留まり、
「私からの話は大方済んだ。あとの面倒はお前が見なさい。」
ヴェストのまるで問題児を相手にしているかのような扱いに、プライドは僅かに口の端がヒクついた。
ヴェストからすれば、ヴァルも充分子どもの範囲内なのだろうと思えば流石としか言いようがない。ヴァルも自分が子ども扱いされたのを感じたのか、元々鋭い眼差しを更に尖らせたがヴェストは全く気にも留めなかった。
現在地を計算しやすいように徒歩と同じ速度までヴァル に地面の動きを遅くするように命じた後、滑り流れる足元の一番後方まで下がった。距離で言えば五メートル前後の距離でヴェストは地面を払ってから腰を下ろす。
ランプを地面に置き、方位磁石と地図を見比べながらどの程度まで退がるか考え出す。もうヴァルに興味は無いと言わんばかりの反応は、暗に「私は見ているが、後は楽にしていなさい」と語っていた。
ヴェストなりの配慮だろうと思いながらプライドは小さく息を吐く。掴んでいたヴァルの腕から手を離し、それから自分もゆっくりと地面に膝をつけた。足元を手で払い、なるべくドレスが汚れないように留意しながら腰を下ろす。
ベルトコンベア以下の速度で滑る地面に運ばれながら、「貴方も座ったら?」と未だに佇んだままのヴァルを上目で見上げた。
プライドに促され、仕方なくヴァルもどっかりと地面に腰を下ろす。座った後もまだ不機嫌な様子のヴァルは二度目の舌打ちをこぼすと自分の組んだ足に頬杖をついた。苛々と舌打ちを繰り返し、牙のような歯を剥き出しにする姿にプライドも小さなため息と共に肩を落とした。きっと、あの場で不敬が許されていたら、子ども扱いをしてきたヴェストへ「アァ?!」の唸りの一つはもらしていたのだろうなと思う。
焦げ茶色の髪ごと頭を強く掻き、「クソが」と一人悪態ついたヴァルにプライドはなんだか申し訳なくなった。自分がヴァルに今回の仕事を頼んだこともあるが、もとはと言えば自分が女王の部屋からの隠し通路を使用したり拷問塔を破壊しなければこんな面倒をかけることもなかったのにと思う。
「ごめんなさい、ヴァル。必要以上に特殊能力を……。」
「テメェの為じゃねぇ。」
ひと言で断じるヴァルに、それはわかっているとプライドは思う。王族に彼は嘘をつけない。ならば先の彼の発言通り、自分がノロノロ遅い所為で業を煮やしさせてしまっただけだ。だが、それならやはり悪いことをしたと思う。
肩を丸くして反省するように俯くプライドに、ヴァルは一瞥してからまた舌打ちをした。どう言ってもコイツはそう捉えやがる、と頭の中で悪態を吐く。プライドを奪還してからどうしようもなくそれだけが気にくわない。
掘り進んで来た道を一定の緩やかな速度で戻りながら、沈黙が流れる。
適当に軽口でも叩こうとしたが、背後には面倒なヴェストがいる。そしてプライドもプライドでヴェストからの問答が続いた彼はもうあまり会話はしたくないだろうと意識的に黙り込む。怒られていない筈なのに、気が付けば正座をしてしまっていた。
お互いに視線を逸らし、過ぎ去っていく石壁の流れを眺めながらヴェストからの合図を待つ。
大分時間が経過した頃、懐中時計を開いたヴェストは「この辺で良い」と声を張った。命令通り、ヴァルが一度足元の地面を止めればヴェストは方位磁石と地図を照らし合わせ、目的地への直線ルートを確認する。本来ならば岩の硬さなど微調整の為にぐねぐねと道を曲げさせたり、迂回するような道を考えなければならない。しかし、ヴァルの特殊能力であれば直線距離も可能だろうとヴェストは判断した。
今まで通ってきた道から斜め向こうの岩壁を指差し、ヴェストは「ここを突き抜けるまで真っ直ぐだ。速度は好きにすれば良い」と指示を出した。その途端、危険を感じ取ったプライドはすかさずヴァルの腕を掴み「最高でも馬車程度の速さまでにして下さい‼︎」と叫んだ。そうでなければ、今の鬱憤が溜まっているヴァルは間違いなくジェットコースター移動を始めると確信する。
プライドの推察通り、一気に最高速度までぶち抜こうとしていたヴァルは舌打ちし、それから仕方なく馬車程度の速度で地面を滑らしながら石壁へと突入した。目の前が壁になっているにも関わらず、持ち上がった地面が滑り、衝突するかと思ったところで壁が道を開けるようにしてボコボコと変形しながらトンネルを構築した。ぶつかる筈なのに寸前で突き抜ける光景に、プライドは前世の3D映像のようだと思う。
ぽかんとした様子のプライドの横顔を目だけで眺めながらヴァルは頭を掻いた。さっきまで腹を立てていた筈なのに、間の抜けたその顔を見た途端に気が削げてしまった。プライドに腕にしがみつかれたまま、その腕で頬杖をついたヴァルはうんざりと息を吐く。気持ち的にはもう暫く腐っていたかった。
「…………よりによって一週間前なんざに呼び出しやがって。」
低い声で吐いた言葉は、思い付いたままの不満だった。
取り敢えず言葉にして愚痴りたかったヴァルの発言に、プライドは目を向けてから「一週間前だからです」と言い切る。それに対し、ヴァルが睨む。
「しかもどうせ前日にも呼び出してんなら、纏めてその日で良いじゃねぇか。」
「式典前日にこんな大掛かりな作業は私もヴェスト叔父様も不可能です。つい先日祝勝会があったばかりですし、五日後の配達人業務再開に合わせて状況的にも体力的にも落ち着いた日を叔父様が選んで下さりました。」
またあの摂政か、とヴァルは食い縛った口を不快に歪めた。
仰け反るように顔の角度を変えて背後をみれば、ヴェストが未だに地図と方位磁石の確認に余念がない。まったく自分の方に注意を向けていないヴェストに、自分の姪がどうなっても良いのかと本気で言いたくなる。
この場にいるのがステイルや近衛騎士であれば、今も自分達に鋭い眼差しを向けて来ただろうと思う。だが、ステイルの上司だと思い出せば、すぐに認識を改めた。食えない相手ほど、喧嘩を売れば面倒な事になることをヴァルはよく知っている。
「クソ摂政が。」
ヴァルの吐き捨てた独り言は、ヴェストには届かなかった。
不敬を禁じられているヴァル自身、意図的にすら届くようには言えない。それでも悪態をつかずにはいられない彼にプライドは自分の認識が甘かったと反省した。だが、そうして文句を言いながらも一度も「もう止めだ」の一言は言わないことに心の底から感謝する。彼にもしそれを言われたらとても自分は強制できる立場じゃない。
ダンスの時といい、自分の我が儘に付き合ってもらってばかりな気すらしてくる。何か感謝や謝罪の意だけでも示せれば良いんだけれど、と思えばダンスの時の彼の言葉が頭に巡った。
『詫びなら腐る程聞いた。あれ以上は要らねぇぞ』
……そうだった。謝罪すら迷惑なんだった。
思い直し、反省する。自分でもここ最近は謝るのが以前にも増して癖になっていると思う。だが、考えても自分が犯した罪は消えないし許されないし無かったことにもできない。ならば出来る贖罪なんて彼女の思いつく限りは限られていた。
ちょこんと座ったまま、不機嫌ながらも手伝ってくれているヴァルへどう言おうか身動ぎ一つせずにプライドは考える。ヴェストはいい人だから大丈夫と断言した手前、今こうして二人が気まずいのはどうにも騙したみたいで居た堪れない。
だが、そうしている間にも一人置物のように固まって黙り込んでしまったプライドにヴァルは更に苛々を募らせていた。彼女が眉間に皺を寄せているだけで、自分はその倍眉間に皺を刻みたくなる。酒でも仰げば気が紛れたが、今の手持ちにはない。今更になって仕事を受けなければ良かったとも思うが、放り出す気にもなれなかった。実際、既に何度か「ここまでだ」と断ろうとはヴァルも思った。しかしその度に頭に過ぎるのは
『やっぱり私の責任だから』
自分に依頼を投げかけてきたときに放った、プライドの一言だった。
いつまで経っても狙っているわけではなく自分に刃を向ける話しかしないプライドに、ヴァルは早々と嫌気が差していた。テメェは操られてたんだろ、責任なら皇太子に取らせたんじゃねぇのかと、言いたいことは山ほどあったがそれを口にする気にはなれない。ただ、彼女から一つでも〝私の所為で〟とその言葉を発する要素を取り除けるならば、手段も選んでいられなかった。それほどにヴァルにとってプライドの自責の言葉は不快だった。
ジロリと鋭い眼でプライドを無言で睨みながら、考える。これほど自責の念に鬱陶しいほど憑かれているプライドに、一体どれだけの無茶が通るのだろうかと。
一度は全ての許可すら許された。いっそ何かとんでもない注文をつけて、それをプライドに叶えさせれば彼女の気も済むんじゃないかと考える。しかし、自分を全命令下から解放した彼女にそれ以上があるとは思えない。いっそ、一夜を奪わせろとでも言ってやるかとも思ったが、今の彼女はなら本気で首を縦に振りそうで逆に言えない。彼女の自責の念はいっそ〝弱み〟ともいえるほどに鋭利に彼女を突きつけている。それを使って彼女を手に入れたところで誰よりも納得いかないのは自分だろうとも思う。
……いっそ、もう駄目だって喚いて泣いて逃げちまえば良い。
足りない頭で考えすぎて、そんなことまで願ってしまう。
自責の念をそのまま背負いながら、それでも第一王女として勤める姿は滑稽にも痛々しくも、美しいとも思う。しかし、もっと楽な生き方をしろとも言いたくなる。たとえば、第一王女だの反乱の責任だの全てを放り出し、彼女のことを誰も知らない国へ逃がすのも選択の一つだと。
そこまで考えた時、ふとひと月にこの依頼を受けた時彼女から放たれた別の言葉を思い出す。もし、ティアラに王位を譲り、自分が国外から追い出されることになったらどうするか。
『死ぬどころかヴァル達と一緒に身分落ちでもと思ったくらいだもの』
最初聞いた時は、耳を疑った。
二年以上前の話をそこで蒸し返されるとは思わなかった。何より、覚えてられていたことに驚いた。
あの夜の事は、ヴァル自身一度も忘れたことはない。しかし、プライドが覚えていることも、更には本気にしていることも最初から期待はしていなかった。彼女が覚えていなくても、自分は勝手にそうするつもりだったのだから。
……あの夜のことを、本気で受け止めていやがった。
一度は、断られた。「もう少し頑張ってみる」と簡単な言葉で。
数十年後にでも自分がまだ生きていたら蒸し返してやろうと思っていた言葉を、たった数年でプライドから返されるとは思わなかった。
しかも彼女はヴァルの言葉を受け止めた上で、当然のようにその話に乗るつもりだった。自分が言うべきだった台詞をプライドに盗られたことは少し腹立たしくもあったが、怒りとは関係なく首から顔まで熱が上気しかけた。すぐに顔を鷲掴んで俯いたが、手が強張り、考えないようにすることで限界だった。
彼女は本気で、自分と〝共に生きるのも良い〟と思ってくれていた事実は充分過ぎる揺さぶりだった。まさか当時は自分がプライドに揺さぶりをかけるつもりで放った言葉を百倍にして返されるとは思わなかった。しかも、その後にプライドが語った言葉はどれも色気もなにもない単なる小旅行のような感覚に聞こえたが、話を聞いて〝それでも悪くねぇ〟と思ってしまう自分にも戸惑った。
たとえ、プライドを何処まで連れ去ろうとも間違いなくステイルやアーサー達は付いてくる。しかし、間違いなく今の〝婚約者候補〟からプライドを奪えると思えば充分な利点だった。少なくとも自分の大嫌いな鼻の付くような王族にはプライドは奪われない。
ひと月前のプライドからの言葉を思い出せばそれだけで心臓の音が無駄に耳を鳴らす。
あの夜、自分は一度は断ったプライドから返事も聞かずに去り、そしてひと月前は身分落ちして一緒に来ようと考えていたと宣言したプライドに彼は返事をしていない。そして、互いにそれを言及することもなかった。
「…………」
そんなことをぐだぐだと考え始める中、置物状態だったプライドが顔を上げた。
ヴァルの視線に気づくように目を向け、数回瞬きを繰り返す。睨まれているにしては、いつの間にか視線の鋭さがなくなったそれに、どうしたのかしらとプライドは思う。
小首を傾げ、無言でヴァルの反応を待つが彼からは何も返ってこない。頬杖をついたままじっとプライドを見る目は言葉を今発するべきが考えあぐねたまま彼女に縫い付けられていた。
ヴァルより先に少し考えがまとまったプライドはそっと彼へ手を伸ばす。突然のことに僅かに眉の間を痙攣させたヴァルだが、それ以上は動かなかった。プライドが何をするつもりかとそっちの方に意識が向き、無言のまま視線を彼女の右手に移す。
プライドはそのまま躊躇いなくその手をヴァルの頭の上に乗せた。ダンスをしてから一週間も経っていないにも関わらず、いつもの堅い髪質のままざらつき、チクチクと固まった彼の髪を潰すように手を置き、髪の流れにそって撫でた。
意図が読めず固まったまま目を皿のようにするヴァルに、突然は気安かったかなと思う。しかし手は止めずそのままプライドは囁くように投げかけた。
「……ありがとう。本当に返しきれないくらい感謝しているわ。」
いくら思い返しても、気がつけばヴァルに何度も助けられていると思う。そしてヴァルの助けのお陰でもう一歩自分が前に進められたことも一度ではない。
そんな彼に謝罪の言葉以外でも気持ちを伝えられる方法はと、プライドが考えるに考え抜いた結果。彼女が今のヴァルに返せるのは、自分が受けて嬉しかったことをそのまま彼に返すことくらいだった。
今までヴァルがそうしてくれたように頭を上から撫でてみれば、反応は薄かった。目を丸くしたまま硬直する彼に、もしかして自分にまで子ども扱いされたのがショックだったのだろうかと考える。誤解を解くように「私がして貰えて嬉しかったことを返したくて」と続ければ、硬直したままヴァルの思考が一度止まった。
直後には噴き出るように思考だけが激流したが、第一に思ったことは「わかってて煽ってやがんのか」だった。心臓の音を気のせいだと思おうとしたところでこの攻撃はいっそ嫌がらせだと思う。
重たい口を動かして、彼女の言葉に自分からも返す。口にしようと思った瞬間、早く鳴り始めていた筈の自分でも驚くほど心臓音がゆっくり鳴った。
頬杖をついた方とは反対の手を伸ばし、自分の頭を撫でるプライドの手をそっと指先からゆっくり触れ、許されていることを確認するようにして掴む。細く白い彼女の指を包むように掴み、視線だけを彼女に刺した。
「ならもっと命じろ。……テメェの欲のままに。」
命令されたい。欲しがられたい。振り回してくれても構わない。
他ならないプライドにだけはそう思う。
彼女が女王になることを望み、国や民に尽くしたいと願い続けるのならば力を貸したい。そしてもし全てを放り捨てて自由になりたいと願うのならば、……その時は。
ボコォアッ
不意に、瓦礫の鈍い音と共にヴァルとプライドへ陽の光が差した。
音よりも突然の陽光に目を窄めるプライドとヴァルは互いに手を離し、顔や目を光から覆った。普通の陽の光だが、長時間暗闇にいた彼らには眩しすぎた。二人の背後に控えていたヴェストも、そろそろかとは思っていたが一気に大量の光を浴び、視界が白くなって眩んだ。「抜けたか」と一言呟いてから、一度光に慣れるまで暫く目を瞑った。
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