級層付近ということもあるだろうけれど、一般生徒の無断下校なら未だしもそんな子が突然学校から消えたら誘拐を最初に疑う。校内で誘拐なんて大事件だ。そりゃあステイルの外出にも騎士をつけようと思う。
校門に控えている守衛騎士に話を聞けば、彼が連れ去られたわけではなく単身で校門をくぐったことは証言もとれるだろう。学校関係者である生徒は校内の行き来は自由なのだから、騎士が通してもおかしくない。
……そして、クロイ・ファーナムが自身の意思で教師にも何も断りもいれずに消えたと判明したら、教師間ではある意味今以上の騒ぎになるだろう。何せ、彼がここ最近昼休みに関わっていたのが王弟だというのは周知の事実なのだから。
下手すれば〝王族が庶民虐め〟なんて汚名をセドリックが着せられかねないと、頭が重くなる。セドリックにこのことを依頼してから、少なからずそういう誤解を受ける可能性も彼には伝えていたけれど……虐めで途中早退に追いやったとか誤解が広がったら大問題だ。せっかく好印象で我が国に移住してくれた国外王族のセドリックには致命打になりかねない。
逃げた理由は……想像できなくもない。でも取り敢えず誤解が生まれる前に彼を一度学校に連れ戻さないと。最悪、今日帰ってこなくても明日いつもの調子で登校してくれれば「無断で早退してごめんなさい」で話は終わるけれど、昼休みのあの表情から見ても彼の胸の内が深刻な可能性は大きい。
何より、彼がそれだけの行動を起こすということはそれだけ危機迫っているのかもしれない。セドリックに追い込まれて〝くれた〟とすれば、つまりはそれ相応にまだ救える余地があるということにはなる。お姉様はまだ学校に残っているのなら、彼が向かっているのは十中八九……
「大丈夫です。学校が終わったらすぐ探しにいきましょう」
いつの間にか頭を抱えていた私に、そっとアーサーが手を重ねてくれる。
俺一人でも探しに行きます、と続けて力強い眼差しを向けてくれるアーサーにそれだけでほっとする。「フィリップ達が手掛かりも探ってくれてますよ」と続けられれば頭を抱えていた腕の力も肩ごと抜けた。
今、この場で私やアーサーまで授業を抜けるわけにはいかない。先ずはステイルが戻ってくるのを待ってから計画を立てる。今までだってそうしてきたのだから。
「……そうね」
ありがとう、と重ねてくれたアーサーの手を軽く指で掴み返す。……途端にアーサーがビクッと私から喉ごと身体を反らした。
掴み返した手だけがまるで逃げ遅れたように私に掴まれたままで、もしかしてアーサーも彼らのことを心配して緊張気味だったのに励ましてくれたのかなと思う。触れただけで私の焦燥を貰ってくれたかのように顔が紅潮するアーサーに、ちょっと悪い気がしてしまう。でもやっぱりアーサーが居てくれると心強い。
それから、ステイルが何事もなかったように笑顔でアラン隊長の護衛の元教室に戻ってきてくれた。
授業中にこっそり筆談でステイルから現場の状況を細かく教えて貰い、放課後になったらすぐに探しに行こうと打ち合わせをした私達は
「ジャンヌッ‼︎‼︎」
まさか、その前に彼が自ら再来するとは思いもしなかった。
白髪を振り乱し、若葉色の瞳を真っ赤に燃やして。




