633.沈黙王女は見送る。
「長らく引き止めてごめんなさい。……本当に、本当に。この恩はちゃんといつかお返しします。」
フリージア王国、城門前。
去り際の彼にそう言って頭を下げる。
奪還戦から一ヶ月。ずっと救護棟に入院していた彼は、今日とうとう退院する。本当に言い切れないほどの迷惑をかけた彼を、更にずっと我が城に引き止めていたことが申し訳なくて仕方がなかった。
私の謝罪を片手で制した彼は、頭を上げた私に柔らかな声で返してくれた。いつもの滑らかな笑顔と、共に。
「こちらこそ。お陰で傷痕も全て消えたし、感謝するのは僕の方だよ。騎士達共々お世話になったね。むしろ国が大変な時にまでお邪魔してごめん。」
「いえ!それも元はと言えば私の」
「プライド?」
んぐ、とレオンの言葉に私は途中で口を噤む。
私の言葉を遮った瞬間、一瞬だけレオンの翡翠色の瞳が妖艶に光った。彼が何を言いたいかは痛いほどわかり、私は完全に黙殺される。
意図を理解したことが伝わったのか、レオンもそれ以上は言わずに滑らかに笑うだけで終わった。フフッ……と小さな笑い声だけ漏れた後、レオンは改めてステイルやティアラ、カラム隊長と近衛でアーサーと交代したアラン隊長と挨拶を交わす。
母上達とは既に謁見の間で挨拶を済ませた彼の見送りは私達が任せて貰った。一人一人と挨拶を交わしたレオンは、特にステイルとは少し以前よりも親密になった様子だった。詳しくは私も聞いていないけれど、奪還戦の前からお互いすごくお世話になったのだと話していた。
レオンは今日、ひと月ぶりにアネモネ王国へ帰国する。本当はレオンも二日後の祝勝会には呼ばれているし、もう二日滞在してくれても良いのだけれど……愛する自国に一度帰りたい、というのはレオン本人の強い意志だった。そういうところはレオンらしくて本当に素敵だなと思う。
明後日にはまた会えるのだとわかっていても、何だか名残惜しい。この一ヶ月、殆ど毎日お見舞いで顔を合わせていた所為もあると思う。何より、本当に彼にだって酷い事ばかりしたのに、今日までずっと変わらず接してくれた。未だにその優しさに甘えてしまっている自分もいる。
最後の一人まで挨拶を終えたレオンは、二日後にまた会えるのを楽しみにしていると笑ってくれた。そしてアネモネ王国が迎えに用意した馬車へ足を掛け、……途中で振り返る。
「ヴァル。君はプライド達に挨拶をしなくて良いのかい?」
「…………大して話すこともねぇな。」
レオンの振り返った先で、腕を組んでいたヴァルが眉間に皺を寄せていた。
レオンの挨拶を終わるのを待っていたように城門に寄りかかっていたヴァルは見るからに機嫌が悪い。待ちくたびれたのもあるかもしれない。……いや、そうでなくても機嫌が悪いのは無理もない。レオンと同じく、彼も今日までずっと救護棟に缶詰状態だったのだから。
奪還戦で瀕死の重傷を負ったヴァルは、一命は取りとめたものの絶対安静が続いていた。最初に運び込まれた時に怪我治療の特殊能力は受けたからその効果で順調に傷は癒えていったけれど、鍛え抜かれた騎士ですらない彼の身体では回復にも相応の時間が必要だった。
そして表面の傷が塞がった後も、内側の損傷まで完全に治ったと医者が判断するまでは絶対に救護棟を出ないようにと私からも命じていた。そうじゃなければ絶対に彼は途中で飽きて逃亡していただろうし、実際に傷が痛まなくなってからは私が見舞いに行く度にもう退院したいと苦情を言っていた。ただでさえ彼の大嫌いな騎士団演習場の隣で、且つ部屋の外は騎士に囲まれているから居心地の悪さも当然といえば当然なのだけれど。
そして今日、やっと医者からも完治の太鼓判を押して貰えた彼はレオンと同日の今日、早速退院を決めた。本当はレオンみたいに傷痕も消すなら、もう暫くの入院が必要だと医者からも私からも説明をしたのだけれど、見事に即答だった。「傷痕なんざ今更一つ増えたところで変わらねぇ」らしい。確かに王族どころか貴族でもない男性の彼がそういうのを気にしないのは分かる。……それでも今回私の所為でついた傷は一際目立つ大きさだと思うのだけれど。
だけど彼は傷痕を消すつもりも、これ以上滞在するつもりもなかった。もともと彼は傷が深いから痕を消し切るのは難しくはあった。それでも目立たないくらいには薄くできたかもしれないのに。お陰で今、彼の背中にはがっつり傷痕残ったままだ。
そしてレオンも日が合うならと、退院日が重なったヴァルをアネモネ王国に誘ったらしい。偶然退院日が重なった、というよりも二人とも大事を見て多く見積もって一ヶ月きっちり安静にしてもらっただけだけど。
ヴァルもわりとすんなりレオンの誘いは承諾した。理由の一つは、レオンの部屋に置いて来た自分の全財産を回収に行くことらしいけれど。
「ヴァル。二日後には祝勝会が行われますし、それまで城でのんびりしても……」
「迷惑だ。……一秒でも早くここから離れてぇ。」
私の言葉にそう言って鬱陶しそうに顔を顰めたヴァルは、空の荷袋を持ち直す。
そしてセフェクと手を繋ぐケメトに腕を掴まれながら、地面を蹴った。それだけでボコッと彼らの足元が不自然に盛り上がる。同時に周囲の砂が蛇のように連なって彼の荷袋の中に潜り込んでいった。
馬車には乗らずにレオンの馬車に並走していくつもりらしい彼は、もう移動する気満々だ。よっぽど早く城を離れたいのだろう。本当ならもう二日くらい滞在してくれれば……が本音ではある。公的な祝勝会に招待されないにしても、祝勝会中はフリージア王国全土がお祭り騒ぎだ。王都だけでなく城下も賑わうだろうし、それだけでもセフェクとケメトと一緒に楽しんでくれればとも思う。
私から改めて今回の御礼をヴァルに言い始めたら、改まった時点で「主に礼なんざ言われる筋合いはねぇ」と払うように手をヒラヒラされてしまった。やはりあいも変わらず王族の私からの感謝は迷惑だそうだ。これもこれで彼らしい。
「だけど、……気が向いたら帰ってきてくれると嬉しいわ。きっと楽しいお祭りになると思うから。」
最後の最後にもう一度だけ、誘ってみる。
やっぱり彼のお陰で被害が留められたこともあるし、叶うなら彼にもその目で見て楽しんでほしい。
私の投げ掛けにヴァルは片眉を上げただけだったけれど、ケメトとセフェクが「僕も行きたいです!」「私も!」と応戦してくれた。すると、二人に腕ごとグイグイと引かれ、大きく揺らされたヴァルは独り言くらいの声で「気が向いたらな」と言ってくれた。
良かった。二度と帰りたくねぇとか言われたらどうしようかと思った。
「あと、例の件について日取りも決まりました。……耳を。」
私からヴァルに近付き、肩を掴む。
命令通りに少し屈んでから重そうに耳を傾けてくれたヴァルに、そっと耳打ちをする。今朝、父上から受けた書状の内容だ。二日後にフリージア王国に帰ってくるにしてもそうでないにしても、この日時に私の元へ来るようにと命じる。
「あと、セフェクとケメトを城に連れて来ても良いですがその後は同行もできません。貴方からその旨は説明しておいて下さい。」
その間はティアラが預かってくれるとは思います、と続ければ、返事の代わりに深い溜息が吐き出された。
いやいや付き合ってくれている感この上ない。だけどもう彼が協力してくれること前提で作業も進んでいるらしいし取り消せない。
取り敢えず日時と口止めをした私は彼から顔を離……そうと思ったところで、少し躊躇う。折角コソコソ話中なのだから、今ちゃんと伝えとこう。
私が話し終えた後も身を引かないことにヴァルが耳を傾けたまま軽く訝しむように睨んできた。私の身長に合わせて腰を曲げてるから地味に辛いのかもしれない。手短に終わるように、早口で彼に伝える。
「本当に本当にありがとう。次に会いに来てくれた時にはちゃんと歓迎します。」
さっきは御礼を言おうとしたら遮られてしまったから今度こそと。
前回は狂気に侵されてたとはいえ、私の命令通りに訪れてくれたヴァル達に酷いことばかり犯してしまった。次来てくれた時こそは、絶対にちゃんと大手を振って歓迎したい。そう思いながらちゃんと今度は最後まで言いきれた私は、すぐに彼から一歩引いた。
私が離れると同時に、彼もゆらりと身体を揺らしながら屈ませた背中を伸ばした。私が無理やり御礼を言ったのが不服なのか、眉間に皺を寄せたまま鋭い眼差しが私に向けられる。
一度離れたセフェクとケメトが「話終わったの?」「どうかしたんですか?」と尋ねると、やっと眼差しが私から避けられた。ガシガシと頭を掻いた彼から面倒そうな生返事だけが返される。取り敢えず伝言も御礼も受け取ってくれて良かった。
「配達人制度についてもその五日後には再開する予定です。そしたらまた忙しくなると思うから。それまではゆっくり過ごして下さい。」
「……もうひと月腐るほど休んだがな……。」
再開の話に喜んでくれる二人を置いてヴァルがうんざりと息を吐く。……まぁ、確かに。
これからアネモネ王国に行くということだし、少なくとも今晩は確実にレオンと晩酌だろうと思う。なら、それだけでも楽しんで貰えるようにとレオンに「彼らを宜しくお願いします」とお願いした。レオンも滑らかに笑いながら「勿論だよ」と快諾してくれる。
御礼を返した私は、最後に近衛兵のジャックが持ってくれていた皮袋を受け取る。それをヴァルに両手で差し出せば、彼は軽い調子で片手で受け取ってくれた。
「王族から今回の奪還戦での褒賞金です。我々からの感謝の印です、受け取って下さい。」
いつもの小袋とは一回りも二回りも大きめの皮袋の中にはぎっしりと金貨が入っている。王族の私から見ても結構な額だ。
ヴァルも重さですぐに察したのか、少し驚くように目を無言で見開いた。前科者の彼を表向きには表彰できないから、その分も込めていると伝えれば「そりゃあ良い」と一言だけ返ってきた。わりと本人も満足気味だ。
そして私に合わせるように今度はステイルが私を抜いて前に出る。
「レオン第一王子殿下、こちらが二日後の我が城で行う祝勝会の招待状です。国王陛下、王妃殿下にもどうぞ宜しくお願い致します。」
ステイルが馬車に乗り込んだレオンへと扉の前から書状を手渡す。ありがとうございます、と受け取ってくれたレオンが、……不意に目を少し丸くした。
多分あの事かなと思いながら見守っていると、にっこりと笑ったステイルが今度はレオンに耳打ちをした。コソコソ、と本当に一言で終わった耳打ちに、レオンは少し目をぱちくりさせてからこちらを見る。そんなに驚くことだったかしらと首を傾げると、レオンは数秒後にまた滑らかな笑みだけを私に返してくれた。そのまま何も言わずにステイルへ顔を向けてしまう。
「わかりました。僕に任せて下さい。……とても楽しみだ。」
ぎらんっ、とまた一瞬レオンの瞳が妖艶に光った。
何だろう。何か、何か凄く怪しい。ステイルやジルベール宰相が悪巧みした時にも似た眼差しに思わず私は馬車から一歩下がる。ヴァルも同じ気配を感じたのか、退がるとは行かずともレオンに向けて喉を反らして眉を寄せていた。
「それでは、また二日後に。……プライド、元気でね。」
最後まで心配してくれたレオンが、私に滑らかな笑顔を向けてくれる。
ええ、ありがとう、と言葉を返せばとうとうアネモネ王国の騎士によって扉が閉められた。ぱたん、と音を立てた後に馬車がゆっくり走り出す。するとヴァルもそれに続くように特殊能力で足元の地面を滑らせた。セフェクとケメトと一緒にフードを被った彼は、きっと国門をでた途端にレオンの馬車ごとジェットコースター移動をするのだろう。
馬車の窓からずっと手を振り続けてくれるレオンと、振り返らないヴァル、その代わりに手を振ってくれたセフェクとケメトを見えなくなるまで私達は見送った。また、彼らに会えるのが楽しみだと思いながら。
今度こそ、ちゃんと笑顔で迎えて見せるから。




