675.配達人は立ち寄る。
「!悪いがまだ準……、…………。」
店の扉が、開かれる。
それに気付き、開店準備中に振り返った男は途中で言葉を止めた。咥えた葉巻を開いた口から落とし掛ける。
両腕に刺青を施したその男は、丸くした目で扉からの客を凝視した。棚に収めようとした両手の酒瓶をカウンターに一度置き、落としかけた葉巻を指で摘む。そのままいつもの癖でまだ吸い途中だったそれを灰皿に押し付けた。重度喫煙者である男だが、その客が来る時だけはいつの間にか葉巻を吸うのを控えるようになっていた。
フー……と一息吐き、それからカウンターに両手を付いて彼は正面から客を見やった。
「…………生きていたのか、ヴァル 。」
「よォ、ベイル。テメェこそ店は残ってたみてぇだな。」
ヒャハハッ!と軽く笑いながらヴァルは片腕を上げて見せた。
彼より先に店へ飛び込ぶセフェクとケメトが「久し振り!」「ベイルさんお久し振りです‼︎」と声を上げながらいつものテーブル席にかけた。そのままメニューを二人で片側ずつ手に取り、どれを頼むかと早速吟味し始める。
二人が席に着くのと殆ど同時に、ヴァルもカウンターに腰掛けた。ずしりと詰まった荷袋を降ろし、棚にしまう筈だった酒瓶を無断で開けた。栓をカウンターに転がし、酒瓶に直接口をつける。
「もう数ヶ月ぶりか?てっきりどっかでのたれ死んだかと思ったよ。」
雑に伸び出した短髪を額から頭に巻いた布で纏めた男は酒場の主人であれ。
地下の隠れ酒場であるそこはヴァル達の行き着けの酒場でもあった。にも関わらず、彼らが酒場に訪れたのは実に数ヶ月ぶりだった。ティアラの誕生祭以降、一度も彼らはそこに足を運ばなかった。
裏稼業の人間も多く行き来している酒場の店主からすれば、そういう人間も珍しくはない。ただし、その原因は単に足を運ばなくなったではなく、捕まったか死んだかだ。
第一王女であるプライドの病以降から、ジルベールからの催促がなかったこと自体はベイルもまだ納得できた。王女が病に伏している時に他の裏稼業の相手などしている暇がないのだろうと。しかし、奪還戦まで起き、勝ったその後も変わらず音沙汰がないヴァル達に死を疑わない理由などなかった。
せめてまたジルベールが酒場に訪れることだけはないようにと願いながら、……若干彼らの死に引っかかかりもあった。少なくとも、他の客のように来なくなったことを「またか」と思って片付けることができない程度には。今も彼らが平然と戻ってきたことには驚きだが、それ以上に安堵してしまっている自分もいる。
「色々と面倒が多くてな。」
そう言いながらグビリとまた酒で喉を鳴らすヴァルの背後でケメトが「お肉を下さい!」と手を上げる。更にはセフェクが「ジュース!」と叫べば、ベイルはフライパンを温めながらグラスに果汁を注ぎ出す。
「一体何処に行ってたんだ?家族旅行にしても長すぎると思うがね。」
ほらよ、とジュースが注がれたグラスを二つ、カウンター越しにヴァルへと放る。するとセフェクが立ち上がると同時にヴァルがグラスを一つずつ空いている方の手で背後に回した。セフェクが両手で二つのグラスを持って再びテーブルに戻れば、ケメトが嬉しそうに一つを受け取った。
ベイルの言葉に、旅行じゃねぇと断るヴァルは一度酒瓶から口を離した。舌打ちをしてから面倒そうに顔を顰める。旅行と言うにはあまりにあの日々は居心地の良いものではなかった。
保護されていたアネモネ王国でレオンからの待遇はもちろん良かったが、プライドのことを考えればただただ胸糞の悪い日々だったとヴァルは思う。
「野暮用だ。……別に大して変わらねぇ。」
そうかい、と敢えて多くを語ろうとしない彼にあっさりとベイルは身を引いた。
どんなに自分が気になろうとも、踏み込めば面倒になることも長年の経験でわかっている。油を注ぎ、肉を三枚乗せればフライパンからジュワッと一瞬の大雨のような音が響いた。まぁ元気そうで良かったよと適当に続けながら足元の酒だけでもと棚に戻す作業を再び続ける。彼らが開店前に店に来ること自体はいつものことだった。
「テメェこそどうだ。ひと月前の奪還戦でここも避難指示が出されたんじゃねぇのか。」
「ああ、まぁな。こんな裏通りまでもちゃんと避難指示が来たよ。」
金だけ持って逃げたさ、と続けたベイルは習慣的に新しい葉巻を加えようとし、途中でやめた。
最初の頃こそ全く気にしなかったが、ケメトとセフェクが時々咳き込むようになってからは彼らの前で葉巻を諦めた。ヴァルは何とも言わないが、何となく二人がコホコホ言うのを見るのは自分の方が気になるようになってしまった。最初の頃は自分がいくら吹かしていても全く平然としていた二人が、逆に煙が気になるようになってきたことに、最初出会った頃から随分と生活環境が変わったのだなとベイルは当時思った。
裏返して焼けた肉に、酒で作ったソースを適当に掛けてから一枚ずつ皿に出す。カウンターに置こうとした時には、香りに釣られるようにセフェクとケメトが二人でヴァルの隣に並んでいた。
肉の乗った皿を直接ベイルから受け取り、二人は嬉しそうにテーブルへ戻る。その背後姿を見て、たった数ヶ月ぶりの筈なのに大きくなったものだなぁと感慨に耽ってしまう。特に今年で十五歳のセフェクは別人だ。
「……イイ女になってきたな。」
「ガキが趣味か。口説くんならケメトに許可でも貰え。」
うっかり言ってしまった軽口に、ヴァルから吐き捨てられる。
いやそれはねぇよと否定しながら、あと二、三年も経てばぐっと良い女になるだろうとベイルは思う。だが生憎、歳下過ぎる彼女は自分の対象ではない。そして目の前の保護者を敵に回してまで口説きたいとも思わない。
自分で話を逸らしてしまったことを自覚しつつ、ベイルはまだ飲み途中のヴァルにまた新たな酒瓶を置いた。「アンタはこれさえあれば簡単に落とせるが」と酒好きな彼へ皮肉を混える。そしてまた注文をされる前から別の料理を勝手に用意し始め、そのまま話の軌道を戻す。
「避難命令が解かれて戻った時にはそれなりに表は荒れてたがね。運良くここは殆ど無傷だ。」
奪還戦の余波で酒が三本棚から落ちたのと、ここへの入り口になっている階段が少し瓦礫で塞がった程度。地下の酒場であったお陰で、他の建物よりも被害は小さく済んだ。火事場泥棒もいなかった為、無事経営を再開することもできた。
「裏通り自体、瓦礫だの建物が崩れるだのでそれなりに荒れてたが……復興が始まった途端にこんな所まで国から援助が来てな。衛兵だけでなく騎士団までがそこらに手を貸してたよ。」
衛兵と騎士団により瓦礫の撤去や建物の修繕、被害状況によっては補助金まで送られた。自分が住んでいる裏通りすら、元の状態に戻るのにそんなに日がかからなかったのだから他の城下は更に復興が早かったのだろうとベイルは思う。
自分のところは被害が殆どなかったのは良いが、復興の為に騎士団が歩き回っていた所為で暫くいくらか客足が遠のいた。最近は常連に叩いても埃が出ない客層が増えているお陰で何とか営業は回ったが、それでも店の外に騎士や衛兵がいることは良い気分ではなかった。彼自身も前科者ではあるのだから。
何より、自分の副業を知られたら最悪の場合そこからジルベールとの関係も知られてしまう。そして、知られた瞬間に自分は間違いなく彼に口封じをされるだろうという確信があった。
ベイルは肉を焼いたフライパンを洗わずそのまま油を注ぎながら、ヴァル達を見る。それぞれナイフとフォークを使って美味しく肉を食べているテーブルの二人に対し、目の前のカウンターに座っている男はフォークで直接噛み切っていた。相変わらずコイツは変わらねぇなと頭の中で思う。
「あの男から次の情報の催促もないし、アンタらも来ない。あと一年くらい様子みてもう俺が用無しだってんなら、いっそこのまま田舎にでも引っ込もうかと思ったがね。」
逃げたと思われればジルベールに殺される。しかし、一年も放って置かれればそれはもう自分が不要ということになる。ならば、ジルベールの気が変わらないうちに逃げた方が良い。ヴァル達がこうして仲介に来ている分は良いが、ベイルは出来る事ならばもう二度とジルベールには会いたくなかった。
ベイルの言葉にヴァルは「そりゃあ残念だったな」とせせら嗤う。自分達が改めて来てしまったことで、彼はまたジルベールから逃げられなくなったのだから。
ケメトが「僕、この店好きですよ!」と声を上げればセフェクも「私も!」と同調した。その二人の反応に、はいはいはい……とベイルは肩を落としながらも返す。本当に自分の酒場はどういう方向に行っているんだと自分で聞きたくなる。
温まった油にベイルは作り置いていた練った芋と豆にパン粉をまぶしたものを数個放り込み、揚げる。どうせ食うんだろうと、ヴァルを見れば、二本目の酒に手を伸ばしながら鋭い目がしっかりとその料理に向いていた。
「で?今日は何しに来たんだ。あの男からの差し金か、それともその野暮用ってやつの帰りか。」
「どちらでもねぇな。……ちょいと雑用だ。」
時間まで暇だから食いに来てやった、と言うヴァルにベイルは適当に相槌を打つ。
本音を言えばそれなら開店後に来いと言いたかったが、諦めた。どちらにしても彼がここに来たのならば自分はアレを渡さなければならないのだから。
揚げ終えた芋料理を掬い、皿に置く。数個纏めて一皿と、また別の皿に二個置いた。そのまま雑にカウンターに二皿置けば、ヴァルは何も言わずに二個しか載っていない方の皿を手に取り背後に回す。それに気付いたケメトが小走りでそれを取りにヴァルへ駆け寄り、受け取った。ヴァルもそれから自分の分の皿を手元に引き寄せると、揚げたてにも関わらず平然とガブリと素手で噛り付いた。
三、四年ほど前、ベイルがヴァルに「食わせろ」と押し付けられたレシピの料理だった。
ウチは酒場だと言っているにも関わらず、料理を色々出させるヴァルからとうとう注文まで来たと当時はかなり呆れた。しかし、明らかに女性の文字で書かれたそのレシピを見ればそちらの方がはるかに気になった。
どことなく気品すら溢れるその文字を見れば、どこかの令嬢を釣ったのかとも思った。しかし、料理の詳細が書かれていたそれを見れば、令嬢ではなく料理をするような町娘かとも考えられる。まさかセフェクとケメトはそっちの連れ子かとさえ考えた。
ヴァルにそういう相手がいたことにも驚いたが、それをわざわざ作れと言って来るという行動にも驚いた。その女の料理がそこまで食いたいのかと追及したくもなったが、喉の奥で飲み込んだ。ジルベールだけでなくヴァルまでも敵に回したくはない。
だが、レシピの端に小さく走り書きのように書かれた「酒と揚げ物だけでなく、野菜を食べることも大切です」というメッセージを見れば、余計にヴァルとそのレシピの女性との関係は気になった。そのメッセージはヴァルへ宛てたようにも、料理を作らせられる自分へ遠回しに「この人に野菜も食べさせてください」というメッセージにも思えた。
一応、最低これだけはと思い「アンタの血縁者か?」と聞いたが、それだけは「んなもんいねぇ」としっかり否定された。ならばどういう関係だと言いたかったが、それだけは必死に堪えた。一番可能性があるのは彼らの会話に良く出る〝主〟だが、その人物が男か女かもいまいちはっきりしない。宰相であるジルベールの関係者だとすれば、頼むからあの男を敵に回すような行動だけはやめてくれと心から願った。
無言で次に野菜のスープを作り始めながら、また酒瓶を一本カウンターに置く。鍋に湯を沸かし、切った野菜を放り込んだ後にベイルは一度店の奥に引っ込み、戻ってすぐに厚い紙の束をカウンターに投げ置いた。ここ数か月分の溜まったジルベールへの報告書だ。それを確認したヴァルは、中身を読まないまま適当にくるりと丸めた後に懐にしまい込んだ。
「雑用ってことはいつもと違う仕事か。そっちはどんなのか聞いても平気か?」
ヴァル達の配達人業務を知らないベイルは、適当に投げかけてみる。
探りというほどでもない。ただ、ヴァルの今の仕事以外はそれなりに知っているベイルからすれば一体どんな〝雑用〟なのか興味はあった。ベイルからの問いに一度、コロッケを食べる掴む手を止めるヴァルは少し考える。目だけでベイルに探りを入れてないことを確認した後、秘密流出を防ぐために言葉を選ぶ。
「……まぁ、前の仕事みてぇなもんだ。」
背後の二人に聞こえないように少し絞ったその言葉にベイルは「へぇ」と少し意外そうに返した。
ヴァルが以前に裏稼業の仕事をしていたことを察せば、つまりまだ彼はそっち側の人間なのかとも考える。彼の人間性を知れば意外でもないが、セフェクとケメト、そしてジルベールの使いであることを考えるとよくその仕事をまだしていられるなと思った。
「頼むからあの男と面倒は起こすなよ」と返せばヴァルはそれを「ちげぇ」の一言で切った。ベイルがどういう認識をしたのかすぐにわかり、口の中に酒を再び注ぎ込んでから言い切った。
「その〝後〟の仕事の方だ。」
含みを持たせたヴァルに、ベイルは彼の知っているだけの経歴を思い出してから軽く相槌を打った。
何故彼がそれに声を潜めたのかはわからなかったが、二人に聞かれたくないのならば仕方がない。スープに味を付けながら「まぁ今の内に面倒は済ませた方が良い」と言葉を返す。
「来週は騒がしくなるからな。ついこの間、祝勝会だの王女が治っただの王妹だので大騒ぎだったってのに、全く飽きねぇもんだ。」
一週間後に何があるかを知っているベイルは数日前のお祭り騒ぎを思い出す。
第一王女の回復と第二王女の王妹確立。その知らせは今や国で知らない者はいなかった。政治に興味がないベイルもそれには流石に驚かされた。
器に盛った野菜スープを三つ、カウンターに出す。「ほら、食っとけ」とセフェク達に声を掛ければ、今度は二人でカウンターまで取りに来た。
二人が両手に器を持ってテーブルに下がったところで、ヴァルも面倒そうにそれを手元に引いた。最初は要らねぇと一蹴したが、ベイルに「レシピの女からの指示だ」と言われれば渋々受け取るようになった。
グビグビと殆どスプーンを使わず、野菜も飲み込むようにかっ食らうヴァルを無視し、ベイルは開店準備を再開した。
美味しい!と嬉しそうにスープを味わうセフェクとケメトの言葉を耳で聞きながら、本当に日常が戻ってきたもんだと一人で思う。
ヴァルの我儘で料理を数種類出すようになってからか、フリージア王国自体の治安が良くなってきたからか、自分のところに来る客層も数年前とは少し変わった。情報こそ相変わらず入ってくるが、単純に酒や料理目当てに来る人間が増えた。謎の芋料理であるコロッケをメニューに出すようになってからは、物珍しさで余計に食べる目的の客が増えた。そんな中で開店前にやってくる彼ら三人は、相も変わらずベイルにとっては面倒な珍客だ。
しかしそれでも彼らが来なくなってからは、彼らに何があったのか気になってしまう日も少なからずあった。そんな彼らが平然と戻ってきた今日、改めて自分の妙な日常はまだ続くらしいとベイルは思う。そして今ヴァル達がそうであるように自分もまた
今のそういう人生をわりと気に入っていることを自覚する。
「そういやぁそろそろ新しいレシピはこねぇのか?」
「テメェの店を儲からせる為のレシピじゃねぇ、クソ店主」
いつの間にか勝手に品目に入れやがって、と当時のことを蒸し返しながらヴァルは舌打ちを返した。
セフェクが「次は甘いものが良いわ」と言えばケメトも一声で同意する。
少なくともこの愉快な家族が自分の店に平然と来る間は、当分平和なんだろうとベイルは思った。
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