そしてやり返される。
「中傷?悪口でも言ったのか?」
一応最年長ということになっているパウエルが自然と間に立って仲介してくれる。
実際は一番歳下の彼に仲介されていると思うとなんとも情けない。それでもプライドは俯いた顔のまま「ええ……」と大人しくパウエルの言葉に頷いていた。
「悪口、というか……二人を格好良いとは思わない、みたいなことを。本当に失礼だったわ。私にそんなこと言う権利もないのに、二人の評価を落とすようなことを言ってしまったのだもの」
権利といえば、第一王女の貴方にどう言われても俺達に怒る権利はないのですが。
……プライドが有りもしない非を認めている筈なのに、逆に自分の頭が冷静になる。もう嫌なほど自分の大人げなさは思い知った。
大体、俺もアーサーも他者からの評価を下げられたことを気にしたわけではない。大事なのはプライドからの評価だけだ。
「本当にごめんなさい。あの時は女の子達に囲まれて私も調子に乗っちゃってたわ。それに……」
そんな女性をはべらせているような言い方はやめてください、と心の中で訴える。
プライドが同年齢で女性の友人が立場上少ないことは知っている。社交上な仲の良い王女や令嬢はいるが、特別親しいわけではない。専属侍女のマリーやロッテの方がずっと親しげだ。
そんな彼女が素性を偽っているとはいえ、昨日初めて年頃の娘らしい会話をできて喜んでいたのも、そんな彼女達を敵に回したくなかったのもわかっている。アーサーは自覚しているかどうかは知らないが、俺はそれなりに自分が女子の注目を浴びていたことも最初から自覚している。
そんな中で関係を怪しまれたなら、否定し論破することが最も波風を立てない方法だ。実際、俺達はプライドの婚約者候補ではあっても恋人ではないのだから。…………駄目だ。また余計に自分の大人気なさを思い知らされてくる。
あそこでアーサーが本当のことを教えてくれなかったら自分がどうなっていたかと思うと死にたくなる。
気が付けば俺だけでなくアーサーも首が丸くなっていた。食事に手をつける気力すら持てず、芝生に座ったまま両膝に手をつく。目だけでアーサーを確認すれば、口も引き結んだまま滝のような汗が滴って
「フィリップもジャックも、本当は凄く格好良いのに」
……………………。……何を言うんだこの人は。
突然の発言に、頭がついていかず顔だけを上げる。一瞬聞き違いかとも思ったが、アーサーも俺と同じくらいの速さでガバッと顔をあげたから、恐らく聞き違いではない。彼女の隣に座っていたパウエルもきょとんとした顔で見つめ返している。
既にバクンッと心臓が遅れて大きく波立ったというのに、プライドはそこで顔を上げてくれるどころか俯いたまま熱が入ったように口を動かした。
「本当に、本当に本当にお世辞でも言い訳でもなく本当に二人は格好良いと思うし、素敵だと思います。フィリップは頭が凄く良いし顔立ちも昔から凄く綺麗で格好良いから女の子達が一目惚れしちゃうのもすごくわかるし、ジャックも強くて背も高くて綺麗な髪で顔立ちまで男前だし女の子達の注目を浴びちゃうのもわかるもの。それはわかっているの、わかっているのだけれど……‼︎でもどうしてもあそこで「二人は凄く格好良いし自慢です」なんて言える勇気もなくて……。そんなことを言ったら確実にあの子達に嫌われちゃうと思うと怖気付いちゃって、ッだけど思っていないわけではなくて本当はちゃんと二人が凄く凄く優秀だし格好良いし私はとても大好きだし自慢だとも思っ」
ッッ殺す気か‼︎‼︎
声がまた出なくなる。顔が熱すぎて燃えて死ぬ。耳を塞ぎたかったがどうしても聞きたい欲に勝てず、代わりに頭を抱えて俯いた。
内側からも炭になるかと思うほど熱いというのに隣からも灼熱を感じれば、視界の端でアーサーも塗ったように真っ赤になっていた。息をしているのかどうかも怪しくなる。
本当に、本当にどうしてこの人はそういうことを普通に言ってしまうんだ。格好良いという言葉だけでも何度言ったかわからなくなる。
しかもパウエルの前で褒めるなんて拷問に近い。毅然とした態度で振る舞いたいのに、彼女の言葉でどうにも身体が制御も利かずに沸騰する。自分の頭を潰さんばかりに圧迫しながら、もうプライドを直視できなくなる。折角落ち着いた筈の心臓がバクバクと存在を主張しては俺の呼吸まで邪魔をする。眼鏡が曇るし視界が白いのが眼鏡のせいか、それとも血の巡りがおかしくなったからかもわからない。
必死にこっちが生死の境目を往復している間にもプライドからの猛攻は止まらない。俺達の良いと思う所をいくつも上げようとする彼女から、とうとう以前くれた手紙の内容と似たようなことを話そうとするから鼓動が速さはそのまま音だけ増した。止めたくても発作中のように声が枯れ、堪える為に唇を絞れば余計に何も言えなくなる。
「ジャンヌ。そろそろフィリップとジャックが死ぬと思うぞ」
「えっ……え⁈あ⁈ふ、二人とも⁈」
……助かった。
パウエルの落ち着いた声がプライドに水を掛けてくれた。
歳下に助けられるなどと思いながら、助かったの思いが強い。恐らくずっと俯いていたプライドが初めて顔を上げたのだろう。
俺達の惨状に慌てたように声を上げ「大丈夫⁈」「具合悪いの⁈気付かなくてごめんなさい‼︎」とまた謝り出した。気付くも何も発熱させた本人が何を言うのか。
それに俺はともかくアーサーに体調不良はあり得ない。なのにプライドはそこまで考えが至るより先に慌てたままペタペタと俺とアーサーの額に触れてくる。医務室に行く⁈と叫ばれ、アーサーの特殊能力を思い出したのか今度は彼の手を握って俺の膝に置かせた。当然どうにもならないから手を振って断る。こんなことで医務室送りなど末代までの恥だ。
「いえ……大丈夫ですから。…………俺の方こそ、先ほどはムキになって申し訳ありませんでした。その、俺も、……。…………」
「?」と、途中で続きが言えなくなる俺にプライドが首を傾げる。
今はその動作だけで即死するから視界にいれないで欲しい。「その……」とそこまでもう一度言い直しを試みるが、それ以上は唇が震えて言えない。……言えるわけがない。
「あっ、の!おッ俺はンなんじゃねぇですけど‼︎でもジャンヌこそすげぇ綺麗だし美人で髪も、でっ……騎ッ、他の奴らにも!すっっっげぇ人気ありますから‼︎‼︎」
ッよく言ったアーサーッッ‼︎‼︎
震える口を片手で押さえながら、全力で首が壊れんばかりに頷き同意を示す。
今度こそプライドの視界に入ったらしく、「あ……ありがとう」と戸惑い気味の返答が返ってきた。この勢いで俺も言えるだろうかとゆっくり手の中で呼吸を整えれば
「ジャックにそう言って貰えると、なんだか照れちゃうわね」
ふふっ……と抑えるような柔らかな笑い声が直後に放たれた。
直後にはアーサーから声が出なくなる。アーサーに向けてプライドがどんな表情をしたのか、そしてアーサーが今どうなっているかも容易に想像がつく。
プライドのその表情もそして相棒の無様な姿も見たいとは思うが、今ここで顔をあげたら確実に俺も死ぬ。ひたすら熱が収まるまで下を向くことにする。
すると、ツンツンとパウエルが無言で俺を指で突いてきた。もう、取り繕うことも出来ず小さく頷きの動作だけで聞こえていることを示せば、彼は俺の目の前にいつものを差し出してきた。「今日は食べれるか?」と尋ねられ、頷いてから俺の分のサンドウィッチを二個ともパウエルに押し付ける。
「食べれるなら両方食べてくれ……俺はこれだけが良い」
城の料理人には悪いが、今は具沢山のサンドウィッチを食べられる気がしない。腹の前に胸が苦しすぎる。
了承を得ていつものパンを一つ嚙り、咀嚼しながら舌に意識を集中させて気を紛らわす。
やっと食事に手をつけ始めた俺に合わせるようにプライドが「ジャックも食べれそう?」とアーサーを気遣うように呼び掛けた。アーサーの方からは一音しか聞こえないが、それでも手だけは動かして食べ始めた。大食いのアーサーには珍しく食べる速度もかなり遅いが無理もない。
プライドも「頂きます」と呟いてからサンドイッチを手に取り、パウエルから大分遅れて俺達三人は昼食を取った。
食べ終わった直後にはそれ以上談笑する暇も無く、昼休み終了の予鈴が鳴った。パウエルには散々付き合わせた挙句、あまりにも情けない喧嘩の後始末に付き合わせてしまったと俺からこっそり謝ったが、「いや全然」と笑いながら返してくれた。
「むしろ会う度に色々わかって嬉しい。また明日も……これからも食ってくれ」
「ああ、俺もそうしたい」
パウエルに幻滅されてないことに安堵しながら、そう返す。彼とこうして過ごせるものひと月だけだが、……その間だけでも彼との時間を大切にしたいと思う。
─ ドンッ
「っ⁈……」
……何かにぶつかった。
いや、正確にはぶつかられたという方が正しい。パウエルの方でよそ見をしている間に、俺の横をすれ違う誰かと肩がぶつかった。大して痛くはないが、不意打ちに肩ごと大きく横に身体が反る。
すれ違った相手を目で追いながら振り返れば、……見覚えのある少年の後ろ姿がそこにあった。俺にぶつかったことにも気づかないようによろけた足を止めず、駆けていく白髪の少年は。
「今の、さっきのクロイじゃないか?」
大丈夫か、と俺を気遣いながらパウエルが彼の後ろ姿に目を向ける。
中等部の玄関口まで来た俺達とすれ違った彼は、そのまま中庭方向へと出て行った。次の授業が外なのかと考えながらその背を見送る。プライドやアーサーも気になるように目を丸くして彼の背後姿を見送った。
妙なことに彼以外は中庭を急いで抜けようとする生徒は一人もいない。疑問を持ちながら、高等部との分かれ道でパウエルとも別れた後にはすぐさっきの彼の話題になった。
どうしたのかしら、やっぱ昼休みのアレっすかね、と話すプライドとアーサーの会話を聞きながら俺は一人足並みが遅れて彼女の背後を歩く。……このまま行けば、すぐ教室に着いてしまう。その前に
「あ、の……ジャンヌ。」
裏返る声を抑制しながら呼び掛ければ、彼女はすぐに振り向いた。
十四歳のあどけない顔が柔らかく俺へと向けられる。深紅の髪が揺らされず、頭の上で丸められた彼女の小さな顔がはっきり見える。
一瞬、また口が噤もうと勝手に力が入ったが、無理矢理こじ開け、今度こそさっき言えなかった言葉を告げる。
「お、俺も、っ……〜っ、さっきの失言を、撤回させて頂いても良いですか……?本当に、あれも……最初から俺の本心では全くないので……」
成長半ばの喉が、余計にか細く心許ない声を出す。
言葉の端端で震えるし、ちゃんとプライドの目を見て言いたいのに意識しないとすぐに逸らしそうになってしまう。
しかも、謝罪と訂正をしたいのに明確に言うことが死ぬほど恥ずかしい。もう、あの愚かすぎる失言を再び口にすることすら身が焼ける。なるべく彼女には伝わるようにと言葉を選んだ情けない台詞にプライドは、……花のような笑みで返してきた。
「知ってる」
心臓が一瞬止まる。
鳥の囀りのような擽る声が、軽やかに俺を猛襲した。
何処かで聞き覚えのあるその台詞が真新しく胸を刺す。
ふふっ、と十四歳の少女の姿で淑女の笑みを浮かべたプライドは、振り返った身体をくるりと進行方向へと向けた。全く嫌味もなく、明るい笑顔と首だけで俺達に振り返る。背中に指ごと組んだ手が余計に愛らしい。
「だって二人は、本気でそんなこと言う人じゃないものっ」
行きましょっ。と、それだけ言うとプライドは何事もなかったように優雅な足取りで教室へと向かい歩を進めた。
……放心し、歩みが止まる俺達を残して。
足元がグラつき、本当に倒れそうになる。この後も彼女と隣り合わせに座るなど本気で心臓が保つ気がしない。よくよく考えれば、摂政業務に入ってから半日近くプライドと一緒にいる日々など久しぶりだった。
『ジャンヌは僕の好みではありませんから』
あの時の失言を、撤回させて貰うどころか百倍の破壊力で返された。
俺だけではなく、最後の最後にまさかの飛び火したアーサーが耐え切れないように廊下の真ん中で座り込んでから、改めてそう思った。
意趣返しであろうと報復だろうと憂さ晴らしだろうと、一時でも彼女の敵になることはわりに合わないどころか後悔することになると脳に刻み込む。
プライドに気付かれる前に全力疾走でアーサーと共にその背中を追いかけたのはその直後だった。




