634.王弟は項垂れる。
「ようこそお出で下さりました。」
その言葉を、私だけではなくその場にいる誰もが告げた。
ラジヤ帝国との条約締結から二日。
祝勝会を明日に控え、朝食を済ませた私達は母上達の居る謁見の間に集まっていた。祝勝会に向けて、既に国全体がお祭り準備で湧き上がっている今、大事な来賓をお迎えする為に。
お招き頂き感謝致します、とそれぞれ言葉を返され、母上を始めとして王族同士互いに挨拶を交わしていく中、とうとう私の番になる。
「お会い出来るのを楽しみにしておりました。ランス国王陛下、ヨアン国王陛下。セドリック王弟殿下も、お久しぶりです。」
ハナズオ連合王国。
今回の奪還戦で尽力してくれたセドリックと、そしてその国王であるランス国王とヨアン国王も明日の祝勝会に招かれていた。当日は城中が大忙しになるので、一日早く今日のお招きだ。今回はハナズオ連合王国にはフリージアから礼を尽くさなければならないし、祝勝会が無事行われるかは二日前のラジヤとの条約締結にも掛かっていた。ハナズオ連合王国は片道十日かかるということもあり、またステイルの特殊能力を借りることになった。
私の挨拶を笑顔で受け止めてくれた彼らは、差し出した私の手を躊躇わず握ってくれた。正直反応がどうか怖かったところもあるからそれだけでも凄くほっとした。セドリックとは最後に会ってから一ヵ月も経っていないけれど、国王二人には…………本当に最低最悪のお別れをしたきりだから。最初にランス国王と握手を交わしながらお詫びを言おうとしたら、その前にランス国王の方から口を開いた。
「書状と、そしてセドリックからも話は聞きました、プライド第一王女殿下。またこうしてお会いできて嬉しい限りです。……お辛い想いをされたことでしょう。」
思わず息が詰まる。
まるで何事もなかったように言ってくれただけでなく、最後の言葉は私のことまで労ってくれていた。力強い言葉の後に含めた優しい言葉を掛けられて、思わず堪えるように唇を絞ってしまう。
本当にあの時は申し訳ありませんでした、と何とか言えばランス国王は首を静かに横に振っただけだった。そのままヨアン国王がランス国王から受け取る形で私の手を握り、握手を交わしてくれる。
柔らかい笑みで「本当に戻られて良かったです」と嬉しそうに言ってくれるヨアン国王は細縁眼鏡の奥が少し潤んでいた。私からまた謝罪を伝えれば、ランス国王と返事は一緒だった。
「あれくらいの事で僕らの貴方への信頼も、フリージア王国への信頼も揺らぎません。……ずっと、貴方が救われる日を祈っておりました。本当に、良かった。」
首を緩やかに振りながら言ってくれるヨアン国王にも、全く惑いも淀みもなかった。心からそう思って言ってくれているのだとすぐわかる。ランス国王に続く優し過ぎる言葉に胸が打たれた。
本当に国王二人とも器が大き過ぎる。もっと責められてもおかしくない立場なのに、それどころか二人ともあの時のことを言及しようとすらしない。
ありがとうございますっ……と声が枯れないように注意して返せば、二人とも合わせて笑ってくれた。そして二人が促すようにして背後からセドリックが前に出る。
「セドリック王弟殿下。お久しぶりです。」
その姿に今は少しほっとする。
最後、お別れした時は大分様子がおかしかったけれど、今は落ち着いているようだった。お兄様と同じ燃える瞳と目が合えば、その笑みまでもランス国王に似ていた。御機嫌麗しゅうございます、と母上達にしてくれた時と同じように言葉を整えてくれて挨拶を続けてくれる。
相変わらずの丁寧過ぎる言葉の並びだったけれど、その目はもっと多くを語っていた。……その後、ステイルに続いてティアラと挨拶した時だけは顔がわかりやすく丸焼けになっていたけれど。
「明日に備えて今日はどうぞごゆっくりとお休み下さい。我々フリージア王国一同、ハナズオ連合王国の皆様を心より歓迎致します。」
母上の締め括りと共に、ランス国王達は衛兵に部屋まで案内されていった。今回、フリージア王国の窮地に尽力してくれた彼らは来賓用の宮殿ではなく私達の宮殿の客室に宿泊する。
文字通り〝特別な〟来賓だ。
……
「……セドリック。家具は全てアイビー王家のものだということを忘れるな。」
溜息混じりのランスの声が掛けられる。
視線の先ではソファーに身体を埋めたまま拳までも減り込ませているセドリックがいた。
部屋に案内された後、セドリックとヨアンはランスの部屋に集まっていた。部屋に入ってきた時こそ落ち着いていたセドリックだが、扉を外から衛兵が閉めた途端にスイッチが入ったかのように赤面した。ヨアンが苦笑しながら宥め、ソファーに座らせた後もセドリックの発熱は収まらなかった。
「……死ぬ。ティアラと目が合っただけで魂が抜かれる……。」
「魂抜かれてもそれだけ元気なら大丈夫だよ。」
ボスッ!と、ヨアンからの言葉に返すようにセドリックが拳を再びソファーに叩きつけた。
その様子に口元を隠しながら笑うヨアンは音もなく肩を震わせた。セドリックの子どものような反応に、相変わらずだなぁと楽しく思ってしまう。
「未だにティアラ王女からの〝アレ〟についてわかっていないのかお前は。」
「…………わかっていれば眠れぬ日々など過ごすものか……。」
呆れたように言うランスの言葉にセドリックが萎れた声で返す。
顔面を殆どソファーに埋めたセドリックは、自分の顔が熱いことが鏡を見なくてもわかった。前回のティアラからの口付け以降、何度も何度も記憶を巡り繰り返して考えたが単に自分の頭を発熱させるだけだった。
その時のティアラの表情も声も掠った息も柔らかな感触も全てを今この場で起こったことのように鮮明に思い出しては、理解もできずにただただ悶えるばかりだった。折角何ヶ月もかけてティアラを視界に入れても普通に話せるようになった彼は、また初期状態にかなり戻ってしまっていた。それどころかティアラのその唇が視界に入るだけで顔の赤面が押し止められない。
「……またティアラに嫌われた……。…………さっきも睨まれた……。」
ぶつぶつと泣き言まで漏らすセドリックは、熱で頭が正常に機能していない。
セドリックの言葉にランスとヨアンは互いに苦笑いのまま顔を見合わせた。確かに謁見の間でティアラの顔は大分強張っていた。だが、それはセドリックに怒っていたというよりも完全に緊張を隠そうと取り繕っている様子だった。セドリックの話通りのことが二人の間にあったとすれば、寧ろ赤面する彼に対しても女王の手前毅然と振る舞ったティアラに二人は感心すらした。
「……これでは明日の祝勝会でもまともに話せる気がせん……。」
「そんなに気になるなら、直接聞いてみればどうだい?祝勝会の前に。」
「明日の準備で忙しいティアラを煩わせて良いわけがあるまい。明日は彼女にとっても大事な日……の、筈だ。」
ヨアンの言葉にセドリックは断じた後、自信なさげに呟いた。
ティアラの王配継承。話し合いの時は前向きに検討と話してくれた女王であるローザだが、その後の結論はわからない。遅くなければ、もう結論は出ている筈だと思えば落ち着くに落ち着けない。特別に検討会へ参加させて貰った自分が、更に結論についても女王に催促するわけにはいかない。そして公式に発表されていないことを自分がプライド達から教えて貰えるわけもない。
せめてどうかティアラにとって良い結果であってくれとだけ願うことになる。今、自分の予想通りにティアラが忙しくあってくれれば、それは自分にとって何にも勝る朗報だと思う。
悶々とするセドリックは、ソファーの背もたれから未だに顔を上げなかった。ティアラやプライドと話したいことは山ほどある。聞きたいこともある。だが、どれも今はまだと必死に自分を留め
コンコンッ。
突然、扉からノックの音が飛び込んだ。
その音にランスとヨアンはセドリックから視線を扉の方に向けた。ランスが一言返事を返せば、扉の向こうからはよく知る声が放たれた。
「第一王子ステイル・ロイヤル・アイビーです。お疲れのところ申し訳ありません。ヨアン国王陛下とセドリック王弟殿下も御一緒でしょうか?」
ステイル王子⁈と、セドリックが速攻で顔を上げた。
ソファーに顔を押し付け過ぎた所為で男性的に整った顔にソファーの跡がつき、更に顔が赤かった。せめて乱れた髪はとセドリックが手櫛で整えれば、それを見た侍女が急ぎ彼の身嗜みを整えた。
ランスが言葉を返し、繋ぎ、やっとステイルを迎えられる状態にその場が整ってから、扉を衛兵に開けさせた。扉の向こうから現れたステイルは一言挨拶をした後に、許可を得てから部屋の中に足を運んだ。扉が再び閉ざされてから、三人へと再び改まる。
「先程はどうも。お休み中申し訳ありません。どうしてもこちらを皆様にもお渡ししたかったもので。」
そう言ってステイルが懐から取り出したのは三枚の封筒だった。
フリージア王国王家の紋章で封をされたそれに、ランスとヨアンは小さく首を捻る。既に祝勝会の招待状は受け取っている。にも関わらず、それは何なのかと。
もし正式な依頼状か何かであれば、先程の謁見で渡されている筈だ。それをわざわざ第一王子自ら届けに来るというのが余計に不思議だった。
国王二人の反応を予想していたかのように笑うステイルは、書状の旨について簡単に説明した。その途端、セドリックが燃える瞳を輝かせる。例の……‼︎と期待に胸を膨らませながら宝物のように三枚の封筒を凝視するセドリックに、ステイルはその内の一枚を笑顔で差し出した。説明を聞いた国王二人も「宜しいのですか?」と尋ねたが、ステイルは勿論ですとやはり笑顔だった。
「ただ、このことはどうか内密にお願いします。箝口令、というほどではありませんが。」
どうか宜しくお願い致します、と頭を下げるステイルに三人も頷いた。
三人の返答に満足したステイルは礼を伝えた後、身体ごと一方向へと向き直った。その先には手渡した封筒を両手で慎重に握るセドリックがいた。セドリック王弟殿下、と軽く呼べばセドリックはすぐに姿勢を正して彼へと向き直る。
「全てが落ち着いた今、ずっとお伝えしたかったことを伝えさせて頂いても宜しいでしょうか。」
何なりと……!とステイルからの言葉にセドリックは上擦る喉を押さえながら返した。
何かお咎めがあるのではと、半ば覚悟したセドリックの頭の中では今までのステイルから受けた遠回しの叱責や黒い気配、怒りの眼差しなどがいくつも鮮明に浮かぶ。
口の中を飲み込み、息を止めて瞬きもしないセドリックにステイルは数歩近付いた。黒縁眼鏡の奥がうっすら光り、その口が開かれる。
「本当にこの度はありがとうございました。……貴方が居られなければ姉君を取り戻す事も叶わなかったでしょう。」
感謝の言葉だ。
てっきり妹に近付くなとでも言われるかと思っていたセドリックは不意を突かれてしまう。ぽかんと口が俄かに開かれたまま、ステイルの言葉を丸ごと飲み込んだ。
何故彼が自分に感謝してくれてるのかもわからない。既にセドリックはステイルにちゃんと何度も感謝の意を伝えられているのだから。そう思っている間にも自分へ向けて頭を下げ出すステイルにセドリックが慌て出す。頭を上げるように願っても、一度目はそれでも上げなかった。
「まだ謝罪はお伝えできても、個人的に感謝はお伝えしていなかったもので。……それで、以前お伝えした〝お礼〟についてなのですが。」
どうか頭を、と二度目に望まれてやっとステイルが頭を上げる。
ステイルの言葉に「お礼……?」と聞き返したセドリックは絶対的な記憶から自分が奪還戦前にフリージア王国から自国へ帰還させられることが決まった時のことを思い出す。
『貴方が、例の証言をして下さったお陰で本当に助けられました。この御礼は、全てが終息した暁には必ず僕からお返しします』
確かに、そう言われた。だが、その後に自分はステイルや女王の意に反し、託されたティアラと共にハナズオから船を出している。もっと言えば一年前から自分はステイルにも恩と借りしかない。そしてそれを今回の事で全て返しきれたとも思っていない。寧ろやらかしたことの方が多い。彼の記憶とフリージア王国の法律を照らし合わせれば、明らかに自分は感謝されるよりも罰せられる行為の数が多かった。
いえお礼など、とステイルにセドリックは断ったが、それでも彼は認めないように首を横に振った。
「どうか一日ゆっくりお考え下さい。明日、もう一度お聞きします。その時に僕個人ができる〝御礼〟であれば、……何なりと。」
そこまで告げると、国王二人に再び挨拶をしてからステイルは部屋を出て行ってしまった。
いえ!本当に!私はっ……とセドリックは必死に言い縋ったが、問答無用で扉も閉められてしまった。パタン、と閉ざされればセドリックは行き場のない手を宙に伸ばしたまま固まってしまう。
ずるるとそのまま座り込み、カーペットの敷かれた床に両膝をついた。宙に浮かせた手も床につき、俯き、ぐったりと項垂れた。ステイル相手に前回のように強く断れなかった自分を呪う。
「ステイル王子へのお願いかぁ……。……なら、ティアラ王女の気持ちを聞いてもらえばどうだい?」
「いっそ仲を取り持って貰え。このままでは一生両想いにはなれんぞ。」
ヨアンとランスの言葉にセドリックは両手で頭を抱える。
絞り出すような声で「ティアラの兄君にそんなことは頼めん……」と答える弟に二人は肩を竦めた。そう言っていられる場合じゃないだろうとも言いたいが、落ち込む彼にそれ以上は酷だと思う。
「……俺は、ステイル王子に礼をされる立場などではないというのに……。」
「気持ちはわかるが、ステイル王子からの厚意だ。無碍にすることもできんぞ。」
「お互いが納得できる望みが思い付くと良いね。」
ランスの言葉に更にセドリックが頭を重くする。続いてヨアンは慰めるようにセドリックの頭を撫でた。本人の手により乱された金色の髪をいつもの髪型になるように整える兄に、セドリックは無言のまま力なく頷いた。
ティアラとステイル。
その日の夜まで、セドリックはひたすら頭を悩まされ続けた。
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