626.騎士達は始める。
〝乾杯〟と。唸りをあげるように男達の声がいくつも合わさった。
騎士団演習場。
全ての演習を終え、身を休めることが許されたその時間に自室へ戻ろうとする騎士は人付き合いを嫌う八番隊どころか誰一人いなかった。
騎士団長から正式な許可を降ろされた宴は、騎士団の講堂内にある広間で行われた。新兵が運びこんだテーブルには所狭しと酒瓶や樽とジョッキ、水差しとグラスが並べられていた。食堂から提供された料理も大皿に盛られたが、多くの騎士が料理の三倍の早さで酒を消費していっていた。
第一王女プライドの奪還。
死者を一人も出すことなく、ラジヤ帝国軍を排除。
人質となっていた王族の奪還と護衛。
そしてラジヤ帝国が敗北を認め、条約を締結した。ラジヤ帝国の一軍が一人残らず去ったことを九番隊の騎士が数キロ先まで透明化して追走した。一軍はラジヤ帝国の本国から方向こそずれてはいたが、フリージア王国へ引き返す兆しはなかった。本国までひと月掛かる彼らが、自国の植民地国や属州を経由するのは必然。つまり彼らは、滞りなくフリージア王国から去ったということになる。
そして今日。奪還戦から一ヶ月経って初めて騎士団は、フリージア王国完全勝利を謳うことを許された。
「?なぁ、そういやぁアーサーはどうした⁇」
次々と自分の元に乾杯をと集ってくる騎士達とグラスを当てて飲み交わしながら、アランは辺りを見回した。
広間に演習を終えた騎士達から集まり出し、騎士団長による全体の乾杯を始めてから今の今まで一度もアーサーを彼は見かけていない。
まさかまだ来ていないのかと、テーブルの上から見晴らそうと足をかけるアランをエリックが止めた。「まだ乾杯したばかりですよ⁈」と声を上げるエリックに、アランも仕方なく足を降ろす。
「アーサーなら広間に入った時に一度見かけましたが、……宴の準備をする新兵を手伝っていました。」
「またかよ!アイツもう本隊騎士どころか隊長なのにな。」
苦笑いしながら言うエリックに、アランも途中から釣られて笑ってしまう。
アーサーは本隊騎士になってからも、あいも変わらず新兵に混ざって雑用をすることが多い。年齢だけ見れば新兵と混ざっていても不自然のないアーサーだが、騎士団本隊のしかも隊長格の団服を纏った彼は明らかに遠目からでも浮いていた。新兵も毎回遠慮するが、立場が上の相手に強く言えるわけもなく最終的には彼らの方が折れることになった。
「ていうかエリック、気付いてたなら止めてやれよ。今回は特にアーサーは飲まされる側だろ?」
「いや〜〜無理です。もう今日プライド様の近衛任務終わった途端に糸が切れちゃいましたから。正直、この一ヶ月間は自分もアーサーが視界に入るだけでキツかったです。」
あはは、と笑いながらはっきり断るエリックは、そのまま自分の発言を誤魔化すようにジョッキを傾けた。
グビグビと珍しく最初から喉を鳴らすエリックに、アランも「だよなぁ……」と相槌を打つ。そうしている間にまた他の隊の騎士達がアランに酒を交わそうと集まってきた。アランも彼らに笑顔で答えるとジョッキを彼らとぶつけ合った後、注がれた酒を一気に仰いで飲み切った。そのまま流れるようにエリックへ「取り敢えずお前も呑んどけ!」とガバガバとまだ半分近く残っていた彼のジョッキに酒を注いだ。表面張力だけでは耐えきれないほどに注がれた酒が溢れては持ち手ごと彼の手を濡らす。飲みの場ではよくあることの為、それ自体には全くエリックも驚かない。だが、ついさっき大口に呑んでしまったばかりな為、少しだけ注がれる酒の量に怯んでしまった。
エリックが隊長であるアランに酒を注がれたことに近くにいた一番隊の騎士達が声を上げて注目する。これは覚悟して一気飲みするところだろうか、と一筋の汗を頬まで滴らせながらエリックは笑う。
「アラン、あまり部下に絡むな。……エリック。お前も最初から飲みすぎないように。」
ポン、と間に入るようにしてカラムがエリックがジョッキを仰ぐ前にその腕に手を置く。
お疲れ様です!と騎士達が声をあげると同時にアランが唇を尖らせた。「ちょっとくらい良いじゃねぇか」と言いながらカラムのジョッキにも酒を注ぐ。
カラムのジョッキから酒を溢れさせたところでやっと瓶が空になる。空瓶を持った方の腕をカラムの肩へ回すと、今度は他の騎士達が再びアランのジョッキに酒を注いだ。それを躊躇なくまた仰いで空にしてみせれば、カラムも続くように溢れさせられたジョッキを一度で空にした。
おおおぉおおおおおおっ‼︎‼︎と周りにいた騎士達がカラムの珍しい一気飲みに歓声を上げれば、呼び水のように広間全体が賑やかさを増した。
「そういやぁさ、カラム。アーサーが何処にいるか知らねぇか?さっきから全然見なくてさ。」
「アーサーか……。私も近衛任務で交代してからは見ていないな。また新兵に混ざってるか、同期の誰かと一緒なんじゃないか?」
肩を組んだまま既に酒臭いアランに顔を顰め、カラムは返す。各テーブルに移動しては騎士達を自ら労って回るカラムすらアーサーを見ていないなら、本当にこの場にはいないのではないかとアランもエリックも考えてしまう。
今日までアーサーが周りの騎士達からの態度に大分戸惑って気まずさを感じていたことを三人も知っている。まさか今回に限って一人部屋に戻ってしまっているのではないかとまで想像する。そのままアランもエリックも本格的に外まで探しに行こうかと考えた、その時。
キィィンッ‼︎!という聞き慣れた金属音と、騎士達の響めきがある一点から湧き上がった。
「……あそこだな。」
「ですね。」
「ハリソン……。」
アラン、エリック、カラムが順々に息を吐く。
そのまま広間全体から注目を浴び始める広間の隅を遠目に眺めた。ざわざわとした響めきと一度ならず二度三度と連続する剣の打ち合い音に、取り敢えず元気そうだなとだけ判断する。止めに行くべきかとも考えたが、この場では自分達が出る必要もないだろうと彼らはまた部下達に酒を注がれたジョッキを互いに鳴らし合った。
カラァンッ‼︎と三つ分のジョッキが響き、揃って傾けた。アラン以外は二人とも一口分だけ喉を鳴らして終わらせたが、一度そこで口を噤んでしまえば周りの空気にあてられたかのように口元が緩んでしまう。上機嫌な騎士達の熱に浮かされたところで、アランはカラムの肩に回した腕を離した。まだカラムは騎士達を労いきってはいないのだから。
アランに解放されたカラムは一度離れた後、近くのテーブルから酒瓶を取り、一声かけてアランに投げ渡した。片手で瓶を空中から受け取ったアランに「エリックに無理に飲ませないように」とだけ伝えると、また再び部下達への労いにと別のテーブルへ去ってしまった。
わかったって、と笑いながら酒瓶を受け取った手を振るアランは、自身のジョッキをエリックの肩に軽く当てた。「ま、酔いたくなったら言えよ」と笑い掛けるアランにエリックも一声で返す。
「そういえばアラン隊長、今日お言葉を頂いたアレなのですが……本当に以前の宣言通りにされるおつもりですか?」
「ん、いや〜?ほら、件のこともあるしさ。なら別のこと頼もうかな〜って。」
声を潜めながら尋ねるエリックの投げ掛けに、アランも声量を合わせる。
下手に〝プライド様〟などの単語を出してしまえば次の瞬間には周りの騎士に飲まれてしまう。それをわかっているからこそ、アランは何気なく今度はエリックの肩に腕を回した。エリックを片腕で引き寄せ、騒ぎの中でも互いの声が聞こえるように顔を近づける。周りからはいつものようにアランが部下に絡んでいるようにしか見えない。
アランからの返答に「やっぱりですか……」と納得したように返すエリックに、今度はアランが問いを投げた。
「そういうお前はどうすんだよ?もう決めたのか⁇」
「いえっ!じ、自分は本当に、本当にっ……もう……‼︎」
予想していた問いとはいえ、それでもエリックの肩が上下する。
動揺を正直に露わにさせるエリックは、酒とは関係なく顔を赤らめた。既に早々に酒で出来上がっている騎士がちらほら居る為、今だけは彼の赤面も上擦った声も全く目立たない。
アランがエリックの肩を揺すりながら「ねぇの?」ともう一度尋ねてみると、エリックは真っ赤な顔のまま首を強く横に振った。
「本当に!本当に本当に自分はもう充分満足なので……‼︎あの方も取り戻せましたし、笑顔も既に何度も見れました。それに、……っ。…………サーも……。」
じわっ……と、最後は声が掠れたエリックの視界が滲み出した。
すぐに自身でも気が付き、空いている方の手で急ぎ擦ったが、上手く制御が出来ない。まだ酔うには大分余裕がある筈のエリックが泣き出したことにアランは「わかるぜ」と柔らかな声で返した。
アランにしては珍しい柔らかな声とその言葉に、エリックは顔を向ける。するとアランはまた何でもないようにニカッと力一杯笑って見せた。騒めきに紛れるように「泣いとけ泣いとけ!」と明るく言いながら、彼の栗色の短髪をわしゃわしゃと頭を撫で、乱した。
「アラン隊長!エリック副隊長‼︎」
そうしている間に、また多くの騎士達がアラン達の元に集まってくる。おー!とまた酒かとアランがジョッキを掲げて返事をすれば、……さっきと違う空気に思わず笑みを引攣らせた。
見れば自分達に駆け寄ってくる騎士達の目がギラギラと光っている。それも顔を見れば殆どが九番隊の騎士達だった。〝来た〟と思えば、次の瞬間には騎士達に詰め寄られて逃げ道を狭められていく。エリックの顔を俯かせるように敢えて肩に腕を回したまま前屈みなるアランに、騎士の一人が代表して声を上げる。
「プライド様から個人的な褒美を約束されたというのは本当でしょうか……⁈」
その台詞を皮切りにさっきまでは背中を向けてそれぞれ騒いでいた騎士まで、鍛え抜かれた反射でアランの方へ振り返る。
九番隊と自分達、そして一部の七番隊以外、殆どの騎士は長らくプライドに会っていない。毎日のようにプライドの様子や調子を聞かれるアラン達にはもはや慣れてしまった注目だったが、今は違う。単なるプライドの話ではなく彼女個人からの、言ってしまえば〝ご褒美〟発言は騎士達に衝撃も強かった。詳しくその話を!もう決めたのですか⁈以前から聞いていたのですか⁈流石は隊長です‼︎と熱のこもった追求は酒の所為だけではない。
「ははっ!じゃああっちで話してやるよ。んじゃあエリック、また後でな。」
声に出して笑いながらアランは何気なくエリックだけを後方に逃す。
軽く背中を突き飛ばしながらエリックを背後に押し出すと、広間に響き渡る声で「プライド様の話聞きたいヤツこっちに集合ー‼︎」と元気よくジョッキを掲げて騎士達を離れたテーブルへと連れ歩く。エリックに話を聞きたい騎士もいたが、それよりも積極的に語ってくれようとするアランに騎士が一目散に集い出す。付いてくる騎士達の肩にまた腕を回し、大笑いしながら去っていくアランの背中に多くの騎士達が続いた。
エリックを逃し、語り手を一人で引き受けたアランは再び注がれた酒をひと息で飲み干すと、とうとう今度こそ料理を平らげられた後のテーブルに足を掛けた。
「今夜は朝まで飲むぞぉおおおおおお‼︎‼︎」
うおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおッッ‼︎‼︎とジョッキを掲げたアランに合わせるように騎士達も拳やジョッキを振り上げた。
まだ、騎士団の長い夜は始まったばかりだった。




