Ⅱ36.支配少女は口を噤む。
「本当に今日は待たせてごめんなさい、パウエル。貴方はフィリップと約束をしていたのに」
職員室を脱したプライド達は昨日と同じく中庭に出た。
クロイの様子を見に行くにも満員御礼の食堂には出遅れた結果、諦めてパウエルと共に場所探しへと決まった。
昼休みは教室に残る生徒も少ない為、一人でも多くの生徒をプライドが確認できるようにしようと生徒の行き交いが多い場所を選んで通った結果、昨日に引き続き中庭を抜けた校門前まで辿り着いた。
芝生に座り、持参した軽食を完食した後、やっと落ち着いたプライドは改めてパウエルに頭を下げた。もともと自分達とではなくステイルと食事の約束をしていたにも関わらず、自分を待つステイルと共に廊下で待ち続けることになったパウエルには申し訳ない気持ちが強かった。
「いや、大丈夫だ。先生に呼ばれたなら仕方ねぇだろ。それに、ジャンヌやジャックとももっと話したかった」
今日もパンとサンドイッチをステイルと交換こしたパウエルは、片手だけ上げてプライドに笑んで見せる。
その、何気ない動作にプライドはうっかり心臓の音が一度だけ高まった。憧れの第三作目の一員であるパウエルからそんなことを言われてはどうしようもなく嬉しくなってしまうと、口の中を勢いよく噛み締める。
実際、パウエルは全く不満に思ってはいなかった。
場所こそ落ち着くとは遠いが、職員室前でじっくりステイルやアーサーと話ができた。壁に三人で寄り掛かりながら話していたのは、主にステイルが六年前にどうして人身売買組織の本拠地に居たのかだった。
〝フィリップ〟自身も被害に遭って逃げ出したこと。他の被害者も助けようと思い、そこで偶然パウエルに会ったことなど、それらしい事情を作り上げていたステイルの話はすんなりと信じられた。
ステイルから「俺の特殊能力は知られると騒がれるから秘密にしておいて欲しい」と頼めば、パウエルは躊躇いなく「勿論だ」と頷いた。
ただし、その後はひたすらアーサーと一緒にステイルの褒め合い合戦のような状況になった為、ステイルとしては色々な意味で居心地の悪い状況となってしまった。
「そういえば、どうだパウエル?クラスには馴染めたか?」
見かけはパウエルより年下でありながら、まるで兄のように心配して尋ねるステイルの姿にプライドもアーサーも思わず笑んでしまう。
どうにもパウエルの前に出ると、まるでティアラの前のようになってしまうステイルの姿が微笑ましかった。よっぽど再会が嬉しかったのだろうと二人は思う。
パウエルはステイルからの上目な言い方も全く気にしないように顔を向けると「まあな」と軽く笑った。
「まだ二日目だし、そんなには話してねぇけど良い奴が多い」
気楽だ、と寛ぐように足を伸ばすパウエルの表情は明るかった。
まだ特に新しく仲の良い友人ができたわけでもないが、自分に冷たい目を向ける相手もいない空間は全くの気楽だった。
「そういえば昨日……」
ふと、思い出すようにステイルはファーナム姉の存在を尋ねた。
階段で転びかけていた白髪の女性が居たと、容姿を詳しく説明しながらファーナムという女性だと話せば、パウエルは「あぁ」と顎を上げて声を漏らした。
「それなら俺と同じクラスの奴かもな。殆ど窓の外を眺めてばかりで、昼休みも教室から出ずに一人で食べてるみてぇだった」
絶対その人だ、とプライド達は確信する。
一限前に自分達がクロイに会いに行った時のことを思い出せば、姉弟揃ってとも思ってしまう。
ステイルから、身体が弱いらしいと話せばパウエルは頼む前から「じゃあ俺からも注意しとく」とあっさり名乗り出た。良いのか?とあまりにも早い請負いにステイルの方が尋ねてしまえばパウエルは歯を見せて笑った。
「怪我でもしたらまずいだろ。女子の選択授業以外はなるべく見といてやる。女子どもは守られるべきだし……それに高等部は少し物騒だしな」
物騒?と突然の不穏な言葉にアーサー達は声を合わせて聞き返す。
パウエルは大したことないように頷くが、開校早々治安が悪いのは由々しき事態でもある。教えて欲しい、とステイルが前のめりに頼むとパウエルは「詳しくは知らねぇけど」と言いながら自分のクラスに既に広まっている噂を話し出した。
「高等部の三年は生徒って言っても、全員成人だろ?」
しかも卒業はたったの一年後。今からでは学問も技術も磨く期間は限られている。
その為下級層の人間よりも、中級層の中で生活が安定している生徒が多い。彼らの目的は更なる仕事技術の向上やより良い仕事の斡旋、学校制度という存在への興味本意、そして最も多いのが
「結婚相手を探してる奴が多いらしい」
特に男が、と。
そう言ったパウエルの発言に、プライドはガンッと頭を殴られたような衝撃を受ける。ついさっき自分が教師についた大嘘が思わぬところで真実だった。
貴族や良い家の生まれでない限り、庶民は婚約者など用意されない。その中で同年齢に近い人間が集まるとなれば、出会いに困った妙齢の男女がこの機会を見逃さないわけもなかった。
まぁそれはわかるんだけど、とパウエルは紡ぎながら、ここからが本題と言わんばかりに声量を下げた。
「だから間の休み時間になる度、高等部内で全学年を値踏みに来る連中が結構居る。大概そういう奴らは外見は普通なのに態度は悪くてしつこい」
しかも三年同士だけでなく成人として認められる十六歳の一年、そして二年も標的にされている。
実際、パウエルのクラスにも既に何度か三年の男子生徒が覗きに来たり、女子にちょっかいをかける男も現れていた。それに喜ぶ女子もいるが、大半は対応に困っている。当然ながらそういう目的ではなく、勉学や仕事の為に学校に通っている生徒もいるのだから。
プライドはその話を聞きながら、そういえば職員室でも女子の相談があったなと思い出す。
むしろ高等部は下級層の生徒の方が、風貌こそ裏稼業にでも居そうな佇まいだが大人しいと。そう語るパウエルは既に裏も表も見慣れていた。
「まぁまだ変なことされた奴がいたって話は聞かねぇし、教師に隠れてやってるぐらいの程度だけど。どっちにしろ下級層よりはマシだ」
「それは、大変だな……?」
言葉だけ返しながら、ステイルの周りに黒い気配がゆるやかに取り巻いていく。
パウエルがこの場にいなければ、ジルベールの元に今すぐ瞬間移動したくなる案件だった。気付いたアーサーが腕を回し、慌ててステイルの背を叩く。あとにしとけ!と意味を込めて叩けば、一瞬息を詰まらせたステイルはそれ以上の黒い覇気は出さなかった。
眼鏡の黒縁を押さえつけ、気を取り直す。話を聞いたプライドも、パウエルにやんわりと相槌を打ちながら心穏やかではなかった。ステイルのように怒ることはなかったが、やはりそういう輩はどんな世界にもいるのだと思う。
乙女ゲームの世界ならではと思いかけたが、よくよく考えれば前世でもそういう類の問題はどこにでもあった。そして学校内部でのことは上からの圧力や教師が奔走してもなかなかすぐには改善されないことも対策に時間が掛かることも既に理解している為、余計に頭が痛くなる。
「まぁでもなんか早速内部抗争が起きてるみてぇだし、長くは続かねぇと思う」
「?どういうことだ」
気楽に言うパウエルにステイルは思わず眉を寄せる。
たかが二日でそこまで悪化しているのかと、ならば他生徒にも被害が出る前に対応が求められると思うが、パウエルの平然と構えた様子を見ると緊迫が薄れてしまう。
抗争、という言葉に反射的にアーサーも前のめった。騎士の任務で国内の紛争や抗争などに当たったことはあるが、学内も激化しているのならと本腰を入れるべきだとも考える。自分一人でも数人の殴り合いくらいならば制圧できる。
アーサーまで闘争心が湧いたところで、パウエルは丸くした目で彼を見返した。プライドがパウエルに笑い掛けながら、急いで〝ジャック〟ではなく〝八番隊騎士隊長〟の顔をしそうなアーサーの袖を小さく引っ張った。プライドに袖を握られ、びくっと肩を上下したアーサーは、見開いたまま電気が走ったように目が覚める。目だけを動かし、自分の袖を引いてくっつくプライドに一気に意識が持っていかれた。そこで
「なんか昨日、主犯格の一人が四階から落とされたらしい」
更に物騒な話題が放られる。
そんなこと聞いていない、と三人は一気に目を丸くする。生徒としては当然のことながら、王族としてもその報告は昨日の時点で聞いていなかった。
えっ⁈何⁈と、それぞれに声を上げる中パウエルは慌てるように補足を早口で続ける。
「あ、いや別に怪我とかは大してしてなかったらしい。なんでも運良く無事だったとかで」
「四階っすよね⁈落とされた奴は何者すか⁈」
「いやそれよりも生徒を落とした馬鹿は誰だ⁈四階など死人がでてもおかしくないぞ‼︎」
アーサーじゃあるまいし‼︎とその言葉を飲み込んでステイルも声を荒げる。
アーサーやプライドならば四階から飛び降りても余裕だが、常人が落とされれば命はない。ならば落とされた生徒が特殊能力者だったのか、どちらにせよ先ずはその落とした殺人未遂犯を早急に手を打つべきだと考える。
予想外に凄まじい反応を返す二人にパウエルの方が慌て出す。大袈裟に言ったつもりもなく、自分の基準では下級層や裏稼業の人間には珍しくもない騒ぎだった為、そこまで重く捉えていなかった。高等部に悪い印象をつけてしまったと今更になってパウエルは反省する。
「いや、本当に怪我もなかったらしい。そいつも落ちた後は元気に逃げていったとかで、お陰で今日もその連中は学校にも現れな」
「しかしその落とした主犯は高等部にいるのだろう⁈誰だ一体どこの前科者が紛れっ………………………………」
途中で、パウエルの言葉を遮ったステイルの言葉が途切れた。
彼の言葉が不自然に切れたことでアーサーもハッと気付く。まさか、と顔色を変えれば二人は同時にある一点に振り返った。
ばっ‼︎と顔を向ければ、その先ではプライドが既に三人から顔を背けるように顔を背後に背けていた。滝のような汗が首筋まで滴り、膝の上で重ねた手が落ち着きなく重ねて直してを繰り返している。
二人の視線に気付き、パウエルが「どうしたジャンヌ?」と尋ねるが、プライドは答えない。今、パウエルがいるこの場でそれは語れない。彼女のその態度こそがステイルとアーサーには何にも勝る答えだった。
三人は知っている。
高等部の四階、三年の教室に凶悪な前科者が少なくとも一人、紛れて込んでいることを。
『ヒャッハハハハハハハハハハハ‼︎‼︎』
そう思えば、聞いてもいないのに三人の頭にはあの高笑いが思い出された。
彼ならば平気で窓から人を落とす。更には無事に地上へ降ろすこともできると考える。昨日、プライドがヴァルに何を言ったのかとステイルとアーサーはこの場で問い詰めたい気持ちをぐっと堪えた。今だけは追求を抑え、ステイルが仕方なく話題を変えてからもずっとプライドは背後を向き続けた。
両肩が痙攣しそうになるほど力を込め、予鈴が鳴るまで彼女の冷や汗も浅い呼吸も止まることはなかった。
……
「…………あ」
昼休みが終わり、パウエルと校舎前で分かれた後。中等部の階段を上がるところでばったりとプライド達は彼と鉢合わせた。
クロイである。食堂でのセドリックのお付きを終え、彼もまた急ぎ教室へ戻るところだった。プライドには丁度良い再会でもある。
数秒の沈黙の後、階段を登ろうとした足を止めるクロイに、プライドは様子を伺うように笑い掛けた。
「どうも、クロイ。仕事はどうだった?無事に続けられそうかしら」
試すように揺さぶりを込めて尋ねてみれば、クロイはぐっと顎に力を込めた。
唇をきつく絞り、顔を赤らめたクロイは拳を震わせる。またプライドに振るうつもりなのではないかとアーサーとステイルが彼女の隣から一歩前に出たが、今度はクロイも引かなかった。何か言いたげに絞った唇を震わせ、ぽそぽそと何かを紡ぐ。
「…………………………」
口の中で言葉にもならずに消えたそれは、誰の耳にも届かない。
「え⁇」と思わず本気でプライドが聞き返せば、次の瞬間クロイはダンッ!と片足で床を強く踏み鳴らし、階段に響くほどに声を荒げた。
「続けるよ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
キレた、という言葉が相応しく、怒鳴るクロイの声は耳を済ませたプライドの耳にはキンと響いた。
思わず耳を押さえて蹌踉めくと、その間にもクロイは「くそっ‼︎」と悪態を吐いて先に階段を登り始めた。ダンダンダンダン‼︎と一段一段踏み壊したいくらいの気持ちを抑えながら音を立てて登りあがるクロイは顔が赤い。更にはプライド達からまるで逃げるように階段を駆け上がっていくその目は涙目だった。
蹌踉めいたプライドを支えながら、遠目でそれを確認したアーサーは意味もわからずあんぐり口を開けてしまう。何なんだ、と思いながら視線を上から目の前にいるプライドへと移した。
「大丈夫っすか?ジャンヌ」
「あれはどういう……?」
アーサーと並び、ステイルも眉をひそめる。
二人の言葉に流石のプライドも分からず首を横に振った。続ける、と言うからにはセドリックに悪いことをされたわけではないと思う。それとも嫌々でも弱みを握られているから仕方なく従うという意味かとも考える。
何故あんな風に怒鳴って逃げたのか。不思議に思いながらも取り敢えず仕事を降りると言われなかったことにプライドは小さく胸を撫で下ろす。何はともあれ、彼が仕事を続けてくれる気になったのならば何よりだった。こちらの思惑通りに進んだとも思う。そしてきっと
一 セドリックなら、できる筈。
そう確信を持って思いながら、プライドは二人と共に急ぎ階段を登り始めた。




