Ⅱ41.支配少女は苦笑う。
「へぇ~、ならフィリップもジャックも将来は城で働きたいってことか」
学校通学三日目の朝。
学校へ向かい、五つの影が並んで歩く。
既に家を離れてから大分歩いた先の道では、彼らだけでなく他の生徒や時折り保護者、そして仕事に向かう町の人々と多くが行き交う。その中で、彼らの存在はひと際人目を引いていた。
その理由の一つは騎士が一人、城の方向ではない方向に向かい歩んでいたことである。衛兵ほどではないにしろ、見回りなどで騎士が城下に降りてくることは勿論あるが、見掛ければ誰もが一度は振り返る。
民には当然のこと、学校に向かう生徒にとっても、騎士だけが袖を通すことを許される団服は目にとまった。更には共に歩く未成年の少年少女三人も十分に年の近い男女からは視線を集める存在である。
多くの視線を浴びながら彼らは学校へ向かい、歩みを進める。予定通りにエリックの家から学校へ向かうプライド、ステイル、アーサー。そして護衛兼送迎役のエリックと
「キース……良いから、もう帰れ」
ギルクリスト家の三男、キース。
エリックの弟でもある彼が、今日は朝からプライド達の送迎についてきていた。片手で頭を抱え、ため息混じりに弟へ言葉を吐くエリックにキースは「いや兄貴が帰れって」と逆に断った。既にプライド達を前に三回は同じやり取りをしている彼ら兄弟に、プライドだけでなくステイルやアーサーもただただ苦笑う。
エリックだけであればまた普通に会話もできたが、自分たちの正体を知らないエリックの弟にまでボロを出すわけにはいかない。あくまでジャンヌ、フィリップ、ジャックとして振る舞いながらエリックの弟を無下にもできず、会話だけが続いていた。
「だから、彼らは俺がアラン隊長に任されているんだ。そんな大人二人で送迎することもないだろ」
「任されているって送り迎えをだろ?折角俺の仕事が休みなんだから、こっちが代わりに行けば兄貴も騎士団を途中で抜けずに済むだろ」
エリックが必死に弟を引き剥がそうとするが、キースも折れない。更には、事情を知らないキースの意見はプライド達の耳から聞いても尤もだった。
今日、仕事が休みだった弟のキースは、朝からプライド達の送り迎えを自分が代わりにすると言い、朝からそのつもりで身支度も済ませていた。折角の来客でもある子ども三人と少しでも親しくなろうとしていることも、わざわざ仕事がある兄の代わりに休日返上で送迎を担おうとしていることも、誰がどう見てもキースの心遣いと親切心である。
エリックも、本当にアランに任されているだけの一般人であればむしろ感謝して任せていた。しかし、実際はただの一般人ではなく王族。自分がプライドとステイルを送迎するのも騎士としての任務である以上、ただの身内に任せられるわけがない。
しかしそんな事情も知らないキースは、目の前にいるただの山暮らしの少年少女へ向けて、兄に構わず談笑を続けていた。
「騎士も結局は城に住んでるからなぁ。兄貴も騎士団に入団してからはちょこちょこ帰ってくるぐらいだったよ。特に八年前くらいからはめっきり」
「キース。それ以上俺の事をジャック達に話したら怒るぞ」
……こんなにずっと肩の力を抜いた話し方をするエリック副隊長も珍しいな。
そうプライドは思いながらも、少し低めたエリックの声に身を固くする。更にはエリックの怒った声だとわかったアーサーもビクッと肩を上下させた。普段は温厚なエリックだからこそ、たったひと言でも怒った口調は充分際立った。
キースも本気で怒りそうな兄に気付き、すぐに口を結ぶ。少なくとも肉弾戦であれば、騎士の長男と一般人の自分が勝てないことは目に見えていた。数秒だけ黙り、それから気を取り直すように今度はプライドへと話しかける。
「ジャンヌは将来どうしたいんだ?最初うちに来た時に優秀とは聞いたけど、やっぱりフィリップと一緒で城で働きたいか?」
働くも何も実際は城の主となる立場のプライドだが、当然そんなことをいえるわけもない。
キースからの投げかけにプライドは一度だけ考え込む。自分の決めていた設定を洗い直し、勉強が優秀なだけな山育ちの世間知らずから、更に昨日自分で付け足した設定も思い出す。なるべく一度決めた設定は相手によって変えないほうがボロも出にくい。
「……私は、学校で素敵な恋人を探したくって。実家ではお爺様の目が厳しくて恋も簡単にできないので、これを機会に。でも、城下の子と結婚したら私も将来は城下に住むことになるかもしれませんね」
「へぇ、恋路まで口出してくるなんて過保護なおじいさんだな。それで今のところ好きな男とかはー……、……どうした兄貴」
ごほっ、ごほっ、と口を押えて咽かえる兄にキースは腕を組んだまま顔を向ける。
更にはエリックだけではない。全く知らなかった設定をさらさらと口にするプライドに、ステイルとアーサーも途中から咳き込み出していた。少年二人の分かりやすい反応はまだ微笑ましいが、まさかの兄まで反応することにキースは眉を寄せる。年頃の女の子なんだからそんな驚くことでもないだろ、と続けるが、当然ながらそういう問題ではない。
咽び、咳が止まらないエリックは、歩きながらも声の代わりに手を左右に振って返した。気にするな、なんでもない、という意思表示であることはキースにもわかったが、なんとも一人首をひねってしまう。まさか兄までもがジャンヌと同年代である二人と同じようにたった十四歳の少女に……とは流石に思えない。それなりに兄のことを理解しているつもりのキースは、プライドの顔を眺めて確かに美人だよなとは思い、……気付く。
「……そういえばジャンヌって、あの人に似てるよな。まさか、それで兄貴までいつもより過保護なのか?」
ぽつり、とつぶやいたキースの発言に今度こそ全員の心臓がバクリと振動する。
あの人、と揶揄された人物がどうか自分たちの思い描いた存在でいないでくれと願う。表情を必死に隠すプライドとステイルだが、アーサーは分かりやすく口を一文字に結んで目を見開いた。まずい、と言葉がでかかるのを必死に堪える。
「プライド様、……ってジャンヌ達は知ってるか?うちの第一王女なんだけど、実は兄貴の」
「キース‼︎‼︎それ以上言ったらお前の大事な〝アレ〟燃やすからな‼︎」
それ以上言わせまいと今度こそ声を荒げたエリックに、キースが言葉を止める。
顔を真っ赤にした兄に、キースは「やっぱり」と思いながらも飲み込んだ。それ関連で兄を弄れば本気で殴られかねないと口を噤む。キース自身、兄のそれに関しては自分も笑えない。
まさかこんなところでまた兄の話題に直結してしまうとは思ってもみなかった。しかし、エリックが慕うプライドにどことなく似ているように思えるジャンヌへ少なからず過保護になっている理由は頷けた。自分や次男が子どもの頃よりも過保護に思えるジャンヌへの対応は、上官の親戚という理由ではなくそっちの方かと勝手に納得する。
エリックと弟とのやり取りに、プライドは〝アレ〟が何なのかが気になったが、ひとまず置いといた。代わりに今は浮上してしまった容疑を晴らすべく、キースに向かってにっこりと笑って見せる。
「もちろん知ってます!プライド第一王女殿下ですよね。噂だけは聞いたことがあります。髪の色がお揃いなので時々お爺様や両親にも似てるって言われます。城下に住んでる人にまで言ってもらえるなんて嬉しいです」
あくまでそっくりさん、私はただのそっくりさん、と。自分の中で繰り返し唱えながら、プライドは言葉を返す。
プライドの完璧な返答にほっとしながら、ステイルとアーサーも一度音に出さずに息を吐き切った。前もってそういう返しをすることもちゃんと各自が決めていた。
プライドに合わせるように「そんなに似てますか?」「俺も会ったことないので気になります」と遅れてステイルとアーサーも相槌を打って応戦する。それを受け、キースは疑問に思わず言葉を返した。
「俺も本物は遠目でしか見たことないけど、結構似てるんじゃないか?深紅の髪に紫色の瞳ってのも一緒だし。凄い美人で性格も良くて……俺も一度で良いから会ってみたいんだよなぁ〜」
はぁ……と最後に息を吐くキースは、直後にはじろっと羨ましげに視線をエリックへと向けた。
弟の視線に気づき、また余計なことを言わないかと少しだけ見返す眼差しを鋭くすれば、キースは怒られない程度に言葉を選び、投げかける。
「兄貴は。プライド様に直接会ったことって何回だっけ?」
え、と。
キースの発言にプライドとアーサーの目が丸くなる。あくまで質問形式で、エリックの合意を求めるように尋ねた言葉だがそれでもプライド達にはいろいろ驚きだった。
エリックもここでそんな話題になるとは思わず、プライド達の視線に逃げるように顔ごと逸らす。それから絞り出すように、本人を前に口を動かした。
「……じょ、叙任式で一回、だけだ……」
ええええええええっ?!とプライドは声に出さないように必死に息を止める。
しかし予想外のエリックの発言に視線が串刺しのままだった。アーサーも開いた口が塞がらず、ステイルも瞬きを忘れてしまう。しかしキースだけは「一回でも間近で会えたら充分だろ」と言葉を返した。彼の中では視察を抜いて兄がプライドと直接関わったのは、本隊騎士に上がった時の叙任式だけだった。
その後も兄が騎士として様々な任務に携わっていることは知っているが、それがどこまでプライドが関わった任務かは部外者の彼は知らない。そして、プライド達が何よりも驚いたのは
……エリック副隊長、私の近衛騎士って話していないの?!
その事実だった。
近衛騎士であることを知っていれば、具体的な数など尋ねるわけもない。実際にはエリックは毎日のように休日や任務以外の日はプライドに直接会い、彼女の私室でも護衛を担っているのだから。
しかし、キースどころか家族にすらエリックはプライドの近衛騎士であることを隠していた。エリックがプライドを慕っていることは知っているが、彼が副隊長として以上にどこまで上り詰めているのかまでは家族全員が知らされていない。
今も顔をがっつり背けたまま前を向けないエリックは、弟をここまで同行させたことを本気で後悔した。まさかこんな形で自分が隠していることを本人達に知られるとは思わなかった。
言う機会がなかったといえばそれまでだが、プライドやアーサーにそのことを知られてしまったことに気が咎める。
弟や家族に隠し事をしているのも悪いとは思っている。が、言えるわけもない。プライド関連のことは機密情報が多すぎる。元をたどれば自分がプライドを慕ったきっかけになった騎士団奇襲事件も複数の箝口令が敷かれ、家族に心配をかけないように事件があったこと自体も話していない。その上、自分の現状を一つでも話せば大変な事態を招いてしまう確信もあった。
「ん、着いたな。じゃあなジャンヌ、フィリップ、ジャック。また帰りも迎えに来るから」
「ッ来なくて良いから!」
兄の肩が微弱に震え出したことに気付いたキースは、そこで歩みを止めて手を振った。
そろそろ帰らないと本気で自分の宝物を燃やされかねないと、学校が目に見えてから立ち止まる。順番にプライド、ステイル、アーサーの頭をポンと置くように軽く撫でたキースは彼らに背中を向ける。エリックの断りも無視し、「あとで城下見て回ろうな」と声を掛けるキースは全く反省もなければ、彼らの正体を怪しんでもいなかった。ただただ、素直で可愛らしい子ども三人と親しくなれればと純然たる好意だけである。
校門まであと数メートルというところでキースが離れたエリックは、片手で頭から今度は顔を覆って項垂れた。たった片道で弟に相当疲弊させられ、肩が丸くなる。エリック副隊長……⁈とプライドが慌てて声を掛けるが、エリックの顔色からは熱すら治らない。
「本当に申し訳ありません……どうか、今の話は聞かなかったことに……」
力なく、張りのない声を発するエリックは泣きたくなった。
赤い顔を開いた片手で鷲掴むように押さえ、痛みで紛らわすべく指に力を込める。帰りこそは弟の同行を拒まなければと今から心に決める。
近衛騎士であることも含め、家族に話さなかったことにはエリックなりの理由もあったが、それをここで言い訳にして話す気にもなれなかった。
プライド達が憔悴する自分を気遣い、何も聞かずに了承してくれたことに感謝した。世話焼きな弟にひと泡吹かせてやりたい気持ちと、事実を知った彼が卒倒しない為にも隠してやらなければという気持ちが胸の中で鬩ぎ合う。無事校門までプライド達を見送ったエリックは、彼らが校舎に入っていくのを確認してから翻った。
取りあえず、キースの部屋にある宝物を燃やすことだけは兄として我慢してやらなければと自分に言い聞かせながら。
……
「………え……。せ、セドリック様、何を仰って……?」
「?違ったか?」
一限目予鈴前。
王弟と合流を果たした彼は、その言葉に顔を硬らせた。
昨日のこともあり、王弟への警戒心も少し薄れた彼だったが、それでも高等部の最上階にある特別教室へこれから足を運ぶのだと思えば考えるだけで心臓に悪かった。特別教室にいるのは高等部三年だけでなく全学年の貴族や上級層の人間ばかりなのだから。
高等部の玄関口で待っている間も一人だけ中等部、さらには昨日噂の的である王族と食事を共にしていた彼への注目は高かった。王族の友人、という名札から変に絡まれることもなかったが、視線だけは嫌でも四方から焼き付いた。王弟が護衛のアラン、ハリソンと共に現れてくれた時は安堵すら覚えた。
待たせたな、と多くの生徒の注目を浴びながらも気さくに声を掛ける王弟は、真っ直ぐに彼へ笑いかけ、今日もよろしく頼むと共に高等部の特別教室へ促した。声を張って挨拶を返し、お荷物をお持ちしますとアランが持っていた王弟の荷物を自ら受け取った。
本人は気にするなとは言ったが、仕事をしている方が彼も遥かに心が落ち着いた。自分が何の為に王族の傍にいるのかもわかりやすい。
最終的に許可を得て鞄を預かった彼が、アランとハリソンに頭を下げて王弟の背後に駆け寄った時だった。「ところで」という言葉に一息で返し、姿勢を正した彼は
「───────? ───────────」
凍り、付いた。
王弟からの何気ない投げかけは、彼には衝撃が強すぎた。
息が浅くなり、視界が数秒だけ黒く霞む。必死に表情筋に力を込めて笑みを保とうとするが、誰の目から見てもそれは歪だった。
「………え……。せ、セドリック様、何を仰って……?」
「?違ったか?」
自分の発言を確かめるセドリックに、いつまでも答えないわけにもいかずカラつく喉で必死に言葉を紡ぐ。
「違い……ます。僕は…………」
「そうか。それは失礼した。まだお前達のことをきちんとわかっていないものでな」
さらりと否定を追求せずに受け止めたセドリックは、軽やかに笑う。
最上階へ階段を登るべく、悠然とした足取りで廊下を歩いていく。明らかに歩幅も足取りも遅れて騎士にも抜かれそうな少年にセドリックは「どうした?」と声を掛け、何事もなかったかのように笑い掛けた。
「折角の朝だ。今日もお前達の話を聞かせてくれ、クロイ」
はい……、と覇気のない声と共に鞄を両手に抱え、追い掛ける。
顔を俯けてはいるものの、自分を追いかけてくるその姿に笑みで返したセドリックは、背中を向けながらも己が発言がどれほど彼の心をざらつかせ、酷く波立たせたのかにも気付いていなかった。
「……僕は………………」
消え入るその声は口の中で消え、セドリックにすら届かなかった。




