Ⅱ35.支配少女はやり過ごす。
「あの、先生。ですから……私はけっこうです」
昼休み中、若干空腹を感じながらプライドは職員室で肩を丸め、俯いた。
授業を終えた教師や講師が集い、「二階空き教室の鍵ならそこに」「資料室の鍵は」「生徒から資料用の本を借りたいと要望が」「きりがない。紛失や汚されたら困る」と情報を交わし合う。
職員の手伝いや問題を起こして呼び出された生徒が「ここに資料置けば良いですか」「いや殴ったんじゃなくて拳がぶつかっただけで」「女子生徒からまた相談が」「先生、さっきの授業やっぱりわからなくて」「窓硝子代弁償⁈俺じゃありません‼︎」「高等部に途中入学希望者がまた」「こちらも午前から生徒の数が減りました!」「今朝から逃げ回ってる生徒が」「仕事で今日一名高等部の生徒が早退と」と質疑応答を交わし合う。
いつも傍にいるステイルとアーサーも、今は廊下で待たされている。流石に教師との一対一の場でまで彼らがプライドに付き添うことは不可能だった。
今も腹より肝を冷やしながら廊下でプライドが出てくるのを待ち詫びている。職員室に行く前に渡り廊下で合流したパウエルも今はステイル達と共に並んでいた。
予想よりも時間が経っている為、今日は近場で食べた方が良さそうだと打ち合わす彼らは既にだいぶ打ち解けてきていた。
「だがな、ジャンヌ。お前の学力は中等部どころか高等部でも一番だ。今も説明した通り、学校の制度には“飛び級”というものがある。中等部の授業じゃ退屈だろ?」
いえ、そんなことは……と濁しながらプライドは口端がヒクついた。
生徒全員ではなく個人へと投げかける担任のロバートも、今はいくらか言葉も砕けている。今世の王室教師より、前世の学校教師を彷彿とさせられたプライドは自然と肩にも力が入る。
飛び級制度。自身がジルベールと学校の仕組みを考えた時に考案したものの一つである。成績が明らかに優秀な生徒を飛び級させ、学力の相応しい学年へと進級させる。
まさか自分がそれに適合される一人目になるとは、考案した時は彼女も思いもしなかった。しかし高等部の学力範囲すら上回った彼女に、中等部ではなくせめて高等部にと教師が判断するのは当然だった。
そしてプライドとしても、これ以上目立ちたくない上にステイルやアーサーと離れるわけにはいかない。更に中等部に攻略対象者が集まり、同じ学年にクロイやアムレットが居るならば進級はプライドにとって何の得にもならない。
「確かに年上ばかりいるというのは気が引けるかもしれないが、折角の学力を無駄にするのを……」
本人の承諾制の為、教師が強制的に飛び級させることはできない。
しかしせっかくの素晴らしい学力の生徒を中等部に引き留めて置くのは教師としても気が引けた。実際は目の前の少女が国最高の教育を受けている十九歳の王女だとは微塵も思わない。
プライドもまさかここまで熱心に教師に誘われるとは思っていなかった。てっきり「結構です」「そうか」で終わるものとばかり考えていた。どうすれば教師が納得してくれるかと、優秀な頭脳をそちらに回す。その間も教師は教師で真摯にプライドを説き伏せようと挑み続けていた。
その様子を職員室内で彼女にも気付かれない位置で眺める騎士は、静かに自分の前髪を指先で払った。
……プライド様。
昨日も話には聞いていたがまさかここまでとは、と。
カラムは何とも言えない気持ちでその様子を見守った。騎士の特別講師として招かれたカラムは、二限で早速高等部の一年男子を一クラス見た後だった。
学校に訪れてすぐ、アランからプライドが職員室に呼び出されたことは聞いたが、まさかこんなところで第一王女が教師に説き伏せられる姿を見ることになるとは思わなかった。
学業に優秀な彼女が教師に褒められることはあっても、こんな風に切切と説き伏せられる姿はカラムも初めてみた。しかもプライドに進級を進める教師が「折角の機会だぞ」「学校はあくまで学業と将来の……」と説き始めているのを見ると、双方に居たたまれなくなる。
教師に説き伏せられている学校創設者の第一王女もさることながら、その王女に学校とは何かを解いている教師すら不憫に思えてくる。真実を知ってしまったら彼が再起不能になってしまうのではないかとまでカラムは案じた。カラムの耳で聞いても、教師の発言は真剣にプライドのことを想っての発言だからこそ余計にである。
ここは自分が間に入って穏便に済ませるべきかとも考えた、その時。
「……あの、ロバート先生」
プライドがおずおずと口を開いた。
指を組み、自分の胸を押さえつける。俯いた顔を少し上げ、上目に教師を覗いた。
わかってくれたか?と返す教師に、プライドは言いにくそうに口を引きながら言葉を作った。悪知恵の働くラスボスの優秀な頭で、逃言は組み立てられた。
「ご心配ありがとうございます。だけど私、やっぱり今の中等部二年が良いです。勉学はこのまま独学でできますし、座学以外にもちゃんと一から学びたいものがたくさんあります。それに何より私が学校へ通いたいと思った理由は……」
ゆっくりと一言一言、柔らかい口調で年相応に見えるように配慮した態度を意識する。
そこで一度言い淀むプライドに教師だけでなく、カラムも耳を澄ませた。一体彼女がどうやってこの場を切り抜けるべきか判断したかと考えれば、彼女の口からあまりにも苦々しく且つ恥いるような声で、止めた言葉の続きが言い放たれた。
「同年の恋人を作る為なんです」
ゴフッッ‼︎‼︎
カラムは吹き出し、堪えようとして逆に咽せ込んだ。
カラムだけではない。話が耳に入っていた教師や生徒は目を剥き、資料を運ぶのを手伝わされた生徒はその山を崩しかけ、振り返った。
ゴホッ、ゴハッ……と口を力の限り覆い、極限まで丸めた背中で縮こまる。もともと潜んでいたとはいえ、自分がここまで大きく反応しては気付かれると、必死にカラムは音を殺した。息を止め、酸欠で顔が赤らみながら必死に堪える騎士講師の苦労に気付かないまま、プライドは更に教師へ畳み掛ける。
「実家ではお爺様の目が厳しくて。家は山の中で、周りにいる人は親戚以外みんな私よりずっと年上ばかりですし、同年の男性なんて滅多に会えないんです。でもどうしても私は同年が良いんです。このままじゃ一生恋もできません!」
「⁇親戚の二人は?ジャックもフィリップも親戚なら結婚できるだろ」
「二人は私の好みじゃありません」
決めていた台詞でズッパリと切り返すプライドに、カラムは本気で酸欠を起こしかけた。
しかしここで半端に空気を取り込んだら、また咳込み噎せ返ってしまうと必死に頭を冷やす。プライドが教師を躱す為の嘘だとは理解するが、実の婚約者候補への容赦ない言葉に彼ら二人には聞かれていなくて良かったと心から思う。肩をこれ以上なくプルプルと震わせ一人死にかけるカラムをよそに、プライドの話を聞く教師は「そ、そうか……」と気まずそうに言葉を返した。
「二人ともかなり良い男だと思うが……あの二人で駄目なら、本当に同い年で見つかるか?」
「わかりません。だからそれも含めてちゃんと卒業までに同年で素敵な人を探して恋もしたいんです」
完全にとにかく押し切ろうとするプライドはぐっと力一杯両拳を握る。
本気で探します!と恋しか頭にない少女を全力で演じ続ける。前世でも中学の頃、勉強よりもイケメンや恋にしか興味がなかった肉食系女子が多くいたことを覚えていた。前世では彼女達の言い分も学校に通い続ける理由に充分なっていた。
そんなプライドの発言が、普段の彼女を知るカラムにはだんだんと面白く聞こえてくる。今度は笑いが込み上げるのを、窓の外を眺める振りで背けて耐えた。あまりにもな恋愛至上主義の考えにも普通に答える教師に、彼は本当に真面目な教師なのだなと頭の隅で思う。
わかった、もう良い、勉学より恋人探しなんだな、と実際そういう生徒も、特にとある学年には一定数いる事実を知る中で、教師はとうとう諦める。女性とはいえ、折角の頭脳があるのに勿体ないと心の底から思うが、その為に折角の一生に悔いが残ったら可哀想だとも思う。勉学より恋人探しが本人の意思ならば仕方がない。山育ちという彼女には、恋もあわよくばの婿探しも深刻な問題なのだろうと考える。
「因みに……どんな男が好みだ?」
他のクラスに居たら教えてやろうかと、親切心で教師のロバートは尋ねてみる。
気が抜けすぎて、言葉遣いが砕け続ける教師にプライドは少しだけ視線を宙に浮かせた。うーん、となるべく何処を探しても見つからないような相手が良いと考え、そして選び抜く。
「……物語に出てくるような、素敵で格好良い王子様や騎士様なら」
「それは今から諦めろ」
もう行って良いぞ、と呆れたように溜息を吐き、ロバートは手を振った。
予想通りの反応にプライドはにっこりと笑うと「失礼します」と頭を下げて意気揚々と出て行った。廊下に出てすぐ「待たせてごめんなさい!」と待っていてくれた三人に謝るプライドは、今度こそ問題なくくぐり抜けられたという安心で胸を弾ませた。……職員室で一人、窒息しかけたカラムに気づかないままに。
プライドは庶民のふりを実は結構楽しんでいるのではないかと。カラムは本気でそう思った。




