Ⅱ26.支配少女は語る。
『ごめんなさい……ごめんなさい……全部全部お姉ちゃんが悪いの。ごめんね、ごめんねごめんね……』
顔を両手で覆い、泣き伏す彼女はあまりにも痛々しかった。
『お姉ちゃんさえ余計なことしなければ、こんなっ……こんなっ……』
きっと、あの悲劇はもう避けられている。
それでも彼らに定められた悲劇はきっとまだ終わっていない。
『姉さん、大丈夫だよ。僕は全然気にしていないから。だからもう泣か』
『ッッ触らないで‼︎‼︎』
泣き伏し、壊れきった彼女に掛ける彼の言葉は、彼女以上に痛みを孕んでいた。なのに、そんな彼が優しく伸ばした手を彼女は怯えるように拒絶した。
氷のように表情が固まる彼と、自分の発言に驚くように目を見開いた彼女がそこにいた。拒絶と絶望を携えて、彼女は大きな瞳から涙を零し始めた。
『あ……!あァっ……ごめっ、……ごめんなさい私っ……‼︎』
『ううん、僕の方こそ……ごめん、姉さん。わかってる、悪いのは僕だから』
違うの、違うの、違うの、と壊れたように繰り返しながら彼女は泣き噦る。
次に差し出された手を今度はぎゅっと握り返す彼女は、そのまま細い身体を躊躇いなく抱き締めた。嗚咽を繰り返し、泣き続ける姉を彼は一度も責めようとはしない。それどころか彼は、自分の全てを捨ててでも姉を守ると既にこの時には決めていた。
彼女の涙は止まらない。自分がそれだけ酷いことをしたのだと、彼を傷つけることしかできないという罪悪感が彼女すらも殺していた。ゲームが始まった時にはもう目もあてられないくらい。
何度も何度も自分を慰め、元気になるようにと祈ってくれた弟に彼女が最後に放った言葉はとても残酷だった。
『……⁇……、……ううん、大丈夫よ。……ごめんね、お姉ちゃんもう駄目みたい。……だってお姉ちゃんね、いまクロイちゃんが──』
「プライド。……話して、下さりますよね?」
コンコンッ、と扉を鳴らされてすぐのことだった。
返事をしてすぐに開いた扉から、元の姿で着替えを終えたステイルと一緒に近衛騎士のアーサーと、エリック副隊長と交代したカラム隊長が入ってくる。更には父上から休息時間を貰ったティアラも会いに来てくれた。既にステイル達から不穏を感じ取ったのか「お姉様……?」と不安げに声を揺らすティアラに、まずはただいまと笑いかけた。
時間通りに身体が元の年齢の姿になってから、専属侍女のロッテとマリーにいつものドレスへ身嗜みを整えてもらった私は、ソファーに掛けずに彼女らを迎えた。
私からの挨拶に胸へ飛び込んで返してくれたティアラの後、ステイルから本題を投げかけられた。
早く話を進めないと、この後はジルベール宰相と学校の打ち合わせと報告が待っている。何より、今の今まで下校からずっと待たせ続けたのだから気になるのは当然だ。
私はそれに頷くと、いつものように三人でテーブルを囲むようにソファーに掛けた。早速マリーとロッテが紅茶を淹れてくれる中、ステイルは「先ず……」と抑えた声色で口の前に両手を合わせ、前のめりになった。
「先ほどのクロイという少年。そして姉らしき女性について、何か予知をされたか、もしくは件の予知に関わるという判断で間違いはありませんか」
クロイ⁇とステイルの言葉にティアラは首を捻る。
ステイルは手短にティアラにも学校で出会った姉弟について説明をしてくれた。今日は学校に来ていないカラム隊長もステイルの話を耳をしっかりと傾けて聞いてくれていた。
『クロイ・ファーナムだけど』
攻略対象者の一人、第二作目の隠しキャラ。
第二作目ではルートは前作から一つ減って四つ。代わりなのか、ちょこちょこ前作キャラは登場する。そして隠しキャラルートは前作のジルルートと同じく、残りの三人を攻略した後に選べる特別ルートだ。
よりによって内容の薄い隠しキャラルートを最初に思い出すとは思わなかったけれど、お陰で少しラスボスについても思い出せた。……更に、もう一人の攻略対象者についても。だってゲームで彼は
王道攻略対象者とラスボス二人の従者だったのだから。
ゲームでは十七歳で、スラリとした体格と白髪に中性的な顔立ちで、冷たい眼差しと落ち着いた物腰の綺麗な青年だった。
話し方も攻略ルートに入るまではずっと敬語で、台詞の殆どは「畏まりました」と「仰せのままに」ばかりだった。
第一作目で言えば、女王プライドにとってのステイルに近いポジションだろうか。飛び級して三年のクラスにいる優秀な青年だった。そして同時に同じクラスでもあるラスボスの命令に忠実に従うミステリアスキャラだ。
全キャラを攻略すると、ゲームの冒頭でアムレットが校門前で彼とばったりぶつかる。そこで「お怪我はありませんか」と伸ばしてくれる手に選択肢で〝掴む〟を選ぶとそのまま隠しキャラルートに突入する。
「僕に関わらないで下さい」と最初こそ拒絶しながらも、段々と心を通わせていく中で「君のような女性は初めてです」「……僕も、昔はよく子どもっぽいと言われました」と少しずつ自分のことを話してくれるようになる。それから彼の秘密を解き明かしていく中で、従者としての仮面すら外し、本当の彼を見つけて愛してくれるのがアムレットだ。
「ッうるさい‼︎お前には関係ない‼︎」と突き放されても「知ったような口きくのやめてくれない?姉さんの、僕らの何がわかるっていうの」と冷たい言葉を浴びせられても落ち込まず、ひたすら真実と問題解決へと突き進むアムレットは本当に格好良かった。
顔が凄い綺麗だし、当時第三作目からゲームに入った私は彼が登場してすぐに絶対隠しキャラだろうなとわかった。というかプレイヤー全員にバレバレだっただろう。王道攻略対象者の彼のルートをやった時は違うキャラを隠しキャラかなとも期待したけれど、三ルート攻略した後は結局彼だった。
本当なら折角存在を思い出したもう一人の王道攻略対象者の方が、ラスボスを抑えるという意味でも最善手だし関わればいろいろゲームについてももっと思い出せそうだと思うのだけれど、今は絶対ファーナム姉弟の方が先決だ。それに、もう一人の攻略対象者の場合は現時点だと記憶を思い出せれば充分だ。今回は最優先は攻略対象者の記憶を思い出すことにある。
ステイルがティアラとカラム隊長に説明を終え、再び私に向き直る。
ロッテがテーブルに並べてくれた紅茶の香りに鼻腔をくすぐられながら、私はゆっくりと口を開いた。
「……予知を、しました。件の予知とは関係ありません。ですが、先ほど会ったあの姉弟も……とても危険な状態です」
着替えながら考え抜いて選んだ言葉を、ステイル達に告げる。
先ずはゲームで起こる学校の事件とは全く関係がないと誤解を防ぐ。隠しキャラである彼らは、全体ルートと殆ど同じ流れだけれど、彼らの秘密と過去を解き明かすのがメインだ。ゲームスタートまでの過去も、回避できているものもあれば手遅れなものもきっとある。アムレットが彼のルートに行かなければ彼らは救われもしないし、……今はきっと時間が経つごとに手遅れになる。
正直、今の状況を打開できない限りアムレットも待てない。せめて恋愛するなら状況を全て打開してからにして貰いたい。
予知、と宣言してからの私の発言にステイル達は息を飲む。
口を閉ざし、ティアラも驚いたように目を丸くして両手で口を覆った。「危険……?」とまだ会ってもいない彼らを心から心配してくれるティアラに私は静かに頷いた。
そう、危険だ。ゲームスタート時には既に引き返せないところまで来ていた彼らが、今はどんな状態なのか明確にはわからない。ただ、二人で去っていったあの様子から見てもじわじわとゲームの設定が彼らを蝕んでいると考えて間違いないと思う。
「それは、……これから何か事故や事件に巻き込まれるという意味でしょうか。それともアーサーが〝助けた〟姉の体調不良に関係が……?」
そう言って、含むようにステイルは眼差しだけでアーサーを指し示す。
階段でふらつき、倒れた彼女を落下から助けたという意味と、……アーサーの特殊能力を指してのことだろう。もし、ジルベール宰相の奥さんであるマリアのようにお姉様の病が原因だったらあの時に全ては解決している。確かにゲームでも彼女は殆ど寝たきりではあった。確か元々身体が弱かったと語られていた気がする。だけど彼女がゲームスタート時にそうなったのは、それだけが原因ではない。
アーサーからも一応お姉様に触れてから特殊能力を使った実感はどうだったか聞いてみたいけれど、今はカラム隊長やマリー達も居るし難しいだろう。それに現段階では単純に身体が弱いだけの彼女に、アーサーの病を癒す特殊能力はあまり有効ではないと思う。……ゲームの設定にあったあの〝後〟にも、効果があるかどうかはわからない。
アーサーもステイルからの視線の意味を理解したように一瞬目を大きく開いたけれど、その後は私達に首を捻って返した。アーサーは重病とかなら治した実感があるらしいけれど、大したことのない病相手だと直すだけで特殊能力を使った実感はないらしい。
今回もきっとお姉様も体調が悪かっただけで病気というほどではなかったのだろう。アーサーに抱えられた後は、弟と仲良く走って行くほどには回復していたし、効果が全くなかったわけでもないだろうけれど。あくまで病を癒す特殊能力者であるアーサーにその都度の体調を改善するなら未だしも〝体が弱い〟いう生まれ持っての体質改善は難しい。
そして、今回の問題はそこではない。私は全員の視線がまた私に戻ってから「いいえ」と首を横に振って答えた。
「どちらでもないわ。これは、彼らの問題だから」
そう、病ではない。問題は彼らだ。
頭の中でそれを再認識してから、一つ一つ説明を始める。〝予知〟と語れる範囲で、ゲームスタートまでに起こる彼らの悲劇とその凄惨な結末を。
私の話に今度はティアラだけでなく、ステイルも目を丸くした。アーサーが理解が追いつかないように口を俄かに開く中、最後の結末まで語り切った時にはカラム隊長の顔色まで変わっていた。
いま彼らに待ち受けているのは、あくまで彼ら個人個人の悲劇。学校には支障もない。それは話を聞いた誰もにわかることだった。わざわざ王族が出張るようなことではないとも思う。……それでも。
「そっ……それでは急がないといけませんっ!早く止めてあげないと」
最初に真っ青な顔でティアラが上擦った声を上げた。
隣に座る私の腕に両腕でしがみつき、潤みそうな金色の瞳をまっすぐ向けてくれた。……まさかゲーム通りだと、彼らの不幸がそれだけじゃ済まされないとは言えない。そのままティアラが「でしょう⁈兄様!」と同意を求めるて振り返れば、ステイルも眼鏡の黒縁を押さえながら「……事情はわかりました」と一度顔を俯けてから姿勢を正した。
「プライド第一王女が望むのであれば。それに、またジャンヌが単独で彼に詰め寄って火に油を注がれては溜まりませんから」
ぐう。
協力の意思を示してくれたステイルにほっとしながらも、最後の言葉に唇を絞る。
つまりはどちらにせよ、先程の行動は軽率だったのだと言いたいのだろう。確かにその通りだけれど、彼の設定を思い出した直後ではいてもたってもいられなかった。
ゲーム開始の三年前とはいえ、彼らがそうなるのが具体的にいつかはわからないのだから。もしかしたら今日かもしれない、もう遅いかもしれないと不安に急き立てられたら選べる行動は限られていた。
その直後、ステイルがぼそりと「手を上げたことは未だ許せませんが」と小さく呟いたのがうっすら聞こえた。どうやら私が殴られそうだったこと自体気にしてくれていたらしい。まぁ、あれは明らかに私が悪いのだけれど。
「私も状況は理解できました。しかし、どのようにお伝えするつもりでしょうか。プライド様の身分は彼らには伝えられません。王族の力である〝予知〟を語れば、すぐに正体が知られてしまいます」
眉を寄せながらカラム隊長も検討してくれる。
確かにその通りだ。今回は王女であることを隠さないといけない立場上、今までみたいに〝予知〟で本人を説得できないし、王族の立場すら使えない。彼らにとって私は意味わからないことを言うだけの一般生徒だ。
アーサーもカラム隊長の言葉にやっと状況を少し飲み込めたように小刻みに頷いた。あまりの事実にまだ全ては飲み込みきれてない様子だけれど。
アーサーの表情に、ステイルは改めて「つまり」と状況を簡単にかいつまんでくれた。アーサーは目が回るように白黒させながらも、取り敢えずステイルの説明で納得してくれた。言葉ごと飲み込むようにゴクリと喉を鳴らし、それから「ンじゃあ」とアーサーも遅れて口を開く。
「取り敢えずンなことするなって言うか、その必要を無くせば良いンじゃねぇのか?予知を言わなくても、それをしなけりゃァ問題ねぇだろ」
「彼らはそれを最善だと思ってやっている。しかも予知無しで俺達が知っているわけもない。つまり、指摘のしようもないということだ」
アーサーの案にステイルがすぐに切れ込みを入れる。
そう、私達が彼らの考えを知っていること自体おかしいのだから。今までは本人に予知と言えば納得してくれたけど、今はその伝家の宝刀も封じられている。
「まぁ指摘程度ならば、〝別の特殊能力〟を語ってなんとでも言い訳できるが、……そこで、素直に言うことを聞くかはわからない。躊躇う間に手遅れになることも充分あり得る」
ステイルのその言葉を最後に全員がそれぞれ考え込むように沈黙した。
ティアラが首を傾けながら「ジルベール宰相を呼ぶのはいかがでしょう?」と提案してくれる。それにステイルは不満そうに眉を寄せたけれど、私はすぐ同意した。
策士のステイルさえ打開案が見つからない様子だけれど、同じくらい頭の良いジルベール宰相なら他に案を考えてくれるかもしれない。策に関してはステイルが上でも、ジルベール宰相なら見事な手腕で最適なー……、……最、適な…………。
「………………あ」
思い、ついた。
我ながら絶対間抜けな顔で口をぽかりと開けながら、一音だけ漏らす。
どうしました?お姉様⁇とすぐさま気が付いて心配するように顔色を伺ってくれる彼らに振り返る。第一作目の狡猾女王だった頭が、一つの打開策を閃いてくれる。
「……居るわ。絶対に手遅れにしない人」
たった一つの対抗策。
彼らを止めることはできなくても、悲劇を止めることはできるかもしれない。
そう思って呟いた言葉にステイルは眉を寄せ、それから「!あぁ」と同じように声を漏らした。私と同じ事が思い付いたように目を合わすと「確かに」と腕を組んで頷いてくれる。ステイルのお墨付きなら安心だ。
何を思いつかれたのですか?と聞いてくれるティアラを筆頭に、気になるように瞬きもせずアーサーとカラム隊長も私に視線を集中させた。
それから今頭の中で思い付いた案を話す。すると最初の一言にカラム隊長が今度はわからないように首を捻ったし、ティアラは目を暫くぱちくりさせた。詳しく話そうと思ったところで、……そういえば二人はその事情を知らないと思い出す。なら、私から話すのは悪いかもしれない。
アーサーはその最初の一言だけで、少し納得してくれたようにゆっくり頷いてくれたけど、そこで一度私は言葉を止めた。「とっ、とにかく」と私は言葉を切り、カラム隊長とティアラには具体的な説明はできないことを謝り、ソファーから早速立ち上がる。善は急げ。その為にも先ずは交渉だ。
「セドリックに会いに行くわ!多分彼も学校から帰って来ている頃よね?」
ええ恐らく。と、ステイルが私に並ぶように立ち上がった。
近衛兵のジャックに馬車の手配と衛兵にセドリックの元へ訪問する許可をと伝言を頼んだ。ジルベール宰相に打ち合わせを少し遅らせて貰うようにも従者に伝言をお願いする。忙しい合間に時間を作ってくれるのに申し訳ないけど、今はこちらを優先したい。
それから同じ王居に住んでいるセドリックが快諾の返事を返してくれるまでもなく、自ら馬車で私達の宮殿まで交代の時間になったアラン隊長と共に足を運んでくれたのは、一時間もしない間のことだった。
まさかの逆訪問に私達は慌てて玄関へと急ぐことになった。




