676.破棄王女は歩き、
「そこ。足元を気をつけなさい、プライド。」
良く知った声が、彼女を呼ぶ。
はい、と言葉を返しながら、プライドは壁に手をついた。
いつも歩く整えられた足元ではなく、酷く凹凸の激しい道だ。人が並んでも二人程度しか歩けない道幅な上、明かりは各自の手荷物ランプしかない。天井も城内とは比べ物にならないほど低く、まるで洞窟のようなそこは閉所恐怖症の人間であればひとたまりもないだろうとプライドは思う。
自分に掛けられた声が木霊するように響く中、言われた傍から彼女の足元がうっかり暗闇の中でつんのめる。「あっ」と声を漏らした途端、同時に先方を歩く二人が自分に振り返った。しまった、言われた傍からと反省しながらプライドは苦笑いを二人に返した。
「大丈夫です、ヴェスト叔父様。ヴァルも気にしないで。」
そう言って前方を歩く二人、摂政のヴェストとヴァルにプライドは軽く手を振った。
宮殿からそのまま移動した為、長歩きに適さない靴で来てしまった。いっそ靴を脱いで歩ければと思うが、ヴァルの前でならば未だしもヴェストの前でそれはできない。
午前が過ぎ、プライドが昼食を終えた頃。ベイルの店から直接その足で城に訪れたヴァルは、プライドと合流してすぐに王宮へと向かった。
セフェクとケメトをティアラに任せ、ヴァルから受け取った分厚い紙の束を片手に彼を睨むステイルと、更には近衛騎士であるアーサーとカラムをもプライドは〝扉〟の外に待たせることになった。ヴェストが待ち構える扉の向こうへ消えたプライドとヴァルに待たされる彼らの不安は尽きなかった。
ヴァルへの仕事依頼。その内容は第一王子のステイルすらも知り得ず、そして〝予想も〟つかなかった。
その理由の一つは、彼らが消えた扉の向こうにあった。そこは城の外れでもなければ、城外でもない。広い城内の中でも間違いなく、最も限られた人間しか入れない場所だったのだから。
女王、ローザの部屋。
王室の中でも最も重きを置かれたその部屋に、ヴェストとプライドだけでなく元罪人でもあるヴァルが足を踏み入れることは通常あり得ない。
先に部屋で待ち構えていたヴェストへ平伏することになったヴァルだったが、すぐに平伏以外も許された。そして彼らが早速そこから足を運び進めたのは、他ならない女王の私室からの隠し通路だった。
ヴェストとプライドの手により段取り通りに手順を踏まれた入り口は内側の仕掛けを壊されていた為、それでも開かれなかった。その為、早速ヴァルが特殊能力で強制的に入り口を抉じ開けることから作業は始まった。
奪還戦でプライドが使用した隠し通路。それこそが今回ヴァルに任された依頼だった。
プライドを通して依頼を受けたヴァルだったが、女王の緊急用の隠し通路という機密性の高い依頼はケメトとセフェクどころか、ステイルにも関わることは許されなかった。
関われば間違いなく女王の隠し通路の存在のみならず、その隠し場所から抜けた先がどこに通じているのかまで知られることになるのだから。本来であればその存在を知れるのは最上層部三人と次期王位継承者のプライドのみ。だからこそ、なるべく短期間少人数で完璧に隠し通路を開通させることができる人材が必要だった。
「報告で聞いた時は信じられなかったが、この手並みならば城門前に大穴を開けたというのもやはり事実らしいな。」
「…………。」
奪還戦中、途中までは意識を失っていたヴェスト達だが、その後には騎士からの報告でヴァルの活躍も知っていた。
ティアラ、セドリック、アネモネ王国の援軍。彼らと共に現れた配達人が国門前の敵軍を大穴に沈め、その後も武器の補給を援助し、地を走らせて城中を駆け巡っていたと。
裁判や配達人導入の際に、ヴァルの特殊能力についても大まかに知っていたヴェストだが、その予想を上回る報告だった。そして、そこまで優秀な特殊能力者ならば女王の部屋からの隠し通路を改修することも容易なのではないかと考えたのもヴェストだった。
拷問塔の崩壊から、当然ながらその地下へと続く隠し通路も爆破の衝撃で埋まってしまった。もう作り直す必要のない過去の遺物へ避難経路を繋げるわけにもいかない。それならば城内にある他の建築物へ新たに繋げる方が賢明だった。そういう時の為に、使われずに放置されている建築物は多くあるのだから。また、もう一つの通路に関して崩壊の影響がないか確認する必要もあった。
今日一日で行うべきは、隠し通路の改修工事。新たな通路構築と安全確認。そしてこれまでの通路の〝完全閉鎖〟と〝最終確認〟だった。
拷問塔から繋がっていた通路に関して、万が一の為にもヴェストは即刻一部の騎士に命じて〝出口〟から極秘調査を行わせたが、消えたアダム達は最後まで発見されなかった。残す可能性は、跡形もなく潰れたか、崩壊した通路内に埋まっているかのみ。
そして最終確認を終えた彼らは改めてアダム達の死体を発見することはなかった。
ヴェストの指示の元、拷問塔があった地点の真下まで掘り進んだが、あったのは崩壊した塔の瓦礫破片のみ。確認を終えたところで、ヴァルの特殊能力で古い通路は二手に分かれる時点から可能な限りどちらも埋め立て、完全閉鎖を完了させた。
そして今、彼らはとうとう新たな通路の為の改修工事へと進み始めたところだった。
地図を持ったヴェストの指示の元、ヴァルは特殊能力で進行方向を次々と掘り進めた。のっしのっしと歩くヴァルを招くように、目の前の土壁が道を作っていく。想定以上に円滑に進み過ぎる改修工事はヴェストにとっては嬉しい誤算だった。
他の人間を雇い、大規模な改修工事を秘密裏に行うことも可能だが、期間も年単位で長くなる上、極秘調査に関わった騎士達と同様に隠蔽を考えてもあまり大人数をヴェストは雇いたくなかった。
「素晴らしい特殊能力だ。前科者でなければ城で正式に雇いたいくらいだ。」
「…………。」
プライドに対しては普段通りに話せるが、規則に厳しいヴェストには不敬も許されない。
王族であるヴェストが、それをプライドに許可させなかったことに関してはヴァルも大して驚きも不満もない。むしろ、それが王族として普通だと思う。しかし、彼にとって何より厄介なのは
「そのまま直進で良い。それで、その連れの子ども達はお前が世話をしているのか。」
「いえ……世話はしておりません。」
げんなりと。
ヴァルはヴェストからの言葉にまた答えた。低く平坦な声で放たれた言葉はいつもの彼からは考えられない整った言葉だった。
作業を進めてからというものの、一方的にヴェストからヴァルへの質疑応答が続いていた。「いくつか質問がある。全て答えなさい」というヴェストの一言から始まったそれは質問内容すら厄介だった。せめて配達人業務中のように無言を貫かせてくれれば良かったが、強制的に尋問される。
整えた言葉を使うこと自体かなり苦痛だったが、自分の個人的なことや奪還戦でのことまで事細かに聞いてくる。プライドに秘匿の権利を得ておいて良かったと心からヴァルは思った。そうでなければ軽い嘘で誤魔化すことなどとてもできない。まさか本当の狙いは罪人である自分の取調だったのではないかとすら考える。
「ならば何故連れ歩いている?」
王族であるヴェストにヴァルは嘘をつけない。
普通ならば絶対に答えないその問いにも、ヴァルは一言で即答した。背後を歩くプライドには聞こえないようにと細心の注意を払い、声だけを潜める。
その答えが少し意外だったようにヴェストは声を漏らした後、また「利益目的ではないならば良い」と呟いた。ケメトの特殊能力を知らないヴェストに、本音を言えば〝あんなクソガキ共をどう見れば利益があるように見えやがる〟だったが、その言葉すら整えさせられる今は口を噤んだ。表情だけは正直に不快を露わにしたヴァルは、さっさと仕事を終わらせるべく気づかれない程度に足を速めた。それでも構わず自分へ問いを続けるヴェストに歯嚙みをしながら、更に奥へと進む。
そして足がじわじわと速まる二人に、プライドは当然更に置いていかれていた。
各自一つずつランプを持っているから問題はないが、心細さは強い。歩きに歩き続け、城内のとある建物の真下まで辿り着いたところで、やっと二人の足が止まる。振り返られて自分が待たれていることに慌ててプライドは踵の高い靴で駆け出した。ヴェストから「慌てなくて良い」と言われたが、それでも急いでしまう。
プライドが二人の背後まで辿り着いた時には、ヴェストが計算通りの位置かの確認を始めているところだった。ヴァルに真上へ向かい大穴を開けさせた後、そこから建物の内部を見上げる。予定通り、城内の隠し通路を開通させることができた。
さて次で最後だと。とうとう最も距離のある、城より遥かに遠い〝外〟へ続く道を作るべく、「途中まで来た道を戻るぞ」と声を掛けたヴェストが踵を返そうとしたところで
「……プライド。少し疲れたか。」
背後で何度も足を投げ伸ばし、摩るプライドに目を向けた。
体力的には問題ないが、泥汚れ一つなかった女性靴で歩いていた為に足だけが疲弊した。だが、王女として奪還戦の時のように裸足で歩いたり、はたまたちょっとした寛で疲れたと言って将軍に自分を運ばせるなどできるわけもない。
ヴェストの投げ掛けに「いえ、大丈夫です」と笑ってみせたが、それで誤魔化されるヴェストではなかった。だが、プライドからすれば靴と足場の悪い道が辛い程度の自分よりも、長時間ヴェストの一対一面接を受けさせられながら開通工事をするヴァルと、地図と方位磁石だけで正しい位置を把握して指示を飛ばすヴェストの方が重労働だと思う。自分はただ、ヴァルの主として背後についているだけだ。
脹脛を何度も摩りながら手の中のランプを揺らすプライドに、ヴェストは一度休憩か日を改めるべきかと思案し
ボコリ、と足元が持ち上がった。
⁈と、妙な感覚にヴェストは息を止めて足元を凝視する。
何かを踏んでいたのかとランプで照らすが、地面しかない。代わりに先程までより足場が数センチほどボコボコと上がっているようだった。突然のことに短い悲鳴を上げたプライドが危険を感じ取り、ヴァルの腕にしがみつく。
そうしている間にも足場は地震のようにグラつき、ヴェストがヴァルへ顔を向けた時には足場が緩やかに滑り出した。ジェットコースターのような速度ではなく、ゆるりとした速さで進むそれは、プライドの前世でいえば自動歩道のようだった。一歩も動かず佇む三人を、ベルトコンベアのように運んでいく。
これは……とヴェストが信じられないように呟けば、ヴァルが誰へでもなく舌打ちをする音が響いた。
ヴァル!と高速移動ではなかったことを安堵したプライドだが、直後には彼の舌打ちを注意しながら彼の腕を引く。さっきまで最低限ヴェストへ自分の特殊能力を隠していた彼が突然使い出したことにも驚いたが、彼に舌打ちなんてしたらヴェストが良い顔をしないこともプライドはよく知っている。ヴェストに向けてのものでなくても、決して行儀の良いものとは言えないのだから。
しかしヴェストは舌打ちよりも、ヴァルの特殊能力の方が遥かに今は気になった。これが報告にあった高速の移動方法かと考えながら、こんなことまで出来たとはと驚く。見開いた目でヴァルを見れば、彼はその視線から逃げるように顔ごと逸らした。プライドがヒヤヒヤと強張らせた顔で二人を見比べる。
「……何故最初からこれを使わなかった?」
そうすれば、ここまで自分達も歩く必要はなかった。
外交以外は書類仕事が主であるヴェストも、長距離を歩かされて全く疲れていないわけではない。長距離を歩いてもどうとも思わないのはこの場でヴァルだけだった。
ヴェストからの問いに嘘偽りもできないヴァルは、間髪入れずに理由を答える。ヴェストに特殊能力について出来る限り隠す為。そしてさっさとヴェストが歩き疲れれば、不愉快な質疑も止むと思ったと。
言葉こそ契約の為に整えていたが、理由が完全にヴェストへ喧嘩を売る事案となった。思わず慌ててプライドが「ちょっと!」と彼の腕を引いたが、ヴァル自身も今回は言いたくて言っているわけではない。
悪意剥き出しの発言に、ヴェストは「成る程」と顔を顰めるとヴァルとプライドを交互に見比べた。本来ならば王族の不敬罪にも値したが、今回は命令で嘘偽りができなかったのだから仕方がないと大目に見る。代わりに別の問いを投げ掛けた。
「突然使うことにしたのは、プライドの為か?」
「……。」
少しの間の後にヴァルは、プライドがのろのろと背後に遅れてくるのが鬱陶しかったと答えた。
言葉は整っていても、間違いなく悪意しかないヴァルの答えにヴェストはまた眉を寄せる。訝しむように見つめ、数秒間思案した後に結論付けた。
ゴホンッと一度咳払いをした後、視線をプライドに投げる。ヴァルの暴言の数々に肝を冷やしたプライドもすぐに気付きヴェストへ顔を上げた。すると「プライド」と短く呼ばれた後、目の前でヴァルの肩が叩かれる。
「私からの話は大方済んだ。あとの面倒はお前が見なさい。」
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