627.騎士は思い知る。
「アーサー・ベレスフォード。お前は何をしている?」
キィィンッ‼︎!と剣同士がぶつかり合う音が響いたのは、ハリソンの発言直後だった。
高速の足で迫ってきたハリソンの一閃をアーサーは瞬時に剣を抜いて防いだ。振り向くより先に背後へ向けて構えた剣に飛びかかったハリソンの体重が剣ごとしっかりと乗せられる。ギギッと片腕でそれに堪えながら弾き返したアーサーは、ハリソンが勢いのまま飛び退いてからやっと彼へと向き直った。
久々に見るハリソンのアーサーへの奇襲と攻防に周囲にいた騎士達はどよめいた。おぉ……やアーサー隊長!アーサー‼︎と彼の存在に気が付いた騎士達もまた、アーサーがさっきまでしていたことに口をぽかりと開く。
「いえ、何……って、見た通り酒を運んできただけですが……。最初の乾杯で、すぐに酒が減りましたし」
「それは新兵の仕事だ。」
戸惑いながらも当然のように返すアーサーの言葉をハリソンが切る。
明らかに怒りを滲ませた声色にアーサーは余計に惑った。ハリソンが隊長になった自分に斬りかかってくることもだが、飲みの席で自分に関わってくること自体珍しい。何故そこまで怒らせたのかと、アーサーは蒼い目を白黒させた。確かに新兵の仕事に変わりはないが、自分が新兵の仕事を手伝うこと自体別に珍しくはない。今更そんな注意されても何故と思ってしまう。
テーブルに並べた酒瓶が割れていないか目で確認したアーサーは、折角運んできた酒を守るように剣を構える。ハリソンとの立会いも久々だと思いながら、出方を見計らえば
「なんだなんだ。誰だ?折角の祝いの席に私闘なんてする騎士は。」
言葉の割に穏やかな口調で一人の男が騎士達の間を掻き分けてくる。
その声が聞こえた瞬間、周囲の騎士達とアーサー、そしてハリソンまでもが身体ごと声の主へと向き直った。存在に気付いた誰もが彼を呼び、途中からは急ぎかき分けられる前に道を開けた。アーサーとハリソンが身構えた体勢のまま剣をしまうことを忘れてしまえば、声の主は「んん?」と軽く唸ってからその光景に怒り出す素ぶりもなく可笑しそうに笑った。
「ハリソン、もう酔ったのか?あまりはしゃぎ過ぎるな。それとアーサー、お前もハリソンを焚き付けるな。次やったら二人とも剣を没収するぞ。」
くっくっ、と喉を鳴らして笑いながら二人を見比べるクラークにアーサーもハリソンも頭を下げた。
申し訳ありませんでした、と声を低めながらもアーサーは若干不満が残る。焚きつけたも何も、自分は何もしていないのに一方的に斬りかかられただけだ。しかし、上官である副団長のクラークに口応えできるわけもなく素直に非を認めた。
ハリソンもクラークに注意を受けた瞬間に、構えていた剣を一瞬で腰にしまった。自分よりも深々とクラークへ頭を下げるハリソンは長い黒髪で横からは顔も見えなかった。だが、それに目を向けた途端に殺気のようなものが飛んできたように感じた為、まだあの髪の向こうでは自分を睨んでいるのだろうと経験からアーサーは理解する。
「何故自分がハリソンを怒らせたのか、わかっていない顔だなアーサー。」
やれやれ、と笑いながらクラークがアーサーに歩み寄る。
唇を絞ったまま無言でクラークを見返すアーサーの態度は、そのまま答えになっていた。仕方ない、とクラークはそのアーサーの肩に手を置いた。背の近くなったクラークの目線に軽く顎を上げるだけで合わせるアーサーは、説明をして欲しそうに目で訴える。騎士達の前でなければいつもの口調で教えろと詰め寄ってきたであろうアーサーをクラークは穏やかに笑みで返した。
「アーサー、それは新兵の仕事だ。絶対に手伝うなとは言わないが今日は駄目だ。……何故だかわかるか?」
「…………いえ。申し訳ありません。」
正直に答えるアーサーに、クラークがそうだろうなと笑いを零す。
だが、対称的にハリソンからの殺気が跳ね上がった為、アーサーは反射的に再び剣を構えた。ビクッ、と肩を震わし緊張させるアーサーを庇うようにクラークが「ハリソン」と一言呼べば、それだけでまた微風のように覇気が凪いだ。
クラークはそのままアーサーの肩に手を置くと、わかるようにぐるりと周囲を見回した。アーサーとハリソン、更に副団長であるクラークがいる事で周囲からの注目が上がっている。それを目だけで一人一人指し示すようにしたクラークは一周見回した後にもう一度アーサーの肩を強めに叩いた。
「皆がお前と話したがっているからだ。」
予想外の答えにアーサーは目を丸くさせた。
クラークが示すように見回せば、確かに騎士達は自分にも注目を向けているようにも見える。だが、それがどの理由かはわからない。それにさっきまでだって酒を運んでテーブルに並べていたアーサーだが、全く誰にも気付かれなかったわけではない。それでも騎士の誰もが話し掛けては来ずに遠巻きに自分を見るだけだった。
奪還戦で勝手な行動をした叱責か、塔の上で何があったかについての話か、それともー……と考えを巡らせている内にクラークが先に問いかける。周囲の騎士達にも聞こえるように、はっきりとした通る声で。
「さてアーサー。その右腕はどうやって治ったんだ?」
ハァ⁈と。
クラークからの爆弾発言にアーサーは目を剥いて口を開ける。何言ってやがる⁈と心の中で叫びながら見返した。
クラークには確かにその件は言えないと話した筈なのにと、絶句にも近いその表情を向ければ 、クラークはくっくっと喉を鳴らして笑った。そして軽く声を潜めると「遠慮せずに言えないことはそう言え」とアーサーに告げた。
クラークのその言葉に、やっとどういうつもりか理解したアーサーは周りにも聞こえる声で「申し訳ありません、それは言えません」と断った。
「何故言えないんだ?あれは嘘の怪我じゃなかっただろう。」
「確かに本当に腕は切り落とされましたし、重傷でした。でも言えません。それが〝約束〟なので。」
「今はもう平気なのか?」
「はい。もう全ッ然平気です。」
「陛下からの命で極秘裏に操られたプライド様の暴走を止めていたんだったな。他に私達に言えないことはあるか?」
「拷問塔で何があったか全部は言えませんが……。それ以外であればお答えできると思います。」
クラークに促されるまま質疑応答を繰り返すアーサーの言葉に騎士達が酒を飲む手も止めて耳を傾けた。
彼の返答に、そうかそうかと笑いながら返すクラークは何度も頷くと最後は満足気に背後に回ってからアーサーの両肩を掴んだ。
「……と、いうことだ。お前達、それ以外であれば好きなだけ質問責めにしてやれ。」
ついでに酒で潰しても良いぞ、と明るい声で物騒な事を言ったクラークはドンッと強めに片手でアーサーの背中を突き飛ばした。
「ッどわ⁈」と突然クラークに押されて前のめりに転びかけたアーサーだが、倒れる前に自力に踏み止まった。何しやがる⁈と心の中で叫んだが、今この場で殴ることもできずに拳だけを握った。覚えておけよ、と頭の中で唸りながら振り返りざまに軽く睨んだ、と同時に
「ッアーサー隊長……‼︎どうぞ……!」
最初に騎士の一人がアーサーに酒が並々と入ったジョッキを両手で手渡した。
突然突きつけられたことに驚いたアーサーだったが、すぐに「ありがとう……ございます」とそれを受け取った。
隊や入隊時期、立場に関係なく誰とも関わるアーサーは、その騎士とも顔見知りだった。ただし、一ヶ月間目を合わせてくれなかった騎士から打って変わって熱い視線を受けたことにはアーサーも戸惑ってしまう。酒を片手に何か言うべきか、それとも騎士が言うまで待つかと考えると今度は別方向から勢いよく背中を叩かれた。
「よし飲めアーサー‼︎取り敢えず話はそれからだ!」
クラークかと思えば違った。
振り返れば他の先輩騎士がバンバンとアーサーの背中を何度も叩いている。一人だけではない、他の騎士も飲め飲めと次々と自分の背中や肩を叩く。今日までよそよそしかった態度が嘘のようにいつものように笑いかけて構ってくる騎士達に上手く反応も出来ない。ただ、飲め飲めと何度も叩かれ、更には四方を埋め尽くす騎士達が自分が飲むのを待つように注目していることだけ理解した。
緊張から一度大きく喉を鳴らした後、覚悟を決めたアーサーは一息でビールを仰いだ。ごっ、ごっ、ごっと一気に飲み込む間もまるで囃し立てるように周囲の騎士達から「おおおおおぉおおおっ!」と楽しげな声が上がる。最後の一滴まで喉を通し、ぷはーっと息を吐き出して口を拭った途端、一際大きな喝采と歓声が上げられた。
「アーサー!本当にその腕は本物なのか⁈」
「アーサー隊長‼︎離れの塔でのお話を聞かせて下さい‼︎」
「おい、アーサー隊長‼︎プライド様に勝ったというのは本当か⁈」
「アーサー隊長!ステイル様とはいつからで……⁈」
「アーサー‼︎‼︎取り敢えず一発殴らせろッ‼︎‼︎」
歓声に紛れるように次々と騎士達がアーサーへ迫り出す。
早期出世を果たしているアーサーへ様々な話し方で騎士達は声を上げた。同時に空にした筈のアーサーのジョッキが次々と酒が注がれて溢れ出す。あまりの勢いに後退れば、迫ってくる騎士達の方が互いに押し退け合い、そしてアーサーを取り合うようにその肩に腕を回し、背中を叩き、一際大声で彼に呼び掛けた。
騎士達からの問い掛けに、順番に辿々しく答える間に、気付けば身包みまで剥がされ出す。「取り敢えず肩!傷あったところ見せろ!」とアランにされた時と同じように団服を引っ張られたアーサーは、ジョッキをまた空にした後に自ら脱いだ。傷の痕すら残っていない右腕に騎士の誰もが感嘆の声を上げ、確認するように手を伸ばす。バシンバシンッと叩かれ、何度か本気で痛かったがそれでもアーサーは顔を顰めるだけで歯を食いしばった。本気で殴り掛かろうとする騎士を部下が三人がかりで押さえ「気持ちはわかりますが落ち着いて下さい!」と叫ぶ。やっぱり怒ってるな、と思いながらアーサーはまた注がれたジョッキに口をつけて喉を潤した。
さっきまでいたクラークもハリソンもいつのまにか消えている。結局何だったんだろうと思うアーサーは騎士達に揉みくちゃにされながら彼らの問いに答えていった。酒を注がれ、頭を纏めた紐が取れるほど頭を力一杯撫でられ、肩や背中を叩かれ、また問いに答え、酒を注がれた。騎士達の熱気と酒気に包まれ額に汗をかく。
時間の経過と共に、酒の所為か暑さの所為かぼんやりと頭が霧がかかって何時間経ったかもわからなくなる。わいわいと騎士達とジョッキを当て合いながら、喉を鳴らし、また質問責め受けるを繰り返すアーサーの周りには人が捌けるどころか増える一方だった。肩に腕を回され肘を置かれ、既にできあがった騎士が屈強な身体にも関わらず背中から飛びかかってきた。ある程度の重さは耐えられるアーサーだが、それでもグエッと声を漏らす。少なからず重いし苦しいし痛いし狭いし暑いが、騎士同士のこういう空気や盛り上がりがそれ以上にアーサーは好きだった。自分よりも勧めていた彼らの方が既に酔いが回り、七割近くの騎士が身体中真っ赤になっていた。そしてそろそろ水を……とアーサーが近くのテーブルで水差しに目を向け始めた頃。
ポタタッ……
アーサーの顔に滴が落ち、頬に伝った。
ん?と最初に軽く手で拭った。酒でも零されたのか、それともジョッキの水滴かと思い、あまり気にしなかった。
だが、そう思ったのも束の間にポカポカと雨のように滴が降ってくる。あまりの量に誰かが酔ってジョッキの中身を零しかけてるんじゃないかと顔を上げれば
「っ……良かったなぁ、アーサー……。」
自分の背中に飛びかかってきていた騎士が、泣いていた。
普段陽気に酔うことはあっても、泣いたりはしない騎士がボロボロと泣いている姿に、直視したアーサーは目を疑った。ポカンと目を丸くして見返せば、傍にいた騎士達が「ノラン隊長!」と彼を支えるように背中に手を置き、そっと摩った。だがその騎士達もまた腕で涙を拭う彼に声を掛けながらも涙ぐんでいた。
どうしたンすか、と心配するようにアーサーが声を掛けようとすれば、その前にまた自分に滴が降り、服が肌が湿っていくことに気がついた。ノランからではない、アーサーは気がついたように見回せば、さっきまで大声で騒ぎ笑っていた騎士達が今は水を打ったように静まり返っていた。彼らの誰もが笑みが一転して涙をボロボロ零し、腕や手の甲で拭い、それでも止まらず顎から伝い流し落としていた。
今まで何度も酒を交わし、潰れるまで酔う姿も見てきた筈のアーサーが一度も見たことの無いその姿に開いた口が塞がらない。泣き、肩を震わし、ジョッキを握った腕で拭い、空いている手で顔を覆う騎士達の名をぽつりぽつりとアーサーは呼ぶ。だが、それでも彼らの涙も堪えた鳴咽も強まるばかりだった。
良かった、良かった、腕が、奇跡だ、騎士に戻れて、生きていてくれて、助かって、右腕を、本当に、笑ってる、心配かけやがって、アーサー、死ぬかと思った、隊長、良かった、良かった、良かったと。
雨粒のように降る涙と一緒に騎士達の口から溢れてくる言葉は、全てがアーサーへの安堵だった。酔いに押されて溢れ出した彼らの涙とその姿に、アーサーはやっと今まで自分が酷く勘違いしていたことに気が付く。そう思い知った間にも、自分の肩に腕を回していた同期の騎士が噛み締めるように嗄れた声を放った。
「ッ……アーサー……っっ。」
アーサーが重傷で運ばれたあの日から、彼のことに胸を痛ませない騎士は居なかった。
右腕を失ったアーサーに、誰もが彼の騎士生命を諦めた。そして目を覚ましてからプライドを助け出したいと望む彼に報いようと決意した。
アーサーが騎士としての人生を奪われたことも、彼が騎士を名乗れなくなることも、それに絶望し苦しんだのはアーサーだけではなかった。
奪還戦中にアーサーと擦れ違えば目を疑い、隊長格に治ったことを訴える姿に現実を疑った。喜ぶ余裕すらないほどに驚愕が勝った。右腕の再生などどんな優秀な怪我治療の特殊能力者でもあり得ない。
奪還戦が終わった後も騎士団で厳戒体制は続いた為、誰もアーサーの腕について聞くことが出来なかった。最初から切り落とされてなどいなかったのか、幻か、義手か、何らかの特殊能力で今も誤魔化しているだけなのではないかとまで考えた。
視界に入っても、本人が目の前に居ても聞けるわけがない。緊張感を保ち続けなければならない状況下でアーサーの右腕完治が本当であれば感極まる。一時だけの凌ぎや誤魔化しであれば再び絶望し平静を保てなくなるかもしれない。だからこそ騎士の誰もがアーサーの右腕を尋ねるどころか、アーサーとの会話すら必要以外は避け続けた。
あれほど騎士生命どころか命に関わる瀕死の重傷を負ったアーサーが、目の前でいつもの姿でいるということ自体が彼らの感情を揺さぶるには充分過ぎた。騎士として平静を、今は厳戒体制に集中をと意識すればするほどアーサーといつも通りに接するどころか彼を視界にいれることすら難しい。
一ヵ月も経てば慣れるだろう、落ち着くだろうと思っていた騎士も少なくはなかったが、その間にアーサーとの会話すら上手くしてやれないことの歯痒さが続いただけだった。まだ右腕が保証されるまでは安易に「治って良かった」とすら喜べない。だが、安易に尋ねるにはアーサーの抱えた傷は深過ぎる。
直接アーサーから完治を聞いたアラン、カラム、ハリソンですら、プライドと共に騎士としてのアーサーまで取り戻せたことは一晩経っても本人達を前に感情を抑えつけるのに苦労した。近衛騎士として携わることが多い彼らは、アーサーの完治を理解している分なるべく普段通りを心掛けたが、それでもアーサーとプライドが並んで笑い合っている姿を見る度に込み上げた。エリックに至っては、アーサーの完治を知ったのは拷問塔でが初めてだったのだから。
何故完治したのか、本当に本人なのかも納得できないままに近衛騎士として組む事が増えれば、それだけでも口の中を何度も噛み締めた。共に行動すればするほどに、隣にいるのが本物のアーサーで、本当に嘘のように治ったのだと実感してしまった。厳戒体制で自粛状態でなければ間違いなく泣きながらアーサーを抱き締めていた。プライドと合わせて視界に入れば、いっそ現実ではないのではとすら考えて呆けてしまいそうなる頭を拳を強く握って奮い立たせたことも一度や二度ではない。
そして今、全ての緊張が解かれた騎士団でアーサーの完治を確かめた彼らは、一ヵ月分の感情が溢れ止まらない。
「…………すみません。本当に、ありがとうございました……。」
顔を真っ赤にして泣く騎士達へ、アーサーが最初に絞り出せた言葉はそれだった。
ずっと心配を掛けていたことも、自分の右腕を気に病んでくれていたことも、そして自分の完治に安堵し、騎士復帰を心から喜んでくれていたことも理解すれば今度はアーサーまで込み上げた。
同時にやっと、今日の別れ際にステイルが怒っていた理由も涙ぐんでいた理由も理解する。
『ちゃんと思い知れ、馬鹿』
ステイルもまた、自分の為に泣いてくれたのだと。
それほどまでに気に病ませ、そして安堵して喜んでくれていたのだと理解する。
騎士達だけではなく、ステイルもずっと気を張り詰めていたことはアーサーもわかっていた。だが、プライドのことだけでなく自分の事までそう思ってくれていたことが嬉しい。そして、だからこそあの時は無神経なことを言ってしまったと後悔する。
「騎士に戻れて、……皆さんとまた騎士できてすっっっげぇ嬉しいです。……お気遣いお掛けして、申し訳ありませんでした。」
段々と自分の声が嗄れてくることをアーサーは自覚する。
言いながら視界が滲み、泣く彼らの顔をまともに見れないまま謝罪と感謝を込めて頭を下げた。背中に騎士が飛び付き、肩に腕を回し、肘を置く。その誰もがいつのまにか自分を抱き締めてくれているようだとアーサーは思った。酒を注いでくれようと酒瓶を片手に握る騎士の手が降りたまま震え、涙を拭いきれず押さえきれずに酒を仰ぐ手すら止まってしまった。
自分もまた俯いたまま床にポタポタと蒼い目から小さな水溜りを作り、止まってしまう。完治できた理由をちゃんと話せないのが辛い。だが、同時に彼らが理由なんてどうでも良いと思っていてくれている程に、自分の完治を喜んでくれていることが、食い縛る歯に力を込めてしまうほどに嬉しかった。
「……そこ。全員少し休め。酒のせいもあるだろう、水を飲んだ者から一度椅子に掛けろ。気分が悪い者は新兵を呼ぶように。」
タン、タンと歩み近付いてくる声に、全員ゆらゆらと揺れながら大人しく従った。
カラム隊長、カラム……と口々に騎士の何人かが呟けば、カラムは水差しを片手に彼らのジョッキへ注いでいった。飲み切っていない酒は薄まり、空のジョッキはなみなみと水で満ちた。まだジョッキが一口も飲まれていない騎士を見つけると、ジョッキごと回収し、代わりに中身の残った水差しを手渡した。更に近くにいた新兵達に手で指示を出せば、彼らもまたカラムの指揮下の元次々と騎士達に水を差し出していった。
一人ひとり労うように肩を叩き、慰め、背中を摩り、彼らの気持ちを落ち着かせながら椅子へと促す。そしてとうとうアーサーにしがみ付いている騎士達にも一喝せず丁寧に一人ずつ剥がしていく。最後の一人がアーサーから離れ、去る間際に俯くアーサーの頭を撫でた。既に騎士達にもみくちゃにされていた彼の頭は髪が乱れ、その最後のひと撫でで結いていた髪紐が解けて床に落ちた。
バサリ、と長い髪が垂れたまま顔を俯けたアーサーにカラムは優しく肩を叩いた。びくっ、と一度アーサーの肩が上下したがそれだけだった。「すみません……」と萎れて嗄れた声で小さく放たれた言葉はカラムの手を煩わせたことと、他の騎士達に向けた謝罪と同じ意味も含まれていた。
アーサーのその言葉に、カラムはもう二度肩を叩くと落ちた髪紐を床から拾い上げた。軽く埃を払い、そのまま正面からアーサーの長い髪を束ねて括り出す。
「お前が騎士に復帰できたことを泣くほど喜んでいる騎士は他にも大勢いる。私も、アランもエリックもハリソンもその一人だ。」
俯き、濡れた床に視線を落としたままでもカラムのその声色に、彼が優しい笑みを向けてくれているのがわかった。ズズッ……と赤い鼻を啜りながらアーサーは喉が詰まり、代わりに頷いた。
「もう少し待て」と言われ、髪を結いて貰っている最中だったとカラムの言葉で気付き、そこからは身動ぎ一つしなくなる。
「泣いても良い。だが例の件について話せないことを心苦しく思うなら、……彼らの想いに報いたいと思ってくれるならお前から話しかけてやってくれ。」
よし、良いぞ。と乱れていたのが嘘のように髪が整い束ねられたアーサーの両肩にカラムが手を置く。そしてグズッ、と子どものような鼻の啜り方に、優しくその背を摩った。
カラムの言葉に一言返しながら、やっぱりこの人には敵わないとアーサーは思う。両目を赤くなるくらいに強く擦り、口の中を飲み込んでから顔を上げた。ちゃんと自分と目を合わせる彼に笑みで返すカラムは、アーサーの予想通りの優しい表情だった。
行ってきます……と潰れた声で返したアーサーは、中身が残ったジョッキを全部一息で飲みきると、深々とカラムに礼をした。他の騎士達にも話しかけるべく、近くのテーブルからとあたりをつけ、カラムに背中を向けようと翻す。すると、足を前に出す前に「アーサー」と再び呼び止められた。はい、と返しながら振り返れば、……無造作に両腕で抱き締められる。
驚き、反応もできずに固まっているとカラムは抱き締めたその腕で回したアーサーの背中をパンパンッと優しく確かめるように叩いた。
「よく戻った。奪還戦では見事な活躍だった。胸を張れ。」
そう告げれば、すんなりとカラムはアーサーから腕を緩めた。
気が付いたアーサーが抱き締め返す間もなくそう告げたカラムは、最後にポンと軽くアーサーの肩に手を置いてから他の騎士達の元へと退いていった。笑い掛けてくれたカラムの目が僅かに揺れていたことが、きっと見間違いではなかったと思えばまたアーサーはゴシゴシと力いっぱい腕で目を擦った。
……ンなこと言われて泣かねぇの無理ですって……。
今までよく五年も泣くのを耐えられたなと思いながら、アーサーは心の中だけでカラムに訴えた。
近くのテーブルから中身が残った水差しを手に取ると、直接口を付けて飲み切る。そこで少し頭が冷えたところで、アーサーは少しだけ重くなった足で今度こそ騎士達の元へと向かった。
今夜は潰れるまで飲もう、と。心に決めながら。




